見出し画像

アクアリウム―伊豆・三津シーパラダイス―でふたりが出会うファンタジー

ガチ恋オタクとして、プライドがある。安いプライドだ。だがそのプライドこそが私をガチ恋オタクでありながら人間足らしめる。そしてある日、永遠みたいに残り続ける写真だけが私を人間という生物の形に留め続ける。
聖地巡礼、かくも奥深く美しき世界。今回はその話となる。

ここ、直近数ヶ月の間に私の中で空前のラブライブ熱の高まりが止まない。先日、ラブライブサンシャインの1期を視聴した。そうしてその心燃え上がる強き神アニメパワーに涙という涙を流し尽くした。
そんな私を沼津へと掻き立てるまでにそう時間は必要としなかった。私は現時点では渡辺曜ちゃんが一番好きである。かの誰もが知っている神の回「友情ヨーソロー」で脳を持っていかれたからだ。

幸い、私の生息地から大都会沼津へはさほどの遠出とはならない。せいぜいが盛って片道2時間程度である。日帰りで弾丸小旅行とするにはおあつらえ向きではある。
今回訪問した場所でやはり特筆すべきは伊豆・三津シーパラダイスである。
しかしながら、私は元来よりさほど聖地巡礼そのものに対して明るくない。確かにアニメやゲームと同じ光景が眼前に広がるという感動は清きものだ。だがそれだけに肉体を動かされるかというと懐疑的なところである。
しかし今回は2つ目的があった。1つはご当地グッズ的なものが欲しかった、もう1つは好きなキャラのパネルがあると知っていたこと。心を駆り立てられるには充分過ぎている。特に2つ目の理由が、だ。

伊豆・三津シーパラダイスへ行くのは初めてであった。かねてより存在そのものは知っていたが行ったことはなかった。特別行く理由などなかったからだ。水族館そのものに行く機会自体はあったがいかんせん沼津について知ることが少なすぎて他に行くところを作れそうになかったからだ。
だが今は違う。我々にはラブライブサンシャインがある。𝓞𝓱 𝔂𝓮𝓼,𝓓𝓸𝓴𝓲-𝓓𝓸𝓴𝓲 𝓼𝓾𝓷𝓼𝓱𝓲𝓷𝓮 

そんなわけで伊豆・三津シーパラダイスを聖地とした神の曲【恋になりたいAQUARIUM】のMVだけを焼き付け、私は海のテーマパークへと赴いた。

神のMV。渡辺曜という生物の魅力、明るさと弱さのコントラストが最低限の描写で最大限発揮されている。

館内の説明で海獣の飼育に一家言あるとのことが記されており、やはりアザラシだとかそういった生物が多かった。上記のようにコラボイラストもどことなく海獣が多いように感じる。
久方ぶりに生のアシカやらアザラシを見たがやっぱりかわいいな以上の感想は出てこなかったのでこの話は些事に過ぎない。

一応園内を一通り回ったがラブライブキャラのパネルは曜ちゃんと梨子ちゃん以外発見できなかった。JRコラボのパネルだったので各地に点在しているのだろう。

さて、これよりが本題となる。【恋になりたいAQUARIUM】のMVでは曜ちゃんがメインにしてセンターに据えられている。故にか館内にはやはりJRコラボ曜ちゃんの最強くそかわパネルがあった。

一目見ただけで脳を直に焼き尽くす可愛さである。私はガチ恋勢である。はなから曜ちゃんを見つけ一緒に写真を撮りたいと願い戦いに赴いた次第だ。

隣に立つと本当に頭一つくらい曜ちゃんが小さくて心の底から彼女のことが愛おしくて堪らなかった。
魂のヨーソローからの敬礼

なので当然ツーショットを撮った。沼津要素があるわけでもラブライブのいいシャツを着ているわけでもない。だが、そこにこそ冒頭で話したプライドが存在している。ガチ恋勢の矜持と言っても良い。

