県外へ引越しをする、ということ。(「わたし」のストレス、の話も・・・)
こんにちは。
10日ほど前に、神奈川県へ引越しをしました。
とはいっても、まだ今までの自宅(名古屋にある一戸建て)はそのままです。
2月1日から、夫が東京で仕事をすることになりましたので、
神奈川のほどよく”いなか”の雰囲気を感じるところで生活しています。
あまり”都会すぎる”ところよりも、「空気のおいしいところ」の方が、暮らしやすいのでまずは今まで住んでいた場所によく似たような雰囲気のところを選びました。
それでも、最寄り駅には歩いて7、8分で行けるので、いいところではないかなと思っています。
わたしは・・・というと、
お仕事の”相棒”であるピアノがまだ名古屋のおうちで”留守番”をしておりますので、自宅のピアノの仕事と名古屋での対面セッションを兼ねて隔週で戻ります。
往復生活も体力、気力の問題もあり、長くは続けられるかわからないので、いずれはピアノも関東へお引っ越しをし、名古屋のおうちを手放そうかと考えています。
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引越しの時に実際にあった話を今日はシェアしたいと思います。
「わたし」の身に起こった、右往左往のドラマになります。
違ったケースでも、よく似たシチュエーションでできごとに翻弄される経験をしたことがある方は、もしかしたら何かのヒントになるかもしれませんので、よかったらこのまま読んでいってくださいませ。
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引越しの荷物をダンボールに詰め、持っていくものと今回は置いていくものとのリストを作り、いよいよ引越し当日を迎えました。
引越しやさん、今回は3名の方にお世話になりました。
すごく手際よく自宅の壁に傷がつかないよう養生をして、小さいけれどダンボールに詰めることができないものや、小型の家電などを引越しやさんならではのノウハウでテキパキと荷造りをしてトラックに運び込む・・・。
その様子を見ているだけで、驚きだらけでじーっと見ていました。
そしたらスタッフの方から「居場所がなくてごめんなさいね・・・」とお気遣いをいただき・・・、「いえいえ・・・こちらこそ、ありがとうございます。あまりの手際のよさに驚いて見入ってしまっていました。」と返す。
すると、「ありがとうございます。集中すると周りがあまり見えなくなるのでしかめっつらになっているかも、笑」なんて気持ちを和ませてくれたり、いろんなことに気を遣ったり、重い荷物を持ったり、それでいて住んでいる人にも気を配ってくれるなんて、なんて心も身体も疲れる仕事なんだろう・・・と積荷の作業中にしみじみと感じていました。
今回の引っ越しは、家の家財の3分の1ほどを神奈川へ。
あとは、そのまま残しておきます。
1時間ちょっとの作業時間。
本当に早かった・・・。
あっという間に家の中がすっきり!
スタッフのみなさん、ありがとうございました。
翌日、神奈川の家へ搬入です。
さて、すっきりした家の中。
手の届かなかったところを掃除機かけたり、空いたスペースに小さな棚を移動させたりとちょっとした”模様替え”を行いました。
そして、その夜・・・。
コンタクトをはずしてメガネをかけようとしたその時・・・、
「メガネがない!!」
コンタクトをはめるといつも「定位置」に置いているその場所に、ない!!
「えっ?どういうこと?」
メガネがないと本当に見えないので(裸眼で0•05ぐらい)、もう一度コンタクトはめて周辺を探してみたけど、見当たらないのです。
引っ越しやさんの荷物を積み込む時には、”見かけた”メガネが、その後、なくなってしまったのです!!
もちろん、朝は使っていたものだし、ダンボールには入れていないし、引越し作業中には見かけたので、荷物と一緒に搬出しているとは思えない。
メガネはどこに・・・!!
