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ヘドウィグ2022個人的総括

2回目の観劇3/4 17:00公演と、2回の観劇を通して感じたことなどなど。
ヘドウィグフィーバーが自分の中で収まりつつも、生活のふとした瞬間に彼女のことを思い出します。

3/4 17:00 Zepp Divercity Tokyo

2回目だったので細かい演出などは省きますが、前回は気づかなかったこと、この回のアドリブなど。(1回目の観劇の感想などはこちらhttps://note.com/my_heaven_8/n/n8127ae63d7ab

ちなみにこの回の席は真ん中より後ろめで、小柄な私には少し見づらかったです。それでも全く見えなかったというわけではなく、前の方々の頭と頭の間から満足できるほどにはしっかり見えました。

舞台の流れに沿って、思うことがあった点のみについて書いていきます。

まずは、origin of love。
ヘドウィグの中で、私がいちばん好きな曲。相変わらずの神々しさ。神の言葉では声を変えたり、手振りで歌詞を表現したり、(他のレポを見ると)歌い回しが変わったりしていましたね。1回目の観劇の後にJCMが演じる動画をいくつか見たけど、JCMと丸ちゃんのヘドウィグで重なる部分がいくつかあった。たぶん丸ちゃんもそういうのを見てたくさん研究したんだろうな、それらを吸収して、いろいろ試してきたんだろう。
ただ1つだけ気になったのが、サビ前。映画のサントラではタムがドンドコ鳴っているけど、舞台ではサビに向けて盛り上がるようなアレンジになっていた。個人的にはそこのタムで雷がゴロゴロしているようで好きだけれど、これはこれで丸ちゃんのorigin of love、という感じがして好き。
この曲の中でいちばん好きな、"Last time I saw you, we just split in two"から最後までの部分。歌詞が好きだし、ここの仕草が本当に切なかった。好きすぎて1日に5回は自分でも口ずさむけど、頭に浮かぶのはいつも舞台でのヘドウィグ。心が少しだけキュッとなる。2つに裂かれ、片割れがいると信じていたヘドウィグ。悲しくて、切なくて、愛おしい。
この曲ってただプラトンの『饗宴』の内容を語っているだけのはずなのに、こんなにも心が絞めつけられるのはたぶん、ヘドウィグがすごく悲しそうな顔をして歌うから。

デスマスクのシーン。歌い終わってしっとりしてるシーンだけど、急にヘドウィグが
「もうずっと気になってたから言っちゃうけどさ、」
と急に関西弁で話し始める。
なんと、つけまつげが取れかけていたらしい。しかも序盤から。
「見てこれぇ、なんなんもう〜」
と、前に座っているお客さんに見せながら、"舞台には魔物がいるっていうけどここ(凱旋公演)まできてやんなっちゃう"といったことを、コテコテの関西弁で言う。会場は大爆笑。愛おしいね。
イツハクに乱暴にその場を任せて、自分はつけまつげを直してもらいに裏へ行ってしまう。あまりにも急で戸惑うイツハクだったけど、そうこうしているうちにすぐに戻ってきた。これだから舞台は楽しい。

一気に場面はとんで、Exquisite Corpse。好きなシーンのひとつ。
魂の叫び声が聞こえた。奪われ続けて、空っぽで、痛々しいヘドウィグ。すごく激しい曲なのに、なぜか涙が出た。

最後、イツハクにウィッグを被せるシーン。
震えた。ヘドウィグが自分を受け入れた瞬間で、だからこそ同時にイツハクをも認められた瞬間。

そこから、Midnight Radio。何度聴いても、"rain falls hard"が深すぎる。そこに全身全霊かけて練習してきた…?と思うくらいには深い。そこに宿ってる思いが重すぎる。

この回では人物・舞台の細かいところまでは見えなかったけど、その分全体を見ることができた。(何度か前の人の頭とかぶって、choo choo trainみたいになってたのはここだけの話。後ろにも人がいたので、ちゃんと途中で諦めました。)
特にトミーとヘドウィグが会話してるシーンでは、黄色と青の照明がそれぞれヘドウィグの片側に当たってて、それに対応してヘドウィグも体の向きを変えながら話していた。

1回目の観劇と大きく印象が変わったのは、沈黙が多かったところ。
トミーとの回想シーンや、ラストのイツハクにウィッグを被せて背中を押すシーン。観ているこっちが”ヘドウィグは今どんな気持ちだろう”と、心の中でぐるぐるぐるぐる考えてしまった。まんまとやられた、、という感じ。

総括

2回の観劇を通して感じたことや、映画やサントラも含めて、ずっと思っていたことなど。

まずはメイク。
映画のヘドウィグも丸ちゃんのヘドウィグもそうだったけれど、片眉の眉頭がクッと上に上がっていて、世の中への猜疑心とか怒りとかが顔だけで伝わってきた。

wig in a boxの歌詞、"turn on the 8 track"。
ヘドウィグの映画・サントラ・舞台の中でいちばん最初に触れたのはサントラだったけど、この歌詞を聞いた瞬間から、丸ちゃんはヘドウィグに導かれたんだと思った。ただの偶然にすぎないだろうけど、丸ちゃんがヘドウィグを演じたのはきっと必然だったんだね。

そして、丸山隆平について。
私は丸山担ではないけれど、彼のお顔も歌声もすごく好きで。だけど、幸か不幸か丸山さんがヘドウィグにハマりすぎていて、(1回目の観劇で)2列目という恐ろしい近さでみてもそこにいるのが丸山隆平という実感が本当に持てなかった。普通にミュージカルとして見てしまった。
本当に綺麗だった。見た目もそうだけれど、不安定で、いろんなものの間に立って揺れ動く彼女が、私には煌めいて見えた。

何者にもなれなかったヘドウィグは、何者でもないまま叫び続けるのは間違ってないと悟って、最後ひとりで裸で歩いて行く。
そんなはぐれ者のヘドウィグに、どうしても関ジャニや丸ちゃんを重ねてしまう。外からやいやいたくさん言われて、時には孤独だけれど、間違いなく唯一無二の光を放ってる。

3/6の大千穐楽が終わる時間、レポが待ちきれずTwitterを開いていた。公演が終わったであろう頃、何気なく目に入った
「ヘドウィグ 3/6夜公演 終演」
というツイート。感情より先に涙が出た。

思えば、本当に厳しい状況だった。公演が続く1ヶ月間でさえ、完走できるかわからなかった。涙が出たのはたぶん、それを乗り切ったエンターテイメントの尊さへの感動と、あの唯一無二で輝くヘドウィグにはもう会えない寂しさ、悲しさから。この時代に最後まで走り抜けられたことが奇跡のようで本当に嬉しく、けれど終わってしまうことが同じくらい悲しかった。
こんなにも心動かされるエンターテイメントを最後まで届けてくれた丸山さんはじめ、ステージに立った方々、スタッフのみなさんには本当に感謝しかない。


全ての公演が終わってから、緩やかにヘドウィグを引きずっている。
それはきっと、最後のヘドウィグがひとり歩いてゆく後ろ姿を、私もひとりで追っているから。
彼女のいつ訪れるかわからない幸せを願いつつ、同じ道ではないけれど、私自身も薄暗い道をひとりで歩いている。
生活のふとした瞬間に、彼女を思い出す。真っ暗なコンクリートの帰り道。トイレに入っているとき。そういえば丸ちゃんヘドウィグのお尻は無事だろうか。あとは、夜、小さく縮こまって眠りにつく瞬間。
きっと、私にとって長く寄り添ってくれる作品になるんだろう。


ありがとう

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