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夏の読書感想


何度も読みたくなる本がある。

スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」だ。

初めてこの作品に触れたのは約10年前。
当時、レオナルド・ディカプリオ主演で映画が公開されていた。

作品自体はもう説明不要の名作だが、その当時私は内容をまったく知らず、どうしてその映画を友人と観に行ったのかも今では思い出せない。

だけど、物語前半の煌びやかさと結末とのコントラストが心に残り、その後原作小説を購入して読んだ。

それからずっと、ふと思い出したときに開いては何度も読み直している。

何度読んだって結末は変わらないのに、
私はときおりギャツビーに会いたくなる。


「グレート・ギャツビー」という物語は、
今では人妻になった身分違いのかつての恋人デイジーを、
もう一度自分のものにするためだけに成り上がってきた男ジェイ・ギャツビーの物語だ。

彼女との失われた5年の過去を取り戻すために、彼は犯罪に手を染めて成り上がった。
金持ちになり、デイジーと同じ上流階級のふりをし、彼女の屋敷の対岸にある豪邸を買った。
そして毎夜ハデなパーティを開く。
いつか噂を聞いた彼女が、ふらりと立ち寄ってくれるのを待っている。


私はこの本を読み終えるたびに、彼がみているものに思いを馳せる。
彼はデイジーとの過去を取り戻せると本気で信じて、突き進んできた。

だけどそれ故に、デイジーに「夫のことなど一度も愛したことがない」=「今も昔も自分の事しか愛していない」と、認めさせたがる。

しかしデイジーは言う。
「あなたは私に多くを求めすぎる」と。

浮気ばかりの夫に嫌気がさしつつも、そんな夫を愛していた時期がデイジーにもあった。
彼女はそれをなかったことにはできない。

今この時、ギャツビーを好きでいる自分ではダメなのかと、デイジーは言う。

私は、そんな彼女がみているものにも思いを巡らせる。



ギャツビーにはパワーがあると思う。
望みを叶えるため、そこに向かって突き進む力がある。
デイジーとの関係のためだけに底から這い上がってきたし、彼女と出会う前だって、貧しい生活に満足せず、現状を変えるために突き進んできた。

私はこの本を読むたびに、
ギャツビーはデイジーが好きだけど、本当はその先にある世界に恋焦がれているのではないかと思ってしまう。

それは、もしかしたら本当の上流階級の世界というやつなのかもしれない。
とはいえ、それが正しいかはわからないが、とにかくデイジーという女性は彼にとって、
その追い求めているものの象徴なのではないか、と思う。

故に人としてのデイジーをきちんと見ていない。

そして憧れの気持ちが強いから、デイジーに多くを求めてしまう。


それからデイジーも、ギャツビーのことをきちんと見ていない。

今の生活に不満があるから、そこから目を逸らすためにギャツビーに目を向ける。
けれどそれはギャツビーの望むような見方ではないし、
その瞳に映っているのはギャツビーかもしれないが、彼女が愛しているのは、もしかしたら自分自身なのかもしれない。

そう思ってしまうからか、私は何度読んでもデイジーが好きになれない。
でもある意味人間らしいな、とは思うのだ。



だけど、ギャツビーは何度読んでも憎めない。
それは違うんじゃない?と思う姿もあるが、彼には魅力がある。

先にも書いたが、彼女に会うためにわざわざ毎夜ハデなパーティを開く。

パーティを開いたとて、招待していないどこぞの輩どもが集まってワーワー騒いで家を荒らしてくのが常なのに。
なんならいっそのこと彼女に招待状を出せば手っ取り早いのに。

だけど、噂を聞いた彼女が、いつか彼女自身からふらりとやってくるのをいじらしく待っているのだ。

そして、やっと彼女との再会をセッティングできたときも、彼は緊張で顔面蒼白になってしまう…


可愛らしいのだ。ギャツビーという男は。

そいういう一面を読んでいるから、盲目的なところや人としての危うさがあっても好感が持てる。

そして彼の結末がああだからこそ、この物語は心に残るのだろうと思う。


それらすべてをひっくるめてギャツビーの魅力だと感じるから、私はまた彼に会いたくなるのだと思う。


ちなみに、この作品はよく最初と最後の文章が素晴らしいと言われている。
私も最後の文章は、言葉が美しくて好きだ。
そしてそれらとともに、物語が始まる前に添えられた詩もすてきだと思う。

もしそれが彼女を喜ばせるのであれば、黄金の帽子をかぶるがいい。
もし高く跳べるのであれば、彼女のために跳べばいい。
「愛しい人、黄金の帽子をかぶった、高く跳ぶ人、あなたを私のものにしなくては!」
と彼女が叫んでくれるまで。


トーマス・パーク・ダンヴィリエ

「グレート・ギャツビー」 村上春樹 訳


トーマス・パーク・ダンヴィリエとあるが、これはフィッツジェラルドが考えた架空の人物なので、この詩は作者が考えたことになる。

だからこの詩はすごくよくギャツビーを表している。
読み終わった後に改めて読むと、深く理解できる。

まさにギャツビーだ。




そういえば、映画の挿入歌もすてきだった。
和訳を読むと、書き下ろしなだけあって内容としてはデイジーの心情のように思える。
良い歌だと思う。なんだかちょっとわかる気もする。



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