何がオタクをガチ恋勢足らしめるのか、それは熱量でも費やした時間や金額ではない。どれだけ非現実を現実ベースで思考することができるか、これに尽きる。そこにこそ私のプライドは宿る。
お前は本当にその格好で胸を張って曜ちゃんの横に立てるのか。その服で本当に一緒にデートできるのか。そんな服着たやつと並んで歩く曜ちゃんは何を想うのか。そこである、バトルフィールドは。
私は悲しくもラブライブシャツを着て聖地を楽しめない弱きオタクである。だがガチ恋勢としてはこれが信ずるあるべき姿だ。彼氏であるという自覚を持って横へ並んでいる。

俺は今、ここにいる。こうして曜ちゃんの隣に胸を張り立っていられる。それは存在の証明ではない、魂の肯定だ。俺は俺に胸を張って曜ちゃんの横に立てている、そんな事実を噛みしめる度に頬を流れる涙が止まらない。
私が伝えたいのは多様性だ。これもまた、聖地巡礼の楽しみ方の1つである。そう言いたい。等身大パネルのある聖地にこそ神威は宿る。
伝えたい。そこに等身大の彼女がいる、その事実こそが世界の煌めきであるということを。そしてその向き合い方だけがお前の、俺の魂の輝きだ。曜ちゃんの横に立った時、その事実に気がついた。君が抱きしめる恋だけではない、俺が抱きしめる恋もまたいとしいのだ。

こういった存在と写真を撮る、という点において現実と決定的に違う部分が1つある。それは100%自分の意志だけで立ち向かう必要があるということだ。
現実におけるこの手の写真というものは両者の意見があって初めて成されるものだ。せっかく2人で来たのだから写真を取ろうとなるのはそれなりの人間生活の中では必然の流れといえる。
だからそれらは大いなる流れであったりあるいはどちらかの意見があったり、そしてなによりも人間同士で撮る行為は至極当然のものだ。だがこの道のそれはまるで違う。
曜ちゃんは俺の背中を押してくれない。だから俺が決める必要があるのだ。

我々オタクの一挙手一投足には常に公害となり得る可能性を孕んでいる。いつだってそこだけは忘れてはならない。だからパネル付近でまごまごともたつくことは許されない。事は全てエレガントに運べ、そういうことだ。
(一般的な)人の道から外れた存在であるという認識だけが力を与える。要は迷惑にならなければいいのだ。周辺でうだうだとしたりなんやりしているから邪魔になるのだ。邪魔にならなければいいだけだ。
つまり、恥じらいだなんだを捨ててスタイリッシュに事を済ませて何事もなかったかのように去ればいい。そうあれるよう、強くあれ。バントがどうした、嫌ならさせるな。眉村の言葉を心で理解できた。

だって、写真撮りたいだろ。当然ごりごりのツーショットを、だ。その欲望に目を背けない、自分は殺させない。だからいつだって人間であり続けなければならない。そういうことだ。
そういった私の葛藤の果てに辿り着いた道の先、それが先の曜ちゃんとの写真と言っても差し支えない。あまりにも心の前向きさが力を与え、敬礼がモンハンのジェスチャーのようになってしまっているのもまた面白い。

行ってよかった、心からそう想う。二次元だからこそ、それを可能な限り三次元に落とし込んでくれる等身大パネルという概念が本当に愛おしい。曜ちゃんがあまりにもかわいい生物であるという当たり前の事実をしみじみと噛み締めさせてくれたことにも感謝だ。

それはそれとしてやはり大都会沼津、町おこしパワーを前面に押し出しているだけあってとても愉快な地であった。
何よりも聖地という概念、伊豆・三津シーパラダイスに大いなる感謝を。このアクアリウムがあったからこそふたりは出会えた。そうすることでしっかりと再認識できた、私は曜ちゃんのことが好きだと。否、言い換えよう。

大好きよっ
─────もうかくさない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?