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幸せでいること。幸せでいることを諦めること。この大きな違いを対比してみる。

こんばんは。

なんだか、「幸せ」についてnoteにしてみたくなったので、書いてみようと思います。

というのも、昨年、1歳の自分を幸せにしたいと思い、
幸せになることを自分に許してあげることが大切であると気が付き、
幸せになる覚悟を持たなければと気付いてから、
私の友人、家族に笑っている人が増えたからだ。驚くぐらい、ぽかぽかの輪。本当に有難い。


◇◇◇

新しい職場での人間関係も、私の周りにいる人たちはみんな笑っている。わたしがいつも笑っているからだろう。

自分の幸せを諦めずに幸せにしてあげると決めて、「ここでは幸せになれない」と思ったらそこを離れ。
「この人とは関わりたくない」と思った人とはその場限りの接点に留める。
陰口は絶対に言わない。
というより、陰口になる前に、「どうしよっか?困ったね…」という対策の話をする。
そんなだから、ふつうに話したことが相手にとって「ブーメラン」状態なことになってたことに、あとから知って爆笑したこともある。(これは、3月に断ったお仕事のお話に由来する。断る原因を作ってた1人に、なんと何も知らずにその理由を話していた。あとから知って、「おまえかー!」状態。)でも、その方がかえってスッキリした。お互いの関係もギクシャクしない。仕事だけの関係だから。

◇◇◇

わたしが自分の幸せを諦めないでいると1番に喜んでくれる人がいる。まず、親。家族だ。
そして、友人たちだ。LINEの文面が明るくなって、友人たちもハッピーをシェアしてくれるようになった。有難い。
さらに、自分メンテナンスの主治医とカウンセラーさんも喜んでくれる。笑ってくれる。

自分を幸せにすることを諦めずに前に進むと、こんなに周囲にありがたいことが伝播する。なんと素敵な循環だろう。

◇◇◇

これを、自分の幸せを諦めるとどうなるか。対比するのはそれまでの自分で考えてみよう。
まず、親が悲しむ。

次いで、それを話すかにもよるが、友人たちが心配する。場合によってはネガティブな私から離れたくなって離れていく。実際離れていった人がいる。離れないで見捨てずにいてくれた友人には本当に心の底から感謝でいっぱいだ。そしてその友人たちはずっと「自分の幸せを考えて」と何度も何度も言い続けてくれた。

そんな私の隣にいてくれた大切な人であるはずの人は、苦しそう。大切な人なのに、苦しそうだった。最初はそれに気が付かなかった。でも途中で辛いと話してくれた。そして「自分の幸せ」に目を向けた時、「自分のためにも、相手のためにも、もう続けられない」と気がついた。
それが、「2番目の人」をしていた時の私である。

後者の話で幸せな人は誰もいない。いや、ほんのひととき私は夢のような時間を過ごし、とても幸せだった。だが、結果として、未来に続く幸せは誰も得ていない。
私たちは、結局お互いを傷つけあってしまった。

◇◇◇

この対比は、ここに戻る。

人は、持ってる分しか、人にしてあげることは出来ない。時間も。お金も。幸せも。

翻って。

自分が幸せでなければ誰かを幸せにすることなど出来ない。

ということだ。

「自分」なのだ。

だから、自分の幸せを諦めてはいけない。
それは自分のためでもあり、周囲のためでもある。

なんでそんなに辛い思いしながらそこにいるの?

とは、昔の私が言われていた言葉だ。なんと当時の同僚にまで言われていた。前の仕事を辞める前のはなしである。

◇◇◇

今、「自分の幸せとして100を選べないから、0か100なら、0を選ぶ」と口にしている人がいる。

恐らく、そんな厳密に0というわけではないと思う。
そして、0を選ぶのも100を選ぶのも本人の自由だ。

だが、「0を選ぶ」と言われ、選ばれている「0」側の人の心情はどうだろうか。私なら、まったくもって嬉しくない。そう言われて選ばれている人の周りの人も嬉しくないだろう。
本人の幸せも「0」、
言われた相手側の幸せも「×0=0」で「0」だ。

「0」を選んでいる人を見て、周囲はどう思うだろう。心配だ。なぜそんなことになっているのかと驚きでいっぱいだ。

親は?
なんと残念なことだろう。
産んだ子供が幸せを諦めている。なぜ???でいっぱいだろう。

◇◇◇

自分に合わなくなった服を着ていると、違和感がある。鏡で見てもなんかしっくりこない。おかしい。

それと一緒で、心にまとうものは、自分に合っているものがいい。

「0」を選んでいる人にも、せめて、「100を選んで今がある」と思える日々であればいいなと思う。


幸せになっていいんだよ、みんな。
そこにブロックなんてかけなくていい。
「幸せになる」ということを自分に許してあげるだけで、世界はとても生きやすくなる。
そして、うまくいかないことも、うまくいきはじめる。
なぜなら、「幸せになれる場所」に、自分で自分の身を置きたくなるからだ。

似合わない服は脱ぎ捨てて。
似合う服を身にまとって外に出る。

きっと歩く地面も空もとても気持ちいいだろう。



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