なかなかこの事実を受け止めることができませんでした。
だって、コンタクトをはずすと裸眼では輪郭がぼやけてほとんど見えないからです。
「これは困った・・・」
かといって、寝るまでずっとコンタクトをはめているのもちょっとね。
お風呂に入る時ははずすしね。
すごくモヤモヤしてきて、ストレスを感じていることに気づいてはいますが、それをどう対処していいのかわからないまま、この日は一日を終えることになりました。
(まぁ、普通に眠れたんだけどね・・・)
翌日、起きてすぐ顔を洗い、いつもとは違う起きたてからのコンタクト。
こうやって、普段の生活のルーティンをはずれる行動がとてもストレスになる場合もある。
「メガネがないから仕方がない。見えないよりはマシだし・・・」
自分に言い聞かせる。
しかし、新しいメガネを買うまでこの生活が続くんだと思うだけで、ストレス。
ただでさえ、引越しだけでもストレスだというのに、ここにきて”メガネない問題”まで発生し、さらなるストレス。
さぁ、このあとわたしはどうこのできごとと向き合っていくんだろうか。
ちょっと遠いところから見てみると、大事な”メガネ”をなくしてしまったのは、単なる「事実」であって、本質はそこではないんです。
このメガネがなくて、不便をする、という事実とこれに”反応”したわたしはどうやってこの”反応”を向き合うのか、ということが本質と関係するところなんです。
まずは、「なくしたメガネを探す」。
これはもしかしたら解決しないかもしれません。
だって、見つからないかもしれないので。
でも、愛着あって使ってきたもの。
わたしの”目”となってくれたもの。
大切なものを探してあげるのも、わたしの”仕事”だと思い、周辺の思い当たるところを探しました。
でも結局いまのところ、見つかっていません。
次に「新しいメガネを購入する」こと。
これで”見えない問題”は、解決です。
早急に解決したいなら、これが一番早いです。
この日は、神奈川へ引越しの日なので、神奈川へ行ってから最寄りのメガネ店でつくってもらおうと思っています。
これもね、結局仕上がりまで一週間かかったので、早い解決にはならなかったんです。
予定外のお店の発注ミスがあり、一度入荷したけどまた工場に戻ったそうで、一日ほど受け取りが遅れてしまいました。
そして、メガネ受け取りの前日。
夫が「お風呂用メガネ買おうかな」と一言。
「何それ?そんなメガネあるの?」
ときくと、
「Amazonで買えるよ」
「なんでそれ、もっと早く言ってくれなかったのーーーーーーー!!」
近視用のお風呂やサウナなどで使うメガネがあるそうで、曇りにくかったりするそうです。
もちろん、普段ちょっとした時にも使用できるとのこと。
とくに視力検査などしなくても気軽に購入できるとのことで、
「なんだ・・・そんな便利なメガネあったなら、コンタクトはずしてから楽だったのに・・・」
と、ぶつぶつ言ってしまった・・・。
(もう遅い。翌日メガネを受け取れるから。)
なにかハプニングのようなできごとが起こっても、とれる行動の選択肢はいくつかある。
とくに今回のような、普段の生活に支障が出るような場合は、ストレス度合いも高くなるので、いったん落ち着いて事実をきちんと把握することと、わたしにとって、少しでも気持ちが”楽”になる方法は何か?ということを考えてあげることが大切になってきます。
メガネをなくしてから約10日ほど・・・。
メガネない期間を経て・・・無事にメガネを購入し快適な夜を過ごすことができました。
普段のコンタクトはずした後のメガネ生活も、「あたりまえ」ではないこと。
メガネをなくし、新しく購入し、また快適に過ごせるようになるには、ちょっと時間がかかること。
この世界のシステム、ってこうなんですよね。
時間があり、空間がある。(メガネを買うところと作るところが違うとか。引越しで場所を移動するとかもね)
できごとに翻弄されると、自分を見失う。
そんなできごとがありましたが、今回の引越し&メガネ失くし事件は無事解決に至りました。
こうした経験もからも、いろいろと気づくことがある。
なくしたメガネは結局のところ、見つかってないけれど、もうずいぶん前に作ったもので、そろそろ新しいメガネに買い換えようかなと考えていたところ。
