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【短編】音の三部作「三日月コイン」

「チャリン・・・」

深夜のアパート、ドアの外でコインが落ちるような音が響いた。

その日は記録的に続く熱帯夜に、頼みのエアコンがダウンしとても寝れたものじゃなかった。俺は疲れた体と格闘しながら、なんとか寝ようと頑張っていた。

そんな時、ドアの音で確かにコインの音がした…。しかし、誰も外に居るような気配はない。

「変だな、何でコインの音だけ?」

目覚まし時計を見ると、時計の針はもう深夜の2時過ぎを指していた。

「こんな夜中に・・・。」

このまま頑張ったところで当分寝れないなと、俺は諦めてていたところだったので、気になっているドアの外の様子を見てみる事にした。じっとりと汗ばむ重い体を引きずるように立ち上がると、俺は部屋を出てゆっくりとドアに近づき、ロックを外しドアノブを回し、ドアをゆっくり押し開けた。先ず、ドアの隙間から顔を出して外の様子を窺がってみた。誰も居ない事を確認し、改めて、開けたドアの下の辺りを見た。すると、変わった形のコイン?のようなモノが落ちていた。

そのコインらしきものを手に取り、微かに室内から漏れる明かりに照らしてみると、それは三日月の形をした金貨だった。見れば見るほど不思議な形をしたコイン・・・。俺はしばらくの間、魅入られるようにそのコインを見つめていた。すると、耳元で確かに声がした。

「三日月コイン・・・」

はっとして、俺は物凄い速さで振りかえった。しかし、そこには俺の一人暮しの淋しい部屋が、シーリングライトの灯りに照らされて広がっているだけだった。

「誰も居ない・・・よな・・・」

俺は気味が悪いというよりは恐怖感に捕らわれ、慌ててドアを閉めロックをかけた。俺はゾクッとする悪寒に襲われた。そして、恐怖感に煽られるようにすぐに部屋の中央まで駆け込み、そのまま飛びこむように自分の体温の残るベッドに潜り込むと、熱帯夜にもかかわらず布団を頭から被り、只々ひたすらに自分が眠りに落ちるのを待ち続けた。

昨晩の熱帯夜の余韻が残る6時半、いつもの朝と同じように目覚ましのベルがけたたましく鳴り、寝不足にぐったりしている俺を叩き起こした。布団から手を出し目覚ましを止めると、いつもの様に2,3分くらいぼおっとした後、ぐっと気合を入れて布団を跳ね除けて起きた。次に、飛び起きるようにベッドに立ち上がった後、大きく背伸びをした。2,3回、頭を左右に振り首を鳴らすと、ようやく頭が目覚めてきたような気がした。続けて、毎朝する順番に従って先ずは顔を洗おうと洗面に向かった。水道の蛇口を捻り、勢い良く冷たい水で顔を洗い、続けてタオルで顔を拭き、大きく息をつき鏡を覗いた。鏡に映った俺の顔は、寝不足と連日の熱帯夜の疲れとで少しむくんでいた。

「相変わらず、さえない顔してるぜ」

苦笑いを浮かべながらそう呟いて、着替えるためにベッド横に在るグローゼットのところまで移動した。と、そこで、ベッドの上に三日月の形をした金貨が在るのが目に入った。

「おいおい、夢じゃなかったのかよ・・・」

そう思った途端、昨晩の悪寒が少し蘇り、室温は30度近いというのに鳥肌が立つのが判った。とその時、オーディオのタイマーが入り、最近のヘビーローテーションの曲が7時になった事を告げた。

「いけね、今日は8時には入らなきゃまずいんだ。」

と、今日は10時からの役員プレゼンの前に、課長と俺とで事前の確認をする事になっていたんだと思い出した。俺は慌てて着替え、冷蔵庫から朝食代わりのゼリーを取り出し、それを口に咥えると鞄を手に部屋を飛び出した。

