のろい

これはある種の「呪い」なのだろう。


自分がどんな人間なのか、

自分が何をやりたいのか、

そんなことを考える時期がやってきた。


自分のことを知るということは、

案外「負」の側面が大きかったりする。


自分が何者でもないことを実感させられるからだ。


私は何者でもないのに、

自分の性格や志向に縛られて物事の価値判断をしてしまうからだ。


新しい価値創造、革新的、挑戦的、柔軟性……

そんな言葉たちに、私の未来は縛られている。


無意識に他のものを排斥し、自分の求める(らしき)将来像を形成する。

それは、精神に病をもたらすほどの鬱屈した自我のあり方とよく似ていて、私を行き先の決まった列車に固定しているようなものである。

しかしどうやら私はそのことに気がついていないらしい。


自分を知ろうとすることで出現した、その過剰で端的な自己表現のピース。

着々とパズルは完成に向かっていく。


そんな「呪い」から私は抜け出せないでいるのだ。

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