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映画『あんのこと』を覚えておきたい&知ってほしい

先週の今日『あんのこと』という映画を観た。“不適切にもほどがある”の純子役で大ブレイクした河合優実さんが主演だからか、公開規模が少ないのに珍しくテレビCMを良く見たけれど、100歩譲っても「わぁ…、おもしろそう!観たーい♡」とお茶の間が盛り上がるとは思えない。けれど反面、その短いCMに釘付けになる人も一定数いたのではないかと思う。まだ観ていない方もこの映画を知らなかった方も、30秒だけ、以下の予告をどうぞ。

予告の冒頭にあるように、2020年、日本で本当に起きた事件をモチーフにした113分のこの映画には、あんの壮絶な人生と、希望、優しさ、絶望が凝縮されていた。自分のことでいっぱいいっぱいで、当時も今も何もできていない私だけど、この映画のことを、“あんのこと”をきちんと覚えておきたいと思った。そして、観たいと思っている方や迷っている方、この作品を知らなかった方の背中を少しでも押せたら…とレビューを書くことにした。

あらすじ・登場人物

21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う。

大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。

週刊誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた。ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現。杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう。行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏。そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──。

映画『あんのこと』公式サイト

〇あん(香川杏)…河合優実
母親にDVを受けながら育った21歳。足の悪い祖母と母と、3人で団地に暮らしている。売春をして日銭を稼ぐ。覚醒剤を常習。

〇多田羅保…佐藤二朗
型破りな警察官。薬物更生者の自助グループを主宰。あんの自立を助ける。

〇桐野達樹…稲垣吾郎
週刊誌記者。多々羅の自助グループを取材。あんのことも気に掛ける。

〇香川春海…河合青葉
あんの母親。あんに暴力をふるい、売春を強いる。時々、あんのことをママと呼ぶ。男を家に連れ込むことも。

多々羅に出会うまでのあんの人生

あんの人生について、途中、彼女自身から語られるシーンがある。あどけなく、純朴なあんの口から発せられる境遇は、私からすると想像を絶する過酷さ。でも、彼女は淡々と、自分の過去を振り返る。彼女にはそれが日常だったから。それ以外の方法は、選べなかったから。
また、河合優実の細かい演技が雄弁だ。表情、視線、歩き方のすべてに彼女の自信のなさや、他者に対する必要以上の警戒心が表れている。近くにこんな人がいたら、きっとこちらも同じくらい警戒してしまうだろうな。
ろくに教育も受けさせてもらえずに、家の中と売春だけがあんのすべて。平穏な時間はあったのかな?幸せを感じる瞬間はあったのかな?それとも、そんなのはとっくに諦めて、忘れて、頻繁に感じる痛みをなるべく少なくするために心を殺していたのかな?…それかもしれないな…と思うと、胸が張り裂けそうになる。

転機到来。あんが多々羅に出会ったのは幸運だったのか?

覚醒剤使用の取り調べという最悪な場で、あんは多々羅に出会った。それはきっと運。多々羅に出会えず、他の世界を知らずに地獄の日々を進むしかない人もたくさんいただろうし、あんがそうなっている可能性もあった。
多々羅によって、あんは、自分の現在の居場所が唯一無二ではないことを知る。それでも、他人に対する警戒心のかたまりみたいなあんが、多々羅を信じて、一歩を踏み出すのはどれだけの勇気が必要だっただろう。【はじめて、生きよう、と思った】というコピーが沁みた。それまでは、そんな意志などなかったということ。あっても邪魔になるだけだから。どうせ、現実はどうにもならないんだから。
“生きる”ということの意味を、改めて考えさせられた。

仕方ない?想定外の出来事は、あん=弱者に容赦ない

コロナ禍の特に最初の方は、誰でも大混乱だったのを覚えている。ただ、この映画を観たら、私の大混乱なんて、少し風が吹いた程度のことだった。
感染予防のために仕事の人手は最小限に絞られ、正規雇用者を守るために犠牲になったのは非正規雇用者。仕方ない。そのための正規雇用であり、非正規雇用なのだから。本当に?仕方がない?そうなの?静かに自問自答。この映画を観たら、簡単にそんなことは言えなくなってしまった。でも、事実、現実は弱者をさらに追い込んだ。そして、追い込まれた弱者がさらに弱いものを見つけて牙を剥いたり、面倒を押し付けるのは、生き物としての本能なような気もする。決して、肯定はできないけれど。
そしてそれは、例えば、正規雇用者を守るために非正規労働者を犠牲にするのだって大して変わらないような気もして、胸がザワザワした。その恩恵の中にいる私も、加害者側の人間と言えるのではないだろうか。ザワザワ…。

多々羅と桐野は、善人か悪人か

あんを最悪な場所から救い出すことに尽力した多々羅と、その多々羅を取材し、友人としても付き合う桐野。二人がいなかったら、あんはまだ、売春と覚醒剤を続けて、ゴミまみれの部屋の中で死んだように生きていたかもしれない。二人といる時の、あんの柔らかな表情が忘れられない私は、他の人ができなかったことをしてくれた彼らに、心から感謝と敬意を表したい。
ただ、人は多面的だ。“いい人”のすべてが“いい”なんてことはありえない。多々羅も実在の人物だと知り、はっきり落胆したけれど、私がそれまでに知った多々羅は確実にあんのヒーローだった。
桐野に対しても複雑な気持ちになったけれど、桐野以上に見て見ないふりをしてきている私に、果たして彼を責める権利があるのだろうか。…否。責めるどころか、桐野は多分、私たち。何かが起きてから後悔するのは、残念ながら人の常。忘れないように繰り返さないように、映画になったのだと思う。

キャッチコピーは“彼女は、きっと、あなたのそばにいた”

この映画のモチーフになった事件は、新聞の小さな三面記事だったそう。誰もが大変だったあの時期、「あんのこと」はその中の小さな事件のひとつだった。私も知らなかったし、きっと触れる機会があったとしても、せいぜい“可哀想に…”と一瞬思って、通り過ぎただけだっただろう。
でも、それに目を留めて、彼女の人生に想いを馳せ、映画にしてくれた人たちがいた。彼女の魂が救われるようにと祈りを込めて、その時、何もできなかった、気づけなかったことに懺悔を込めて、あんの人生に最大限の敬意を込めて。この映画を、あんのことを、私は絶対に忘れない。それが、私のそばに今もいる、あんを見殺しにしないための第一歩だと思うから。

この記事を書きながら、あんのことを思い、自分の胸に強く刻みました。この記事で「あんのこと」を知ってくださったり、観ようと思ってくれる方が一人でもいたらいいな…とほんの少しだけ期待しつつ。


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