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#4 芸術家の卵との対話で

例年と異なるお盆休み。昨日、高校時代いちばん仲良くしていた友人に会ってきた。彼女は地元の短大に進み、芸術系の大学への進学を目指している。コロナの影響はあまり受けず、先日まで普通に対面授業をしていたらしい。

私と違って彼女は多才だ。ジャズピアノが得意で、メジャーデビュー直前のアーティストのシークレットライブに演奏者として出演した経験がある。ピアノを弾きながら歌を歌うのも上手い。絵を描くことにも秀でていて、素人とは思えないハイクオリティなLINEスタンプを販売している。料理も好きでよく作るらしい。おまけに彼女の居るコミュニティには変わった職歴や経歴を持つ多様な人々が集まっていて、同い年なのに私よりもずっと広く深い世界で生きているような印象を受ける。

彼女は基本的に、私が上手くできないことや苦手なこと全部に秀でている。反対に、勉強とか運動に関しては頻繁に私を褒めるから、彼女としては自分のほうが劣っていると思っているのかもしれない。私としては勉強や運動のような学校でしか評価されないことはどうでもよくて、彼女が持っている芸術的なセンスとか、唯一無二の才能が本当に羨ましい。まさに「ないものねだり」である。

互いの近況報告をしているうちに、彼女の学生生活やこれからのキャリアに対する積極的なアクションに驚嘆した。入学して半年ほどだが、短大卒業後の編入を見据えてポートフォリオを残したり、スムーズに編入できるように単位取得の方法を工夫したりしているらしい。実際に編入した生徒を担当した先生にも出会い、相談にのってもらっているという。アルバイト先で伝統工芸品の絵付けに関わる人がお客さんとして来たときは、そこの正社員の人と一緒に絵付けの体験までしてきたのだとか。

話を聞いていて気づいたことだが、彼女の多くの経験値は、自身の目標や夢を口に出しているからこそ得られているものだ。「芸術系の大学に編入したい」「デザインにも音楽にも興味がある」、本人はすごく曖昧でざっくりした目標だと謙遜するが、これを聞いた彼女の周囲の人たちが事あるごとに有益な経験や情報を供給しているのである。目標と呼べるくらい大それたものはなくても、将来の自分像が明確でなくても、ビジョンはある程度周囲の人と共有することが大事だと思った。友達との会話の中で出てきた話題に「私もそれ気になってた」とか「興味あるんだよね」と言うだけでも、自分の知らない知識を教えてくれる人がいるかもしれない。

コロナ禍で人との接触が減って引きこもっていると、自分の得る情報は無意識のうちに固定化してきてしまう。他人と対話して情報交換することで、興味がなかった分野にも触れられるし、自分が欲しい情報が飛び込んでくることもあるのだなと実感した。自分の好きなことを周りに喋って、「○○っていえば、あの子が勉強したいって言ってたな」と思ってもらえれば、情報の守備範囲が広がるのだ。

これからそれを実践して、今度彼女に会うときにはもう少し夢や目標があるいきいきした状態でいたいなと思う。そんなお盆休みであった。

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