逃げるは恥だが天下は取れる。
徳川家康ご本人も人生のうちのダントツ1位で死ぬかと思った件と言う伊賀越え。
これを語るにおいて、伊賀の忍者と服部半蔵の存在は欠かせません。
織田信長が本能寺で亡くなったとき、家康は40人余りの手勢を率いて堺にいました。
一行は平服で何の戦闘力もなく、途中には明智の軍勢はもとより、各地で一揆が多発していたのです。
家康はその時、「もうむり人生おわった」と相当取り乱し、自刃しようとしたのを周りが必死に止めたとか。。。
その家康らが堺から三河へ帰るのを手助け