見出し画像

悲しみの向こう側

本日、49日の法要が無事に終わりました。
49日間の間に故人が極楽浄土に行けるように7日ごとに法要をする。
という意味合いがあるそうですが、その間に残された家族が故人を偲ぶためにもあると言われています。

忌引きで1週間前後のお休みがあるかと思います。
私は5日間でした。
お葬式まで家族は本当に忙しいのです。
お葬式後も弔問に来て下さった方への対応などで悲しみに慕っている間もないぐらいに忙しいのです。
5日間で悲しめるでしょうか、心の整理が出来るでしょうか。
ですので追加のお休みを希望し17日間お休みを頂きました。
本格的に復帰したのは21日後でした。

このお休みをどのように過ごしたか、どんな事を感じたか記録に残しています。

1,母の残した物との対話


まずは毎日、母の遺品を整理しました。
趣味で使っていた刺繍のカラフルな糸が綺麗な箱に収めてあったり
勤続記念の表彰状などが出てきました。
子育てが一段落すると母は友達と趣味を楽しんでいました。
仕事も頑張っただけ評価されてお金になるから楽しいとも言っていました。
辛い時もあったと思いますが、人生は辛いことがあるから楽しみも倍増するんだよと言っているようです。

生前整理を意識していたのか、私達娘や親戚に少しずつ自分のものを譲っていましたので遺品というものは少なかったのではないかと思います。
ですが日常で使っていた衣類などが沢山残っており、それを整理していきます。
ある日タンスに眠っていた箱を見つけ出しました。
40年以上前の物だと思います。亡くなった祖母が天国に旅立つ際の身支度に使った脱脂綿やアルコールが専用の箱に入ったまま残っていました。
他にも何か入っていたようですが使用されていて無くなっていました。
母はどんな気持ちでこれを捨てずに取っておいたのでしょうか。

祖母は40年以上前に自宅で亡くなりました。母は主介護者として在宅看取りを行ったのです。
この箱に入っているものは今で言うエンゼルケアで使用される物です。
介護保険がなかった時代(往診はされていましたが)、世の中に死後に使用するものが売られていたんですね。
そしてこれを見つけた時に母がどんな気持ちで祖母を介護し看取ったのか
想像していました。

母は実母を幼い頃に亡くしています。
母は祖母を介護することで、実母への気持ちを募らせていたのではないか、子育ての協力をしてくれた祖母に労いと感謝の気持ちを介護として表現していたのではないかと感じたのです。



2,泣きたくなったら泣く


私は不慮の事故で父を亡くしています。
悲しみを隠すように数日したら元気に振る舞っていました。
後々、亡くなった父を想い悩んだ時期もあります。
その事について恩師にアドバイスを求めた時、
「しっかり悲しんでいなかったのではないですか?」
と言葉が返ってきました。
そうなんです。ショックを受けている母を庇うように
私は無理していたと思います。
だから今回はしっかり悲しもう、しっかり泣こうと決めてお休みを頂きました。
私は昼も夜も関係なく泣きました。
家族で看取れたという喜びの気持ちと、後悔の気持ちと、安堵の気持ち
色んな感情が混ざり合って、泣いていました。
仕事に復帰してからも一人になると涙がこぼれます。
悲しみを受け止めて下さる人の前でまた泣いて
涙ってこんなにも出るんだなと呆れるぐらいでした。
時には
「母さん、会いたいよ・・・」
「ごめんね、許してね。もっと早くお家に帰りたかったね。」
と謝罪の気持ちが出てきたりもしました。


泣く事が格好悪いとか、幸せが遠のくとか
そんな風に思う人が少なからずいるのではないでしょうか。
悲しみを紛らわすため、人は感情を押し殺してしまいがちです。
でも、この感情があるからこそ幸せや喜びを感じることが出来るんですよね。
大切な人の死は、人生において大きな悲しみです。
人生でこれほど涙を流すときがあるでしょうか?
悲しみを表現する時があるでしょうか?
人生に彩りを与えてくれる大切な人の死を
偽りのない感情でしっかり表現することが大切だと感じます。
それも、大切な人への感謝の気持ちの現れだからです。



3,悲しみと喜びの狭間に立って


実家から自分の家に帰り、しばらく放心状態でした。
地に足が着いていなくて
私はこの休みが終わったら何処に着地したら良いのだろう?
そんな風に感じていました。

母の死は悲しい出来事でしたが、それと同じぐらい幸せだと喜びを噛みしめていたのです。
こんな感情で良いのかな?私って変なのかな?
母の死を幸せだと感じたのは、家族で母を囲んで感謝と労いの気持ちを伝えたことです。一人一人思い思いの言葉もかけます。
その時間が家族の新しい形の始まりでした。
私自身も新しい私になった気持ちでいました。
兄弟達も同じように思っていたと思います。


母と家族の時間を過ごせたことで喜びの感情もありましたが
同時に母が恋しくて、会いたくてたまらなくて
母のいる天国に行きたいと思う日もありました。
それだけ大切な人の死は大きく感情を揺さぶられるです。

勘違いして欲しくないのですが、
自ら命を絶つとかという意味ではありません。
私がそう思ったのは死を身近に感じる事が出来たからだと思います。
看護師を長年してきましたが、死はどこか他人事でした。

社会復帰して、私はまた大地にしっかり足をつけて、日々を送っています。
私は戻る場所、仕事、やりたい事、待ってくれている人達がいるから
また同じように暮らせる事が出来ています。

介護だけを考える生活を送っていたらどうなっただろうと感じます。
介護だけで悩む日々を送っていたらどうなっただろうと感じます。
家族が亡くなることは、他の生活の一コマと同じように
日常生活の当たり前の光景です。

大切な人の側で介護することはとても幸せな事ですが
人は誰でも平等に死が訪れます。
大切な人の今までの人生を労い愛しむと同時に、
そこから得られる学びやメッセージを自分の人生の糧にして
残された家族はしっかりと自分の人生を送ることが大切なのではないでしょうか。


4,終わりに


今日は久し振りに家族が集まって母の思い出を語り合いました。
生前知らなかった母の事を聞く機会も有り
改めて母の偉大さに気付く事が出来ました。

そして明日は母の日ですね。
自分の気持ちに蓋をせず、恥ずかしがらずに、正直な気持ちを伝えて下さいね。思い出に残る時間になりますように・・・・







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?