眠気をこらえながらいつもより早い時間に会社に着くと、先ずはプレゼンの資料を確認した。時計を見ると、課長との約束の時間には30分の余裕があった。

「課長が来る前に、必要部数分の資料のコピーの用意と会議室のセッティングくらいは出来るな。」

資料の準備と会議室のセッティングを終えた俺は、まだ、エアコンの効いていない社内で少し汗ばみ喉の渇きを覚えた。エレベータで最上階まで上がり、ジュースの自販機に辿り着きスーツの内ポケットの財布を探った。

「あれ?ない・・・」

慌ててパンツのポケットを探ったがそこにも財布はなかった。俺は、たかがジュースの事だが寝不足なせいもあり、疲れがどっと吹き出てくるような倦怠感を覚えた。がっくりとしながらエレベータに乗り3フロア下の自分のデスクへと戻った。席に戻った俺は鞄を開け財布を捜した。しかし、そこにも財布はなかった。そういう事だ、朝に慌てて家を出た俺は、今日は財布を忘れちまったって事だ。

「おいおい・・・今日は財布なしかよ、これじゃ昼飯も食えねえよ。誰かに借りるしかねえわな。」

俺は独り言のように呟き・・・

今思えば、これが全ての始まりとなる朝だった。

この日のプレゼンをそつなくこなした俺は、同じ課の後輩に金を借りて昼飯は済ませた。午後になり、今日の資料をまとめ直しの作業と、担当役員が社長に決裁を貰うために必要となる補足資料の作成を課長から任された。しかも、今日中に仕上げ、明日の朝にはもう一度打ち合わせをすると言うのだ。帰宅するのは日付が変わってからだなと諦めた俺は、気合を入れて仕事に取りかかった。

時計の針が12時を回った頃、ようやく資料作成を終えた。もう終電もないため、俺は疲れた体を引きずりながら会社を後にし、タクシーを拾って家路に着いた。途中、家の近く迄来た所で空腹感を覚えた俺は夕食を口にしていない事に気がついた。コンビニが見えた所でタクシーを止めて貰い、運転手に少し待ってくれるように言ってコンビニの店内へと入っていった。

一通りの食料と飲み物を籠に詰めてレジに行った俺はそこではっとした。俺は今日は財布を持ってないんだ。それでも、諦めきれずポケットを探り札でもないかと無駄な努力をしてみた。すると、部屋に置いてきたはずのあの「三日月コイン」がパンツのポケットに入っていた。

「あれ?今朝、会社で探った時には入ってなかったはずだぞ・・・」

そう小声で呟きながらレジの店員の方を見た。先程からじれったそうに俺を見ていたフリーターらしい男の店員。冗談半分で俺はそのコインをポケットから出し店員に差し出した。

「これ、使えない?」

そう言ったものの、ふざけるなとでも言われるんだろうなと思っていた俺に、その店員は意外な反応をしたんだ。

「三日月コインからのお預かりで宜しいでしょうか?」

確かに、店員はそう言った。あっけに取られた俺が

「は?はい・・・」

やっと、それだけ声に出すと、店員はレジを叩きレシートとお釣りを俺に差し出した。予想もしなかった展開にあっけに取られながらもお釣を受け取ると、そこには9万8千27円あった。買い物の金額を差し引くとコインの値段は10万円と言う事になる。これで、間違いないのかと店員に尋ねると、何を言っているんだという顔で、間違い有りませんとだけ面倒くさそうに言い返された。俺はぽかんとした顔をしたまま、コンビニを出て、待たせていたタクシーに乗り込んだ。そして、タクシーの運転手に

「三日月コインって知ってるか?」

と尋ねてみた。すると、運転手も何を言ってるんだという顔をして

「当たり前でしょう」

とだけ言い放った。知らないのは俺だけか?俺の知らない間に、記念コインでも発行されたのか?などと考えつづけているうちにタクシーは俺の家に辿りついた。俺は先程のお釣りでタクシー代を支払うと車を降り、自分の部屋へと入っていった。

