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丸山隆平"Hedwig and the Angry Inch"を語る

2/7 14:00公演。ネタバレ、感想、個人的な考察たっぷり。あらかじめ映画をみて曲を聴き込んでから行きました。


はじめに

ずっと頭から離れなかったヘドウィグ。元々ドラァグのような中性的だったり性別なんて関係なかったりする世界観が好きな上に、初日から良いレポしか上がってこなかった。3月の公演ひとつだけはすでに決まっていたし、自分自身忙しい時期でここ数ヶ月廃人のような生活をしていたからやめたほうがいいかもしれないと思ったけれど、ポスターの丸ちゃんのビジュアル、映画の内容、Twitterのレポにどうしようもなく惹かれた。1回だけじゃ足りない、満足できない、今の私に必要なのはこのエンターテイメントかもしれないと思い始めていた。そこに舞い込んできた追加チケットの知らせ。ダメもとでチャレンジしたら、2日後のチケットが取れた。平日が休みの大学生でよかったと心から思った。

席は前から2列目、いちばん端。見切れ席というやつだろうか。自分が思っていた以上に乱視がひどく、ステージ上の全てが二重に見えていた。けれど低身長なのに幕張の制作開放席でモニターばかり見続けていた8beatに比べたら最高の席だと思った(8beatもそれはそれで最高だったけれど)。


開演前

開演前のステージ。

"HEDWIG'S BRAIN INSIDE"

の文字と、それに背中合わせに置いてあり、セットのショッキングピンクとはおよそ相反する

"FRAGILE"

の文字。これから見せられるのはヘドウィグの弱い一面か、と知らされる。

ミュージカルで推しだけをみるのは作品に失礼だと思ったから、色眼鏡はかけないようにしようと自分に誓っていた。(はじめは丸ちゃんだけを見ようとしていた。)

いざ開演すると、自然とヘドウィグに引き込まれた。意識的に丸ちゃんであることを忘れようとしていたくらいなのに、そんなことは杞憂だった。そこには筋骨隆々ながらもスラっとした大柄な女性、ヘドウィグがいた。

(開演直前、セットの後ろにスタンバイする丸ちゃんが見えた。ショーが始まる、という緊張感と、この時代を生き抜くエンターテイメントに感極まった。)


Tear Me Down

壁を象徴するマントを背負い現れたヘドウィグ。ひらひら、バサバサとマントを翻し、叫び、歌っていた。綺麗だった。途中、マイクスタンドを倒してしまってマイクをステージの下に落とした。たぶんトラブル。ひらりとステージ下に降り、ふわりとまた戻る。そこにいた観客に、"あら、ごめんなさいね"とでも言っていそうな表情と仕草。綺麗だった。

"あたしがいなけりゃあんたたちは何者でもないのよ!"

という強い言葉に心の中で激しく頷いてしまったのは、東と西、男と女の間にいるヘドウィグと、同時に光と闇の間に立つ"丸山隆平"が見えたから。明るいところも暗いところも、強いところも弱いところも、全て見せてくれるあなただから。あなたがいなかったら、私はこんなに頑張れていないから。

ふと気付いた。バンドが最高だ。スピーカーの目の前の席で、バスドラムとベースは身体に響いてくるし、ギターの音もキーボードの音も全てよく聞こえる。ロックバンドの物語だけあって、やはり抜かりない。ギターソロなんて超絶だったし、激しい曲ではメンバーがステージ中央や前方に出てきて、ヘドウィグやイツハクと共に頭を振っていた。私のまわりでは体を揺らす人はいなかったが、私は我慢できなくて思わず頭を軽く揺らしてしまった、揺れてしまった。音楽は楽しんでなんぼだ。


The Origin of Love

ティーザーを見たときから好きになった曲だ。ヘドウィグが子供の頃、母から聞かされたプラトンの「愛の起源」の話。何となく知っていたけど、これを機にしっかり読んだ。

3つの性別があった古代。神の怒りをかってふたつに裂かれた人間。その様子を歌うヘドウィグは、神々しささえあった。神に引き裂かれたのに。綺麗だった。あなたの片割れは、本当にどこかにいるのかも。


トミーを語る

両親に何か言われ荒れているトミーを抱きしめたという場面、

"あたしはそんなふうに抱きしめられたことなかったけど"

と、自虐のように微笑みながら寂しそうに言うヘドウィグ。悲しかった。これまでたくさんの人に触れられてきたと言っていたのに。(けど、自分がずっとしてもらえなかったことを人に与えられるってすごいことだ。ヘドウィグの懐の深さを感じた。)

トミーと手を重ね片割れを実感した瞬間を語るとき、ヘドウィグは泣きそうだった(泣いていた?)。その瞬間がずっと忘れられないから、"笑ってないと泣いちゃう"し、"泣いてないと笑っちゃう"んだろう。ヘドウィグにとっては本当に運命的だったんだ。


