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#もにょろぐ お盆の話

スーパーに行ったら、季節ものを置いているコーナーで色鮮やかな鬼灯が売っていました。もうお盆なんですね。

お盆の迎え方って宗派的なものや、ひょっとしたら流行なんかもあるかもしれませんが、地域差が大きいなって感じます。

うちの周辺でのお盆。

数年前に横浜から千葉に引っ越してきましたが、こちらに引っ越してきて初めて金のハスの葉の盆飾りを見ました。家の表、出入り口などに挿してあるりました。当時LET IT DIEというゲームのイベントで金のきのこがダンジョンに生えていたので見るたびに「LET IT DIEのキノコだ……! 経験値!!」と思っていました。最近になってお盆飾りだったんだと、スーパーで見かけて知りました。けっこう挿しっぱなしにするものなんですね。

わたしの田舎では、少なくとも祖父母の家では回転行灯も、ナスときゅうりの馬と牛も、鬼灯も、ハスの葉を飾る習慣がありませんでした。送り火、迎え火用の燃えやすい木は売っていましたが、関東で見かけるものよりもしっかりとした、燃えカスが墨になるような木でした。住宅事情も影響していると思います。焙烙皿という迎え火、送り火の下敷きにするお皿があることを知ったのは「3月のライオン」でした。

現在のわが家がある地域は、帰省してくる人がいる地域のようで、お盆や年末年始は鮮魚店がとても込み合っています。それまで過ごしていた横浜・町田とは人の流れがちょっと違うのを感じています。

もにょのお盆の記憶。

お盆前の準備
8月のお盆です。祖父母の家(青森と岩手の県境が近い港町)では、お盆に入る前にお墓とお寺の位牌堂の掃除をします。位牌堂はいつも掃除が行き届いていてきれいですが、特別な手入れをしに来ましたよ、と埃もついていない位牌を拭きます。位牌は家にもありますが、お寺にも置いています。

ちょっと脱線しますが、もにょの田舎ではお墓に直接骨を納めます。墓石の一部をずらし、ガラガラガラと上から注ぐように骨を納める部屋に入れます。小学生になる前に、一度お墓を立て直しているのですが、その時に古いお墓から持ってきた骨が透明なビニール袋に入っていて、それをさかさまにして注いでいる様子のインパクトが強くて今も忘れられません……。

お盆初日の午前中と最終日の午後
午前中の内にお墓と位牌堂に飾る花を持って、お墓参りとお寺に向かいます。お盆関係ないしにお墓参り、お寺参りは週に一回くらいのペースでしています。親戚が多いので参るお墓も、位牌も多いです。

お墓では迎え火を焚きます。風が強くて火がうまくつかないことも多く、祖父はいつも墓参りにガスバーナーを持って出かけます。力業で迎え火を焚いて、花を挿して、水をかけ、線香を挿して手を合わせます。迎え火を焚くのは自分の家のお墓だけですが、他の親戚のお墓も同じ霊園にあり、5件ほど巡ります。大きな公園の中にある広い霊園で、お墓が密集している場所ですが怖いと思ったことがありません。春には(といっても5月ですが)お花見をするレジャーシートでいっぱいになるような公園です。

お寺では、本堂をお参りしてから位牌堂に向かいます。二階にある位牌堂に向かうスロープには地獄絵図が何枚も飾られています。残忍な描写が多く、子どものころから気になって目が離せない絵でした。
位牌堂に入るとお坊さんの像の前で線香をあげ、位牌の前に置かれた湯飲みの水を取り替え、お供え物をします。置いてもすぐ持ち帰ったり、次に来た親戚が持ち帰るか、数日後にはお寺の方が手入れをしてくれるので「お好きに食べてくださいコーナー」に置かれます。位牌堂は増築に増築を重ねられ、親戚の位牌をすべて参ろうとすると、登って降りて、また登って降りて登って、降りて……。
たかがお墓参りとお寺参りですが結構な運動量だったります。

お盆の昼間
なるべく家にいます。なぜならば、手を合わせに来る親戚がいるからです。特にわたしの子どものころは「お盆だから家にいなくてはいけない」とどこにも遊びに行けませんでした。海も「盆波がくる」と言われて行けなかったです。曽祖父が14人兄弟の長男で、その兄弟たちやその家族が挨拶に来る家でした。お盆や年末年始はお客様が多く、挨拶をしてお茶を出したり、食べるものを出したり。どの人にもよくかわいがってもらえました。「でかけられなくしてごめんなぁ」と、事情を察してくれる人もいました。「花火代」とお年玉と同じ程度のお小遣いをいただいていたので、最近の子たちがもらっているお盆玉の風習にも心当たりがあります。花火の入った大きなバッグをもらうこともありましたが、そのうえで花火代をいただいたので、子ども心に「花火代ってなんだろう」って困惑していました。馬鹿正直。実際はお金を使う度胸のない子どもだったので貯金していましたが、どうやら生活費になっていたようです(あるある)。

お盆の夜
夜はお盆の間、ずっと同じ過ごし方だったような気がします。うろ覚え。
祖父母の家では玄関の石の上に直接、新聞紙や松ぼっくりなんかの燃えやすいものを中心に置いて木を組みました。火が木に燃え移るのには少し時間がかかります。しっかり空気を吹いて送り込み、火が育つのを眺めるのが好きでした。火がしっかり燃え広がると、花火をして、燃え尽きるのをゆっくりゆっくり待ちます。そうして消えたらおしまい、なんですが祖父は燃え残りを嫌って、終わりが近づくとガスバーナーで焼き尽くします。夜道で見かけたくないジサマだなってよく思っています。ガスバーナーへの信頼が厚い。

特別のいいものを食べたりしていた記憶はありませんが、港町なので毎日魚が出ました。焼き魚とお刺身とか、そういう組み合わせも。祖母が給食の調理師だったので、なんでも作ってくれ、なんでもおいしかったです。

お盆最終日
送り火を焚きます。毎日火を焚いていた記憶がありますが、本当はお盆の初日と最終日だけでよかったんじゃないかな、子どもに花火をさせるために絶いていたのかもしれないな、と今になって思います。
お盆最終日は、「背中当て」と呼ばれる小麦粉を練って伸ばしてサコッシュ状にしたものをお供えします。たくさんのお土産を持ってあの世に戻れるように鞄を持たせるらしいです。ナスの牛と似た発想。

おしまい。

以上がわたしの経験してきたお盆です。
例えば落雁をお供えしたり、お盆特有のお菓子があったりもしません。だから、鮮やかな鬼灯や、金色のハスの葉の飾り、光る回転行灯なんかを見るととても賑やかでお祭りのようだと感じます。

祖父母や家に仏さまがいないとなかなか自宅でいわゆるお盆を体験することはないかもしれません。祖父母の家での記憶のほかは、何もした記憶がないです。

ということは、お盆に関する商品を手厚く扱っている地域は墓守をしている年配者が多いのかもしれません。わたしが知らないだけで、仏様のいないおうちでもいろいろするのかな。どうなんだろう。

去年は帰省しましたが、今年はとても怖くて帰省できないので家にいます。遠出するのが怖いというよりも、自分たちが祖父母に新型コロナを持ち込んでしまったら、悔やんでも悔やみきれないので。命が大事。会いたいけど。今年祖父は90歳になりました。まだまだ長生きしてほしい。ひ孫にあたる息子のランドセルを背負っている姿を見てほしいです。曾祖母はわたしが高校を卒業する直前まで存命だったので、そのくらい長く見守ってくれるといいなと思います。


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