家に帰った俺は、一体どういう事かとひたすら考えてみた。しかし、答えなんて物が出てくる筈もない。判っている事は突然降って湧いたように三日月の形をしたコインが俺の前に現れ、そいつが使えたという事。それと、そんなコインは俺の記憶の中ではこの日本で発行されていない筈だという事だ。

そんな事を考えつづけているうちに、またしても時計は午前2時を回っていた・・・

と、その時

「チャリン・・・」

確かにドアの外でコインが落ちるような音が響いた。俺は反射的に部屋を飛び出していた。深夜にもかかわらずドアを勢い良く開け放ち、ドアの外を見渡した。やはり、昨日と同じように誰の姿もなく、足音さえも聞こえなかった。そして、ドアの下を見ると昨日と同じようにコインが落ちている。俺はそれを拾い上げた。拾い上げたそれは昨日よりも少し大きな三日月の形をしていた。

「少し大きくなった三日月コイン・・・」

俺の耳元で昨日と同じ声が聞こえた。俺はすぐに振りかえったが、やはりそこには誰も居ない。気味の悪さは増すばかりだ。誰が何の目的があってこんな事をしているのだろうか?

この後、毎晩続けて午前2時になるとドアの外でコインの落ちる音がした。そして、俺が表に出るとそこには毎晩少しづつ大きくなって行くコインが落ちていて、そのコインを拾って手に取ると、必ず耳元で毎晩同じ声がささやくのだった。それと、コインは大きくなるに従って、その価値も大きくなっていった。ある時は100万もする時計の代金として。次の晩には、500万円以上もする車の代金としてそのコインは使用できた。そして、コインを差し出した相手は驚きもせずに応対するのだった。また、使い方も様々で、半月を超えた大きさのコインを宝くじ売場で外れ券と一緒に差し出した時などは、1等前後賞の当選者として扱われ俺はそれまで見た事も無いような大金を手に入れたこともあった。

始めのうちは気味悪がっていた俺も、段々と午前2時を楽しみに待つようになった。そして、手に入れたコインによって次々と大金を手にするうちに、コインの使い方も段々と大胆になっていった。誰が何の目的があってこんな事をしているのかは相変わらず判らなかったが、幸運を手に入れ続けている事だけは事実だった。俺はその幸運に溺れていった。大金を手に入れ、生活に不自由しないどころか欲しいものが何でも手に入るようになった俺は、会社にも行かなくなりでかい買い物を繰り返していった。

そして最初のコインを手に入れてからちょうど15日目の夜だった。時計の針が2時を過ぎると何時もの様にドアの外でコインが落ちる音がした。そして、俺が表に出るとそこには満月の形をしたコインが落ちていた。これまでと同じように耳元で声がした。

「満月コイン・・・」

今までだったらそこで終りなのだが、その日に限ってはその後に小声で何かを続けて言っていた。しかし、続けての言葉がある事を予期していなかった俺はその小さな声を聞き取る事ができず、その後、誰もいない空間に向かい何度か聞き返してみたが、何の反応も返ってはこなかった。

翌朝の俺は手に入れたコインを持って何時もの様に街に出掛けた。街に着いた俺は、コインの使い道を考えながらぶらぶらと歩いた。すると、俺の歩いていた方向に100メートル位先のほうで10階建てくらいのビルの前に人垣が出来ているのが目には入った。どうせ暇だしなと思い、俺は小走りにその人垣に近づいて行った。

