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自分の「好き」を呼び戻す ー 「インド印度 India!!!」

ありのままの自分を受け入れて、自分自身を取り戻して、自分を活かして私らしく生きていく。
それは自分がどうありたいか、というあり方と一致した生き方を選択し続けること。
その道が自分だけの「生き様」となって、唯一無二の人生になっていくと信じて突き進み始めたところです。

そのための毎日の小さな一歩として、「自分の中の好きを呼び戻す!」があるのですが、
好きが色々集まってきています^_^

その中の一つ、今日のタイトルにある「インド!」

2012年のGWに初めてインドを訪れてから、生と死、浄と不浄、真実と嘘がごっちゃ混ぜになって、しかもそれが隠されておらずオープンになってエネルギー溢れてるすんごい国だ!これぞまさに「真に」生きるってことなんじゃないかい!?とピンときてしまい、あれよあれよと言う間に仕事が決まり、その約半年後の2013年1月には北インドにあるインドの首都デリー近くのグルガオン(今はグルグラム)という町に旅立ち、4年9ヶ月住んでいました。

そのインドで今のパートナーと出逢い、長女を妊娠していなければ、インドで3社目を経験した後、次はアフリカ(その頃はタンザニア、ケニア、セネガルあたりを検討中)で仕事を見つけて移住しよう、と思っていました。
もうひたすら日本から離れて、西へ西へ地球を巡っていこう、アフリカの次は南米か中南米がいいな〜、起業をして時間も場所も自由に地球を飛び回りながら生きていきたい!と夢と想いは膨らむばかりでした。

パートナーとの運命的な出逢いがあって、もう戻ることはないと思っていた日本に、しかもこれまで縁もゆかりもなかった土地に移り住んでいる現在があるのですが、、

インドに想いを馳せて、今ここで息を吸い込んでみると、、
ん〜今でもリアルにあの自分が体験したインドの香りが本当にしてくるくらい、香りの記憶から様々な思い出、体験、感情がじわじわと蘇ってきます。

五感を辿って。

嗅覚 ー まずは香り。

スパイスや油の香り、雑多な地元のマーケットや満員電車のなんともいえないスパイスと人々の色んな香りが混じった匂い、その辺に放り投げているゴミと群がっている牛や豚(猪かな?)の匂い、道端で巻き上がる土埃の匂い、道端で作っているチャイの香りと共に、そのすぐそばにある公衆トイレの匂い、屋台の焼きとうもろこしと煙の香り、祈りを捧げる時のお香の香り(これが一番好きかも!)アーユルヴェーダマッサージのセサミオイルや色々なエッセンシャルオイルが混ざった癒される香り、タクシーのおじさんの整髪料の匂い(これは日本でもあるかな笑)、などなど、、 

聴覚 ー 次は音。

とにかくどこもかしこも、とっても賑やか。
町はたくさんの車、バイク、オートリキシャ(三輪のバイク、後ろに2人くらい人が乗れる屋根付きの椅子がついていて目的地まで運んでくれる)、自転車のおじさん(オートリキシャの自転車版)に溢れて、ピーピー、パッパー、ブップー、チリンチリン、などなどクラクションの音だらけ。その上を高架線メトロがデリーに向かって走っていく。 
主要な駅はいつも混雑していて、電車の中でも話し声が聞こえるのは普通のことだし、携帯が鳴ってそのまま話す人も。

そして、特に土日の早朝などは、ヒンドゥー教の祈りの音楽や歌声(お経?マントラ?)が聞こえてきたり、
お祭り好きな国!?結婚式、お誕生日、宗教の祝日やお祝いの行事には、至る所でボリウッドダンスのような音楽が爆音で流れたり、爆竹が鳴ったり。
夜10時くらいまで続いたりするので、妊娠中の時は、お腹にドンドコ響いて眠れないよ〜だったり。

なので、5年近くで5回も引っ越ししながら住んでいましたが、その間一度もうるさいと言われたことはありませんし、電車などの中でも静かにしてと言われたことはありません。(こちらがもう少し静かにして〜と思うことはありましたが笑)

3社経験した現地の会社の中で、2社は社内もとても賑やかでした。特に2社目は女性の割合が多い(というかパワーバランスが女性の方が強い笑)会社でしたので、私も一緒になってピーチクパーチクよくおしゃべりしていました。