そういう”思い”が今回のできごとを招いたのかもしれないね。
「思いは叶っちゃう」から。
(いい意味でもそうでなくても)
そしてメガネを使わない時も、普段コンタクトを外したらケースに入れずに、決まった位置ではありますがそのままにして置いておくので、失くした時に見つけづらいんですよね。
はずしたら面倒でもきちんとケースにしまおうと今回のできごとで学びました。
ストレスを感じてしまうのは、人間の”常”です。
これをどうこうしようと思っても難しいし、それだけでエネルギーの消耗なので、ストレスを追い出そうとするのはやめた方がいい。
そうではなくて、まずはストレスを感じていることに気づき、自分の中でモヤモヤした気持ちやざわついている何かを感じているその「実態のないもの」をただ見つけたらそれでよし、なんです。
でもその「実態のないモヤモヤやざわざわしたもの」は、心地いいものではないので、なくしてしまいたい、と思うのも人間の常、です。
いなくなるように・・・、みないふりをする。
こうやってせっかく見つけたその「実態のないもの」をなかったものにしようとするのも人間の常なので、それすらも気づいていく。
人間ってこうなんだ・・・といった具合です。
もともと「実態のない(かたちにすることができない)もの」って真実なんでしょうか。
ヨギたちはこういいます。
実態のないものにわたしたちは翻弄されるし、圧倒される。
それをないものにしようとふたをしたり、自分の中から追い出そうとしたりする。
これらは「自分の内面で起こっていること」で、外側で起こっているのではない。
すべてわたしたちに起こるできごとは、「自分の内面で起きていること」と同義なんです、と。
メガネがない、ということが、内面で起こっていることなの?
と不思議に思うかもしれませんが、メガネがなくなったことはただの事実(できごと)です。
わたしは、メガネがなくなったことで、生活に不便を感じてしまうと『ざわざわする』、という反応をしました。
気持ちが落ち着かなくなり、メガネをなんとかして見つけようと周辺を探します。
また、メガネ店に行って「できるだけ早く欲しい」とお願いしたりします。
これは、「わたし(One Heart)」という人物がメガネがないと生活に困ってしまう、という、反応からくる行動です。
「わたし」の内面でざわざわし、翻弄された行動をとります。
ざわざわしなかったら、あわてないし、メガネなくて周りが見えなくても、「余計なことしなくていいから楽だーーー」といって、慌てずコンタクトをはずした夜はもう何もしないでゆっくり過ごす、という選択もできるのです。
お風呂入って、寝る支度して寝る・・・。
お風呂後にいろいろとやってしまうより、メガネがないことで普段よりもリラックスできるかもしれないのです。
ものごと、できごとにどのように反応するか。
わたしたちはできごとのせいにしたりしますが、できごとはただのできごとでただ”起こった”だけです。
それにどう”反応”するか、が大切。
この”反応”は、今まで生きてきた経験からきているので、反応を変えることは難しいですが、自分がどんな反応をしているかに気づくことができたら、少しずつ変えていくことができるようになります。
わたしは、メガネ店にオーダーしている間、引越しでダンボールを開ける作業や持ってきたものの位置を決めたりするために、いろいろと考えたり動いたりするのを昼間だけにして、夜はとにかくゆっくりするようにしました。
新しい場所で暮らすのって、最初は思うようにいかないことだらけで、どこに何を置いたのかわからなくなってしまったり、ものの位置が定まっていない状態で生活は進んでいくので、普段よりもストレスがかかってしまうんですよね。
まぁ、これも一過性のもの。
すぐに慣れるし、この場所での”ルーティン”も決まってくる。
脳は考えたとおりに動けないとストレスを感じるようになっているんです。
すべては、毎瞬毎瞬”新鮮”なできごとがあるだけなのにね。
引越しにプラスアルファして起こったできごとからも多くのことを知ることができました。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。
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