近くまで着てみると、人垣が出来ている理由が判った。どうやらビルから一人の女が飛び降り様としているらしいのだ。そこには、女を必死になだめすかそうとしている者、ただの見世物でも見るかのように取り囲んでいる者など、何十人もの様々な人間が集まっていた。そういう俺も、興味本位にその人垣に加わり上を見上げてた。事態を少しでも把握しようと、回りから漏れ聞こえてくる野次馬の話に耳をすませたところおおよその話が判って来た。どうやら、ほとんど治る見込みの無い病気に冒され長い間入院していた女が、長年の闘病生活に絶望し自殺を図っているらしいのだ。良く見れば、女が飛び降り様としているのは病院の建物だった。

やがて、周囲の必死の説得にも関わらず女は群衆が見守る中、崩れ落ちるように飛び降りた・・・。悲鳴が響き渡った瞬間、鈍い音がし女は道路に落ちた。道路に落ちた女の体からは、おびただしい血が流れ出し、女はぴくりとも動かなかった。どうやら即死のようだ。その時、病院の関係者らしき白衣の男が女に駆け寄り、その体を起こした。俺の方に女の顔が見えた瞬間、そのあまりに物悲しい死に顔に、俺の胸は張り裂けそうなほどに苦しさを覚えた。

次の瞬間、俺はその場を飛び出し女の元へ駆け寄り白衣の男を押しのけ、ポケットに持っていたコインを掴み出した。そして、祈るような気持ちで女の胸元にそのコインを押し当てた。すると、奇跡のように女は息を吹き返したばかりか、その顔色は健康な人間そのものの色になり笑顔を見せた。

と、そこで俺は目を覚ました。え?目を覚ました?ベッドに半身を起こして辺りを見渡すと、時計が目に入った。その時計は午前2時を指し、深夜にも関わらず熱帯夜は俺の体にまとわりついていた。そればかりか、時計の日付は15日前を示していた。

「夢?か・・・」

俺はあまりにリアルな夢に、心臓が高鳴りを続けていたままだった。ちょっと、気分を落ち着け様と冷たいものでも飲もうかと、ベッドから抜け出し冷蔵庫へと歩いた。冷蔵庫のドアを開けミネラルウォーターを手に取った時、冷蔵庫の灯りに俺の手が照らされた。その手はべっとりとした赤い血にまみれていた。はっとした俺の耳元で何かが囁いた。聞き覚えのあるあの声だ。

「今回は俺の負けだ・・・」

はっとして、俺は振りかえった。すると、天井の方から1枚の紙がひらひらと舞い落ちてきた。その紙を手に取った俺は、紙に何かが書いてあるらしい事に気付いた。部屋の明かりをつけその紙を見ると。そこには三日月コインの事がびっしりと書かれていた。簡単にその内容をお話すると

「15夜に渡って届けられる三日月コイン。1夜毎に大きさを増していくこれと引き換えに、その所有者は自らの望む物を手に入れる事が出来る。その対象物は金品とは限らない。また、手に入れられるものの大きさもコインが大きくなるに従い高価なものとなっていく。しかし、このコインを15夜に渡り私利私欲のためだけに使いし者は、最後の満月コインを使用した時にその魂を悪魔に引渡し命を失う事になる。逆に、コインを自ら以外の者のために使いし場合は、コインを使い誘惑せし悪魔を追い払いその後の生を全うする事が出来る。その時に対象者は、最初の三日月コインを手にした時間まで遡る事になる。また、他人のために施したコインの効果に限っては、その後も永遠に有効となる。」

以上のような内容の文面だった。俺は一通り読み終えると、ぎりぎりのところで助かったんだという安堵感を覚えた。と同時に、俺が救った女のどこかで今も息づく命を感じ少しばかりの幸福感を感じその場にへたり込んだ。そしてミネラルウォーターを口にすると大きく息をついた。15夜目の聞き取れなかった言葉はきっと「今日で最後だ・・・」とでも言っていたのだろう。

俺の話はここまでで終りです。

もし、皆さんの前に三日月コインが現れたとしてら、決してそれを自分のためだけに使ってはいけません。これだけはご忠告しておきます。くれぐれも自分のためだけに使ってはいけません。お忘れなく・・・

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