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歴史は変わる。本当の長篠の戦い

1575年、長篠城をめぐり、
「織田信長・徳川家康の連合軍」と「武田勝頼」による長篠の戦いが起こりました。

長篠の戦いと聞いて、我々の世代が(勝手に同世代くくりにしますけど笑)まず思い浮かぶのが
「織田軍の鉄砲三段撃ちVS武田騎馬隊」ですよね。

教科書でも「信長の新たな戦法」が、かつて全盛を誇った「武田の騎馬隊」を撃墜し、戦国の戦い方のひとつの転換点になったと習った記憶があります。

我々岐阜人は幼心に「ほらやっぱり信長すごい。信長最強説。」
みたいになったわけです。

ところが!
この歴史的事件が史実と異なるようなんです。
「信長の三段撃ちVS武田騎馬隊」のエピソードは、江戸時代初期の『信長記(しんちょうき)』に書かれたストーリー。
要するに、戦いから数十年を経たあとに書かれた「小説」で、「信憑性に問題がある」とされているのです。

鉄砲の総数もはっきりせず、戦場の地形から考えると武田側は下馬して戦った可能性もあるそうで、今までのテンプレ長篠の戦いとはまったくイメージが異なってきます。

ただこの戦いで鉄砲を用いた信長が、最強といわれた武田軍を破ったのは事実で、その後鉄砲が戦場での主要兵器となり、「合戦の様相」を大きく変えたのも信長です。


この「長篠の戦い」のように、教科書でそれまで「常識」とされていた事柄でも、変更や削除、新事項の追加かはよく行われています。
動かない歴史が動く、、

だから歴史はおもしろいですよね。

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