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孤高を往く修羅の曲【可愛くてごめん】歌詞考察。揺るがない「ヒロイン」の形を見よ


【可愛くてごめん】はHoneyWorksの曲である。
だが昨今ではTikTokの曲であるというイメージのほうが大きいであろう。これは非常に由々しき事態である。故にここにいる。【ヒロインたるもの】のオタクだからここにいる。
この曲は確かにアンチヒロイン的要素を持った曲である。では歌っている千鶴、ちゅーたんも同じようにアンチヒロインなのか? 否。彼女もまた形こそ違えど立派なヒロインたりえる存在である。

当然ながらヒロたる全話見ている前提で話を進める。まさか見ていない人間はいないとは思うがもしも未視聴ならば早急に全話見てからここへ来てほしい。
最悪以下のMV2つだけでも話は追える。確かな福利厚生の充実がここにある。

光と闇の「ヒロイン」像を併せ持つ曲

まずなによりも頭においてもらいたいことがある。「可愛くてごめん」という言葉の持つ意味合いだ。
この言葉は一般的なヒロイン像へのアンチヒロインとしての意味と、千鶴なりのヒロインとしての在り方を示す意味の両面を持っている。
アンチヒロインとヒロインというのは一見矛盾した性質のように見えるが共存している。いつだって光と闇とは表裏一体なのだ。

アンチヒロインとしての【可愛くてごめん】

【可愛くてごめん】が最も対照的にしているもの、アンチヒロインたらしめているのは間違いなく【可愛くなりたい】という曲との対比だ。

公式MVはmonaちゃんのだがこの曲は作中でもEDに使用された曲である。ひよりと瀬戸口先輩のデュエットが印象的であろう。だがここではやはり千鶴と最も対照的で光と闇でいう光側にいたひよりにスポットを当てる。

まず、ひよりと千鶴では可愛いに対する意識と扱いがまるで違う。
王子様に見つけてほしくて「可愛く」なろうとしているひより。自分の好きな自分であり続け、自分はここに存在していると宣言する自己肯定の「可愛い」をかざす千鶴。

ここにあるのは自己肯定感の違いである。そもそも根本的な話として基本的にヒロインとは自己肯定感が低い。シンデレラストーリーの鉄板としては「こんな私でも可愛くなれた」という「変身」が大きな要素となっている場合が多い。
この時点で既にアンチヒロインなのだ。スタートから「可愛い」のだから。だから【可愛くてごめん】なのだ。可愛い私が更に可愛くなるのはずるいよね、ごめんねというわけだ。

そこにあるのは「認知」の違いでもある。恋愛的な意味合いでの可愛いと推し活における可愛いは全く別物であるという事実だけが重くのし掛かる。

一般的なヒロインの求める「可愛い」は特定の誰かに好きになってもらう為のもの、だが千鶴の可愛いは見返りのない修羅の道のことである。それは求道であり覇道である。
好きな人に好きになってもらうような目的が、到達点はないのだ。
好きな人に「可愛い」と言ってもらえることがヒロインのゴールである。例え自分では可愛くないと思っていても好きな人に可愛いと言ってもらえたらその時点でもう可愛くなれているのだ。
だが千鶴は得ることができない、その自己肯定の瞬間を。推し活において千鶴がその言葉を真に浴びられる可能性は限りなく低いからだ。

だから【可愛くごめん】なのだ。この言葉は本心でありマウントであり強がりでもある。他の意識の低く可愛くないファンへのマウントであり、他人に可愛いと言ってもらえないと満たされないヒロインへのマウントでもある。
私は1人でも強く可愛い自分であれる。理不尽な我慢はさせない、自分を生きる。そんな自分を好きである。自己肯定感に満ち溢れているのではない、無理矢理奮い立たせ自己肯定感を分泌させているのだ。そこにこそちづちゃんの愛おしさが詰まっている。

理解者もない、王道でもない、同担拒否だから味方もいない。愛にはぐれ、愛を憎み、愛を求める。孤高の闘いを往く修羅である。
自分には味方がいない、でもこの生き方は変えたくないし否定もしたくない。だから【自分の味方は自分でありたい】
あまりにもヒロイックである。アンチヒロインでありながら、同じようにヒロイックな存在。あまりにも対極的な光と闇だ。この生き様の覇が分かるであろうか。重すぎるっつーの。

報われることを信じて努力するひよりとそもそも報われるだとか想いが成就するだとかそういうステージにいない千鶴では生き方レベルで違う。
ヒロインへの変身を夢見る芋女との対比、それこそがこの曲をアンチヒロイン足らしめている。だが冒頭で言った通りこの曲の側面はそれだけではない。

ヒロインとしての【可愛くてごめん】

孤高の道を往く千鶴だが、孤独ではない。いや、孤独ではなくなった。それは本編を見れば分かることだ。【可愛くてごめん】のMVではその先の未来の描写がされている。

先ほど言った通り、ひよりと千鶴は光と闇の対立した存在であった。だが分かり会えた、光と闇は真逆の存在であるが紙一重でもあるから。それはアニメを見ていれば分かるであろう。
アニメ本編における確執を経て辿り着いた未来の姿、完全なる姿の放課後全力3人娘をこのMVでは見ることができる。
3人は性格も人間性も求めるものも全然違う。彼氏がいて既にヒロインである。ヒロインになろうとするひより、そしてアンチヒロインであり続ける千鶴。そんな3人が友達として、お互いが違う存在だと理解しながら友達として隣にいる。
そこにはアニメ本編でのぶつかりあいがあったから。好きなことを話せる友達ができた、それでいて自分が好きな自分のまま変わらず推し活も楽しめている。

可愛くなるから 見つけてね?