今となっては、そのとっても賑やかな音が今ここに生きている証として感じられ、時々無性に恋しくなります。
お互いのびのびと生きていられる感じがするんです。

視覚 ー 色。

とにかくカラフル!
日本の流行りのアースカラーのような色もあるにはありますが、パキッと原色カラーのサリー、パンジャビスーツを着た方が多く目に入ります。

アクセサリーは、比較的大ぶりでジャラジャラしていることが多いです。
ゴールドの土台に荒削りでも大きな石がついたリングを男性も女性もつけている人が多いです。

ネイルも、ヌーディーより赤や紫などの原色が多い印象です。

赤、黄色、紫、パッションピンク、青、オレンジ、などの原色があちこちに見られます。

また電飾でギラつかせたオートリキシャや(日本でいうデコトラみたいな?)
年に一度のお祝い「ディワリ」の時はその数週間前から家のベランダやお店のあちこちが電飾で煌びやかに飾られピカピカします。
(日本でいうクリスマスのデコレーションのような)

結婚する際や祝事の参加時に施すメヘンディー(ヘナタトゥーともいうのかな?)という、ヘナを使って手の甲や手のひらに、花嫁さんは手〜ひじ近くまでマンダラのような美しい模様が描かれ、数日〜数週間はその黒色〜薄茶色の色が残る美しさも、なかなか日本では見られない文化です。
腕中があまりの細かい模様に、初めてご覧になる方はちょっとびっくりしちゃうかも。

味覚 ー 味

何と言っても、スパイス!
具体的には家庭のインドカレーと道端のチャイや屋台の食べ物がめちゃくちゃ恋しい!
日本で食べるインド料理店のカレーセットやチャイももちろん美味しいのですが、
私が好きなのは何より友人や同僚達がランチに持ってくる、それぞれの家庭のカレー料理です。

なんていうか、あの茶色いカレーというより、もっともっと種類が多くて、無限にメニューがある感じ。

意外と野菜や豆がたっぷりで、ゆるいペースト状のものからドライで汁っ気がないものまで実に多種多様。ナンではなくチャパティという、発酵させてなくて、ナンよりもっとパサっと消化に優しいめちゃくちゃ素朴な薄めの丸い生地でおかずをすくったり巻いたりして食べます。

例えば同じオクラ入りカレーでもそれぞれの家庭のスパイスの配合で全然味が変わったりして、毎日飽きない!

これは広ーいインド、私の住んでいた北インドのほんの一部のメニューなので、西へ東へ南へ行けばまた全然違ったメニューや食べ方があります。

最後は触覚ーここでは心の触れ合いという意味では使わせて下さい。

何より心から通じ合えるインド人の友人と巡り会えたこと。

とにかく全てが「近くてあったかい。」

一緒に仕事してご飯食べて、プライベートでも友人の家族親戚にまで優しくしてもらって、、表面的な付き合いではなく、お互い言いたいことを言い合って時にケンカになったり、、でもその後に残るわけではなく、誤解があれば誤解に気付き、言い過ぎれば言い過ぎたとお互いに反省し、仲直りして、また何事もなかったかのように、むしろ本音を言い合ったことによってよりお互いの信頼感と絆が生まれた友人関係を通して、心に血が通っている感覚が戻ってきました。

少なくとも、私が関わったインド人の人達の中には、私が日本人だからという理由で心に壁を作っている人はいませんでした。
フラットに対等に接していてくれたのではないでしょうか。

これがインド人同士であれば、すでに廃止されているといえども、まだまだ文化や風習に根付いているカーストや、日本の10倍の土地と人口があり、人種も宗教も文化も日本よりずっと多種多様にわたるので、全ての人同士がフラットに対等な関係性ではないと思います。外国人には計り知れない目に見えない関係性の壁もあると思います。

あの頃、とにかく日本、日本人から離れて自分のことを誰も知らない国でその土地の人間と化して一体となって=インド人になりたい!
という想いでプライベートはどんどん自分らしく個性を表現して、生き生きとした自分になっていったと思います。

シェアの文化が根付いていて、毎日ランチを同僚と集まって食べるときに、それぞれ持ってきたおかずを皆に回して、ちょっとずつ取り分けるんです。だから、一回のランチでたくさんの味のカレーが楽しめます。

