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今この瞬間に誰かが目標を叶えてる

「年収〇〇万円にしたい」「出世したい」「成功したい」
私が必死で自己分析を行い、ようやっと計画した目標、、、
しかしながらその目標は今日誰かが、今この瞬間に達成いているかも知れないのである。そう、今こうやってnoteに記事を書いている最中にも、世界中の誰かが私の立てた目標を達成していっている。
直接目の前で達成していくわけでもなく、身近な人が達成しているわけでもないのに、とめどなく溢れてくる焦燥感。

もっと言えば、私が寝ている間にも、歯磨きをいている間にも、お茶をこぼして慌てふためいている時も、スーパーで甘いものを買うかどうか葛藤している時も、誰かが私の目標を達成してしまっているかも知れない。

考え出すとキリがないが、考えば考えるほど焦燥感が溢れてくる。どばー。


どうすりゃいいんだよ!

間違いなく、こういったことは考えるべきではない。世界中のだれが達成しようと私と世界中の誰かは全く別人。全く違う人生を歩んでいるのだ。ましては、身長も、性別も、イケメンか美女かも、何もわからない、真っ赤な赤の他人に対して、比較をし焦りを感じている私もなかなかなものである。

比較というのは相手に対して、静かに勝負を挑んでいる状態だと私は思っている。そのため私は常日頃から、世界中の、身長も、性別も、イケメンか美女かもわからない人に対して挑戦を申し込んでいるのである。サイレントな当たり屋じゃないか。

そもそも、世の中の自己啓発本ななぜこうも相手と比較をせざるを得ないような思考に持っていくのだろうか。「〇〇な人の10の法則」とか「だれよりも〇〇になる方法」とか。全く同じ教育を受けている中学生に対してなら、読むべきと思うが、全然人生が違う社会人に対して、このようなことを言われてしまったら、届かない嫉妬に打ち震える人がどれだけ出てくるか。

なぜ人間は人と比較するのだろうか?自分と全く同じ人っていないので、比較のしようがない。どうやってもゴジラとウルトラマンを比較できない。どうやってもケーキといくら寿司を比較はできない。クロックスと長靴をどう比較すれば良いと思う?人間もそれぐらい違うはずなのに、変に知性を持ってしまっているが故に、人間は他人と自分を比べてる。

自分以外の人間は、ただの生き物だと思えば良いと私は思っている。そういう生き物。寒いのに半袖着ている生き物、酔っ払ってその場で寝ている生き物、なんかわからないけれどすぐに切れてくる生き物、これぐらいに思っておけば良いのではないか?

っとまぁ、ここまで書き殴ったが、そんな私も冒頭の通り、他人との比較はまだまだやめられそおうにないのである。本日はここまで。
読んでいただきありがとうございます。


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