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八十八鍵の彩り

家にいる時間が格段に長くなっているおかげだろう、先日、積もった埃を綺麗に拭き取って、電子ピアノの蓋を開けた。

私は小学校低学年の頃から中学を卒業する頃までピアノを習っていた。
近所の教室に通っていた。大手の音楽教室ではない。

私はあまり手先が器用な方ではない。左右バラバラの動きも得意ではなかった。
運指もなぜかわざわざ難しいやり方で勝手に練習して、楽譜に数字をたくさん書き込まれたおぼろげな記憶はある。
ピアノを習い始めたのは自分の意思だったのか親の意向だったのかも覚えていない。

手先が器用でなくて、さらにシャイな性格だから、発表会なんて絶対に出たくなかった。
結局、3、4回くらいは発表会に出たけれど、何年生の時に何の曲を弾いたのかも、何年生の時に初めて出たのかも覚えていない。


そんな具合に、ピアノに関するどの思い出を拾い上げてみてもパッとしない。
高校入学後は全く触れず、大学生になったら趣味でまたやってみようと思っていたのに、なんだかんだで叶っていなかった。

それがようやくである。
約4ヶ月越しに、目標を達成した。

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自分が今弾いてみたい曲はいくつかある。取り掛かりとして選んだのは、言わずと知れた名作、久石譲のSummerだ。
私が初めてこの曲に出会ったのは小学生の頃で、組体操の曲の一つに組み込まれていたのを覚えている。

今聴いても相変わらず美しくて、何度繰り返しても飽きない。

正直、個人的にこの曲にそれ以上の思い入れがあるというわけではない。ただ、美しいメロディだなと思うだけ。そう言ってしまえばそれまでなのだ。

しかし、他の曲には何か敵わない深さをもっているような気がして、完全に魅せられている。

聴いているだけで情景が浮かんでくる。この曲は『菊次郎の夏』という作品のメインテーマであるということも知っていて、今度見てみようとも思っている。
でも、ようやく啓蟄に入り、夏にはまだ遠い今でさえ、いろんな人のそれぞれの夏模様が浮かんでくるようだ。
私が思い浮かべる夏模様と作品とはまた違ったものだろうが、その違いも楽しみだ。

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歌手の声が入っている曲やオーケストラの演奏も好きだが、私はピアノだけで成される音楽も好きだ。
先に挙げたような種類の音楽と比べると、ピアノだけの演奏はシンプルだからこそ、心に素直に語りかけてくるような美しさがあると思っている。

メロディラインだけが流れるのも、一つの楽器で和音を鳴らした中にそのメロディをくぐらせていくのも、どちらも良いところがある。

自分は全校生徒の前で伴奏ができるかできないかというレベルだし、音楽理論とか、「○長調だから〜」という話はできない。変奏など夢のまた夢である。

でも、ピアノの鍵盤が沈み込む度に、世界が様々な色に彩られていくのは分かる。
イメージカラーや時には言葉をもって、ピアノの周りから広がっていく世界を、頭の中で自由に思い描くことができる。

そんなのは誰にでもできることなのかもしれないけれど、一つの「空想話」にまで繋がるほど広げられるのも、すごい/すごくないの話ではなく、「いい」ことなのかな、と思っている。

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とはいえ、ブランクは約5年。全く触れなければ、昔スラスラと弾けたものも全然戻ってこないものだ。
嫌いだった発表会に向けて半強制的に練習した曲も弾けないし、楽譜もすぐには読めないし、リピート記号で戻る先はどこだったっけ…と楽譜に顔を近づけ、手を止める始末である。

技術がそれなりのものになってから表現で楽しむことができるんだよな、と数年前と同じ壁にぶち当たっているような気がする。

まだ譜読みも終わっていないけれど、一番有名なあのメロディが両手で弾けるだけでテンションは上がるし、その部分だけでも自分の思う通りに弾けることで心が豊かになっている気もする。
些細なことでも、こうして心が落ち着ける手段を知っているというのはありがたいことなのかもしれない。