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【短編】夢のかけら

親類縁者もすっかり帰り、さっきまで兄貴の遺影の傍で散々泣き濡れていた母親も、もう泣き疲れたのだろう、20分位前に父親とともに寝室へと向かい、この部屋を後にしていた。
夜もすっかり更け誰もいなくなった部屋に一人・・・。一体、俺は、何年振りにこの家に帰ってきたのだろう・・・

この世に真実を伝えるジャーナリストになりたいという夢を追いかけるために、家出同然でこの家を飛び出してからもう10数年が経ってしまっていた。

その昔、父親の勤める食品会社で、宿直の社員が殺されると言う事件が起きた。その殺人事件があった夜、やり残した仕事を片付けるために一度帰宅の後、再び会社へと戻った父親は、第一発見者として警察に通報した。父親は捜査が難航する中で、先走った某新聞社により犯人扱いを受け、実名入りのの報道を受けた。その後、父親は証拠不充分という事で容疑者リストから外れることにはなるが、結局は犯人は見つからず、そのまま事件は迷宮入りしてしまった。父親はといえば警察の容疑者からは外れたものの、真犯人が見つからない中では世間の疑いは晴れぬままで、その後の人生を不遇なままに過ごす事を余儀なくされてしまった。

そんな父親と、その父親と共に苦労を重ねてきた母親からは、とうとう俺は新聞社に入ることを認めて貰う事は出来なかった。そして、ただ一人の俺の理解者だった兄に「一人前になるまでは帰ってくるな」と言われて送り出されて・・・。

あれから、もうそんなにも長い年月が経ってしまっていたんだな・・・。
期待に胸を膨らませ、諦めなければ必ず夢は叶うんだと硬く信じて疑う事がなかったあの頃・・・。そんな俺の今はと言えば、真実を伝えるジャーナリストという姿とは程遠く、少しでも発行部数を稼ぐために違法すれすれの取材を続ける毎日だ。そんな俺に家族に合わせる顔があるはずもなく、家を飛び出してからと言うもの、この家の敷居を跨ぐ事はただの一度もなかった。だが、兄の死とあってはさすがに両親も俺に連絡をとろうという気になったらしく、仕事以外で鳴る事がなかった携帯を鳴らした・・・。

暫く兄の遺影と2人きりで過ごしたところで、俺は、昔自分が使っていた二階の角部屋に向かった。寝る時はそこを使えと母親に言われていたからだ。

10数年振りに、部屋の引き戸を開けると、月明かりに照らされたその部屋は俺が飛び出した10数年前のまま何一つ変わってはいなかった。それだけではなく、毎日きちんと掃除されているようで埃ひとつ落ちていなかった。家出同然に家を飛び出した息子のことを・・・親はずっと忘れていなかったのだ。俺は胸が熱くなるのを覚え、入り口に立ち尽くしたまま暫くその場を動く事が出来なかった。

それからどれ位経った時だろう、部屋の隅に一つの玉のようなものが転がっているのが目に入った。何一つ変わっていないはずの部屋の中で、その玉にだけにはどうしても見覚えがなかった。やがて、その玉に誘われるように部屋に足を踏み入れた俺は、玉に近づきおもむろにそれを手に取った。すると、見覚えがないはずのその玉から、何かとても懐かしい感じがし、何かが胸に込み上げてきた。そして、良く見るとかなり汚れているその玉を、何故だかきれいにしなければいけない様な気がして、俺は玉をハンカチで拭い始めた・・・。1時間もした頃だろうか、すっかりきれいになったその玉を、窓辺の月明かりにかざすときれいな輝きを帯び一筋の光を放った・・・。

すると突然、その玉の中から、死んでしまった兄の声が聞こえてきた。懐かしいその声は確かにこう言っていた

「この薄汚れた玉は、お前がこの家を飛び出す時にしっかりと抱いていたお前の夢だ。そして、お前はこの夢を何時の間にか見失い、なくしてしまった。俺は、道端に薄汚れて落ちていたこのお前の夢を探して見つけておいた。夢を失い失望に包まれたお前が、この家に戻ってくる日のためにな・・・。お前の目には、薄汚れてはいてもこの夢が目に入った。そして、きれいに磨き上げた。お前はまだこの夢を諦めてはいなかったということだ。さあ、もう一度この夢を持って行け、そして二度と見失うんじゃないぞ。この夢には今や俺の思いも込められているんだからな。」

そこで、兄の声は途切れしまった・・・。俺は、何時の間にか溢れていた涙を拭いもせずに、その玉をおもむろに自分の胸に押し当てた。すると、玉はすうっと俺の胸の中に入りこみ、手の中から消えて行った。なくしていた夢をもう一度、胸に抱いた瞬間、10数年の時を越えて熱い思いが蘇ってくるのを感じた。

そして、何気なく、部屋の壁に掛かっていた鏡を見ると、そこには生意気そうな、でも真っ直ぐな心を持っていた昔のままの俺の顔が映っていた。

兄の思いに応えるためにも「もう一度」頑張ってみよう・・・。いや、今度こそ、俺は頑張れると感じていた。「もう一度、そして必ず・・・。」


忘れてしまったものは また 思い出せばいい
失ってしまったものは また 取り戻せばいい
手のひらから零れ落ちてしまったからといって 嘆く必要はないんだ

まだ 生きている それだけで 可能性はあるじゃないか

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