Exquisite Corpse

"コラージュ!"、"モンタージュ!"と叫ぶこの曲。劇中でいちばん激しいんじゃないかと思う。バンドの方々も暴れ回っていて、ヘドウィグを目で追いながら耳がついつい音に持っていかれて忙しかった。もし巻き戻せるならあそこの音楽をじっくり聞いて、また巻き戻して今度はヘドウィグの動きだけを見て、また巻き戻して今度は俯瞰したい。それくらい印象に残ったシーンだった。

そして何よりも記憶に残っているのが、頭の中でいろんな記憶が混ざり合ってカオスになって、ヘドウィグが暴れ回るシーン。あんなに綺麗なヘドウィグが、ウィッグを投げ捨て、自分のドレスを剥ぎ取り、キラキラのブーツを乱暴に脱いだ。なかなか脱げないブーツがもどかしそうだった。"丸山隆平"が、少しだけ見えた。彼もこんなふうに暴れまわりたい夜があったのだろうか、全部全部全部全部投げ捨てて、どうにかなりたい夜があったのだろうか。


最後のMidnight Radio

まずは声の話から。
丸ちゃんの低音の深さがすごくよく伝わってきた。含みがありすぎて、底が見えないくらい深い。この人の声が好きだ。冒頭の"rain falls hard"が忘れられない。ヘドウィグも、丸ちゃんも、きっと雨に打たれてひとり立ちすくむ瞬間があったんだろう。

そして、舞台序盤では少し小さいかな?と思っていたイツハクの声もこのときにはヘドウィグと同じくらいの音量で、さとうさんが意図的にそうしているのか、音響の意図なのか、はたまた私の耳が狂っているのかはわからないけど、ヘドウィグの物語であると同時にイツハクの物語であるとも悟った。(上にはあまり書かなかったけど、さとうさんもすごく良かった。セリフは少ないけど表情で感情を語ってくれたし、ホイットニー・ヒューストンの歌のときだって普通に感動した。)

この場面、最初はよく分からなかったけど、たぶんヘドウィグにとってもトミーにとってもお互いは"片割れのような"存在で、でも本当は片割れなんてこの世にはいなくて(もちろんイツハクも)、けれど真夜中のラジオのようにひとりで立ってずっと何かを伝え、ロックのように激しく叫び続けてた。ある意味では諦観のような、そんな孤独を受け入れたように感じた。

たくさん笑って、泣いて、怒って、ありのままを愛してほしかったね、誰かが隣にいても孤独だったね…

"Know your soul"

最後にヘドウィグはどう思った?中途半端な身体を持ちながらも自分ひとりで完全体だと悟って、寂しいと思った?それとも納得して受け入れた?


終わりに

終演後の帰り道、西日がさす都会の街を、ヘドウィグの孤独を想ってべそべそしながら歩いていた。

と、ここまでついつい悲しいところばかり見てヘドウィグに寄り添ってしまったけど、丸ちゃんのトークショーに来たのかと思うくらい面白い時間もたっぷりあって本当に爆笑した。大声で笑うのははばかられたけど、代わりにバンドメンバーさんたちが何度も爆笑してくれたからすごく楽しかった。

それにキュートで色気のある喋り、仕草。ビジュアルは言わずもがな、広い肩に筋肉の付いた腕、それとは相反するスラリとのびる長い脚とそこについた小さなふくらはぎの筋肉。照明に照らされて発光するすべすべの白い肌。丸ちゃん自身身長が高い上にブーツを履いて、さらにさとうさんが小柄だったから丸ちゃんがすごく大柄に見えたけど、このアンバランスさがどうしようもなく好きだ。この不完全さが完全だ、と思う。

ヘドウィグを生きながらもそれを演じる"丸山隆平"を覗かせるステージ、改めて丸ちゃんの人間の深さを感じました…恐ろしい人を好きになった…

丸ちゃんの光も闇も全部全部見せてほしいと思うけど、きっと市井に生きる私の視界では捉えきれないほど、明るくて暗いんだろう。けれどその恐ろしさをこうしてちらりとでも見せてくれるのが本当に嬉しい。丸ちゃんの大切な日では食に気を遣っているのがよくわかる。ワンパックの丸ちゃんも愛おしいし美味しいものをたくさん食べてほしいと思うけど、役柄的にそういうわけにもいかないのだろう。

公演が続くのはちょうどあと1ヶ月くらいか。丸ちゃんも、ステージに立つ方々も、スタッフのみなさんも、どうか無事で、エンターテイメントを届けてほしい。私がどうしようもなく心打たれたように、求めている人がきっと全国にいるから。


おまけ〜忘れられないシーン〜

・語り途中、俯いたときに顔に影を落とすバサバサのつけまつげ
・歌のフレーズとフレーズの間、マイクから一瞬顔を背けたときの表情
・キラキラとそこら中に反射するブーツと、そこからのびて軽快に舞う真っ直ぐで長い脚
・水分補給をしているとき、なんだかこちらをじっと見つめていた(気がする)(たぶんオタク特有の勘違い)

一瞬一瞬が美しかった


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