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【One Room】エンディングにしてアフター、迸る神アニメのなんたるか【太陽とレインボー】

この宇宙には絶対的にして普遍的な真実がある。それは【One Room】が神アニメであるということだ。

ここを私が愛して止まず、圧倒的感動と感銘を受けた三期【琴川晶】編のエンディングテーマ【太陽とレインボー】についての巨大すぎる感情を吐露する場とする。

フルだからこそ、本編で流れないからこそ

このアニメにおける全ての曲に言えることだが、あまりにも本編とエンディングテーマのマッチが凄まじい。その中でも【太陽とレインボー】は特に楽曲内でのストーリー性が強い。
この曲は琴川晶編のエンディングテーマであり、アフターソングである。

特に本編中において晶が我慢、あるいは押し殺していた甘えたさを全面に押し出している。本心を最後まで出せなかった晶の、飾らない本心のラッシュがあまりに凄まじい。
本編におけるいじらしさとかわいげだけでなく、終盤に見せた甘えたがりで少しわがままな部分がプッシュされている。
台風の日の、キスをせがむが自分からその一線を超えられない。向こうからその一線を越してほしいと思ういじらしさがこの曲においては全面に押し出されている。

【支柱に絡んだツルと同じ気持ち 願いが叶うなら その腕にぎゅっとして離さない もう二度と】【いつも照らしてくれなきゃ しおれちゃうかも】

上記のフレーズはその筆頭である。この圧倒的な糖度の暴力を見よ。
これは完全に本編終了後の関係でないと言えない言葉の数々だ。これらのフレーズは本編にあった【先パイとずっといっしょにいたい】より一歩進んだ力溢れるフレーズだ。このシンプルにして純然たる力の奔流があまりに美しい。あまりにも愛しさが過ぎる。本編の晶を思うと本当にいじらしく、愛しい。

またアフターであるという演出はエンディングテーマの演出においてもなされている。それは歌詞のカットだ。
【キミは雲の切れ間の太陽】なのだ。ここである。出だしからのこの部分は本編中のエンディングではカットされている。それはまだ本編においてはこの思いを言えないでいたからだ。

もはや本編にてこの曲における【太陽】が誰を指している言葉なのか言うまでもない。が、本編が終わってからの関係性でないと晶からそれが誰なのかは言えない。晶編最終回を経てからでないと彼女が絶対に言えない一言という意味において、そのワードが本編中で流れないというのは圧倒的にキャラ造形が深くこの演出の粋さが際立つ。
だからこの曲は本編終了後を描いたアフターであり、正しくエンディングテーマなのだ。
自分は種であり、小さな青い実であり、花である。が、【キミ】は一貫して太陽なのだ。ここには晶から【キミ】への圧倒的な感情の大きさ。そして本編中でも垣間見えた甘えたがり、もっと言うなら頼りたいという思いが伺える。これが一番脳に来るのだ。

晶が自らを種に例えることの"凄まじさ"


この曲には園芸部という設定、更には園芸を教わるものと教えるものという立場を活かした歌詞がある。それもまたあまりにも素晴らしい。
家庭の事情で転校続きの自分とリンクさせた出だしの【ねぇ 風に飛ばされた種 どこへ行くの】と客観視した悲しげな歌詞。それは本編中における孤独や一人になることへの寂しさが見て取れるところや、自分の意志で居場所を選べない無力感からくるものだ。
晶編の舞台は学校という大衆的な場にしてふたりきりという閉塞感、寂しさを感じさせる作りになっている。そして学校というのは、いつの日にか必ずなくなる居場所という意味合いも孕んでいる。
晶編は全体的にそういった寂しさを感じさせる作りになっている。それは後述する別れを意識させるためであると考えられる。

そして、家庭の事情で各地を転々としている自分を園芸未経験者だった晶が【風に飛ばされた種】に例えているということの凄まじさが分かるだろうか。影響されているのだ、園芸を教えてくれた先パイに。かように可愛い生物他にいるというのか。

どこにいても見える、だから


【私の心にレインボー】という歌詞から分かるように晶の心にはレインボー、虹がある。虹があるということは雨が降っていたということだ。つまり本編中においても平気なふりや強がった様子を見せていたが、本当は心の中では泣いていた。雨が降っていたのである。そういう内面の弱さをこういった形でさりげなく表現しているのはあまりにも精巧と言わざるを得ない。
雨が降っていたことを示しながら、もう太陽が出たおかげで過去になったという表現を本編における晶とリンクさせている。この圧倒的な表現力の爆発はもはや筆舌に尽くしがたい。
【水たまりに映った太陽】という歌詞からもそれらの表現が伺える。

そして最後に繰り出される【どこにいても見えるね 太陽は】これである。どこへいても空は繋がっているし顔を上げたら太陽がある。どこにいても太陽は見える、だから大丈夫だというのだ。これは本編における4話終了後の関係をも示唆している。離れていても大丈夫だと。学校、ひいては園芸部の部室という二人の【One Room】はなくなってしまった。だがもっと広く、大きな部分で繋がっているから大丈夫なのだ。これは本当に美しい。
【雲の切れ間の太陽】【水たまりに映った太陽】という不安定な状態の太陽の表現から最後の最後に【どこにいても見える】という表現で終わるのだ。
遠距離恋愛という状況にあって空は繋がっているからどこにいても見える。という安心を感じさせてくれる。この構成の美しさと本編リンクをも超えてもはや本編すら感じさせる。

今まで【One Room】というタイトルに対応していたものは自室であった。それが晶編では二人きりの部活に二人だけの部室をタイトルに対応させるものとしている。これは晶の境遇、つまり離れ離れになってしまう境遇のために用意された設定だ。
前述した通り、晶編においては別れという要素が一つの大きなテーマとなっている。なぜこのアニメにおいて別れをテーマとしたのかというものを考えたところ、私の出せる答えは一つしかない。それは、離れても大丈夫。このアンサー、演出をするがための設定であると考える。
今までの人生において多くの別れがあり、友達もできない晶に初めて学校でできた友達であり、それ以上の存在。今までと同じように諦められない、もっと一緒にいたいとそれを際立たせるために別れが必要なのだ。そんな別れに対するアンサーとして、ちゃんと離れていても大丈夫というものが用意されている。それがこの【どこにいても見えるね 太陽は】なのだ。

【One Room】は狂おしい


【太陽とレインボー】というタイトルは太陽があるから虹がかかる。つまり、キミがいるから私の心には虹がかかる。ということを示したタイトルである。これは琴川晶編の主題歌として考えたらもはや名状しがたい素晴らしさである。
このアニメの主題歌が全て素晴らしいというのはもはや言うまでもない。それにしても本編終了後の関係性を、本編中において晶が言いたかったが言えなかった言葉を歌詞として織り込むという手法が本当に素晴らしい。

こういった主題歌と本編のリンクという手法において【One Room】の表現力は圧倒的に群を抜いて秀でている。その中でもやはり特に個人的に愛してやまない琴川晶と【太陽とレインボー】は語らずにはいられなかった。そしてまだまだこの神アニメには素晴らしい曲とキャラがいるのだ。

次は【サーチライトと月灯り】でお会いしよう。

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