可愛くなりたい/HoneyWorks feat. 涼海ひより・瀬戸口雛(CV:水瀬いのり・麻倉もも)

可愛いねって言われちゃった
どういう意味ですか?

可愛いねって言われちゃった feat. 服部樹里/HoneyWorks
 

可愛くてごめん
この時代生きてごめん

可愛くてごめん feat. ちゅーたん(早見沙織)/HoneyWorks

3人の対比の形はこうして各々のキャラソンの曲名として如実に現れている。【可愛くてごめん】もヒロインとしての一つの形に過ぎない。健気に恋するシンデレラだけがヒロインではない。
可愛くなろうと努力する姿も、自分の可愛さに気付かされることも、自分の可愛さを肯定することもヒロインとしての在り方の一種である。
2人の「ヒロイン」としての在り方と同じ、千鶴のヒロインとしての在り方が【可愛くてごめん】なのだ。そしてそう想い生きていけるのは少なからず2人という自分への、ちゅーたんへの理解者がいてくれたからであることがMVから見て取れる。
ここにヒロたるの美しさが詰まっている。三者三様なヒロインの在り方でありながら、その生き方を曲げられることがない。各々が各々の人生を生きている。そしてそれを理解した上で隣にいる。ヒロイン同士の友情の姿だ。
分かり合うまでには紆余曲折あった、だが分かり合おうとした。だからこうして真なる友情を手に入れられた。

推し曲ロメオデュエット「さあおいで」
「ちょ! ちょ!」
放課後全力3人娘

東京サニーパーティー/HoneyWorks feat. 涼海ひより(水瀬いのり) ,服部樹里(佐倉綾音),中村千鶴(早見沙織)

こうして本編後のMVでアニメEDの回収と掘り下げをしてくれるのはコンテンツの持つ力の強さを示している。あの同担拒否の千鶴がこうしているという事実の美しさは何物にも変えがたい。

そうした全てをひっくるめた上で【可愛くてごめん】であり【人生楽しんでごめん】なのだ。ただのマウントではない。彼女は真の友情を知っているから上辺の言葉に惑わされない。届かないのだ、そのリプライは。
可愛くなる為の努力をしている、自分の人生を楽しくしようと行動している、夢がある。そしてその上で隣に立ってくれる友達がいる。だから言えるわけだ。羨ましいだろ、と。人のことを批判していないと気がすまない人たちに対して【ざまあw】といえるわけだ。

【ヒロインたるもの】という各々の生き方

他人の悪口をマウントに使い誰の評価も気にせず、自分の評価だけを絶対とする千鶴は大衆的な意味合いではアンチヒロインである。
だが千鶴もまたヒロインである。【努力してこそヒロイン】この言葉の重みが染み渡る。このヒロたる世界における「ヒロイン」概念とは「ヒロイン」であろうとする女の子の生き方の名前であると私は考える。

目的こそ違えど可愛くなるために生きているひよりも樹里も千鶴も「ヒロイン」である。だが前述の通りヒロインとしての生き様は違う。
このアニメの原点とも言える【ヒロイン育成計画】の歌詞はひよりがメインではあるが絶妙に3人へ当てはまるようになっている。だからこそアニメ最終回の特別バージョンが染み渡るのだ。

出だしから【きっとヒロインなら綺麗で】を千鶴が歌っているのは圧倒的に染み渡るしバイト探しの下りはひよりにも千鶴にも当てはまる熱い仕様となっている。というより全体的にふんわりとひよりにも千鶴にも当てはまる、ここにこそ光と闇は表裏一体であることの真髄が潜む。

なによりも【気持ちなら負けない なんてみんな同じこと想ってて】この部分を千鶴が歌っているのはあまりにも解釈の一致が過ぎて涙がとまらない。推し活に命を燃やす女がこう言っているのは並大抵の感情のでかさではない。
そしてみんなで歌う【ヒロインになれ】この言葉の重みはもはや言うまでもない。ヒロインになろうと努力している時点でもうヒロインである。だからこそこの言葉は力を持つ。

アンチヒロインだってヒロインの生き方

【可愛くてごめん】この曲はかくも趣深い。千鶴のくそでかい感情の全て、そして絶対的で揺るがない芯の強さをこれでもかと見て取ることができる。
これをただのアンチヒロイン曲として受け取るのはあまりにもったいない。強い言葉には必ずでかい感情がついている。それを読み解けば自然と真髄が見えてくる。HoneyWorksのキャラ造詣の深さとそれを落とし込む作詞力には本当に頭が上がらない。
3人娘の「ヒロイン」としての在り方とそれらを踏まえた上での友情は限界関係性オタクとして非常に胸にくるものがある。
無論本編中のひよりと千鶴の戦いも素晴らしく性癖であった。いつだって光と闇の分かりあえない2人の戦いだけが人生を充実させる。

好きなものを好きだと言い、自分を曲げない。限界関係性オタクバイアスのかかった思想を垂流すことに恐怖はない。私もまた、自分の味方は自分でありたいし一番大切にするし理不尽な我慢もさせない。私もまた自分の人生のヒロインでありたい。

ヒロインたるもの、それは生き方の名前なのだから。


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