口をつけないで飲むけど、場合によっては、ペットボトルの水でさえ分け与えたりするような、シェアの文化が浸透しているところも大好きです。

道に迷えばどこで誰に聞いたって、無視されることは一度もありませんでした。
むしろ、良くも悪くも、例えその場所まで行き方を知らない人でも、何かしら教えてくれようとする(しかも自信たっぷりに!)助け合いの精神。
なので、聞けども聞けども目的地に辿り着かず、聞く人聞く人方向が違ってかえって迷うこともたまに笑
そんな体験も、人との近い距離感や、助け合いの精神が学べた人間活動の良き想い出です。

そして、子供好きな人が多いこと。
子供が泣いてもぐずっても、それをうるさいと顔をしかめたり文句を言ってくる人など皆無でした。

病院でも生まれたばかりの娘を、担当でない看護師さんも含めて代わる代わる見に来たり抱っこしたり。

時に私がシャワーを浴びている間に母子同室だった娘が連れ去られて!?焦って探したら、ナースステーションまで勝手に散歩に連れて行かれていたことも。

病院で検診などでの待合室やエントランスを歩いていても、「可愛いわね〜男の子女の子?」などと気軽に声をかけてくれたり。

インドの大きな私立病院では、中東やアフリカ系、ロシア系と見受けられる方々も多く他国からいらっしゃっているのですが、ある時は、車椅子に乗っている中東と東欧のミックスのような顔立ちの少女が、娘を見て急に「Cute! I love you」といって娘のほっぺにキスをしてくれたこともありました。

その時娘はまだ新生児ですので、少々病気や感染症などについて心配になってしまったのですが、その少女の悪気なく純粋な行動を拒否することはできませんでした。
(その後、娘は問題なく無事にすくすく育っています。)

出産後、前の職場に長女を見せに連れていった時も、代わる代わる抱っこして喜んで可愛がって写真を撮ったり、、

そのようなことは日本にももちろんあると思いますが、良い時の対応ばかりではなく、子供が電車や車、お店の中などで泣き喚いたりぐずったりしたときの周りの目というか空気感が全然違います。

元々周りが賑やかなことが多いので、そもそも多少の騒音は大らかに捉えてくれる習慣があるんじゃないかな。

子供は走り回ったり元気にはしゃいだりぐずったら泣くもの、と世間が容認してくれている感じです。
なんなら周りの他人の方々も、子供をあやそうとしてくれたり。

そもそも子供は宝という文化なので、周りで子供が生まれたとなると、皆自分のことのように良かったね〜というウエルカムな心で迎えてくれるのがとても心地よかったです。

どちらかといえば迷惑かけてなんぼ、お互い様、お互い助け合っていこうという文化が根底にある国がインドだと感じています。
なので合言葉のように聞く言葉が、どんな時でも「OK no problem!」なのかなと。

仕事でも結構深刻な事態でも、とりあえず第一声はNo problem。特に仕事の場合、ちょっとのミスでも割と深刻に捉えがちな私にとっては、ある意味頼もしく尊敬します。まぁちょっと運命論、これは私には変えられないこと、避けられないことであって、決して私の準備不足などのせいではない、間違ったわけではない、という理屈もマインドにはありそうなのですが、、

例:遅刻しても「電車が時間通りに来なくて遅れてきたから」とか「家を出る直前にバイクがパンクして使えなくなったので、別の手段で来たので遅くなった」とか。それを見越して早く家を出るとか、定期的に前日にバイクを点検しておく、という発想が初めからあるインド人の方もいらっしゃるとは思いますが、少なくとも3社現地の会社で働いた経験からすると、なかなかいなかった、、うん、いなかったんじゃないかな、色々なExcuseを聞いてきた限り、、。

上記五感のエピソードをまとめると、それぞれがはっきりしていて、かなりの存在感を示しているのですが、お互いにダメ出ししないというか、それぞれの個性をお互いがのびのび主張してOK、お互い認めて肯定し合っているような雰囲気が、私にとっては香り、音、色、味、心の触れ合いである触覚からも感じられる国でした。

「自分の好きを取り戻す」活動を始めてから、NHKのお料理番組で簡単に作れるインドカレーに出逢ったり、楽天市場で本場のスパイス達をお手軽な価格で手に入るショップさんを見つけることができたり、自分の中でインド愛が再燃しています。

自分のアンテナがどんどんチューニングされて、本当に求めている情報に巡り会えてきている気がします。

約5年働きながら住み、出産までした国インドについては、自分の中で第二の故郷と思っているくらい思い入れの強い国なので、また色々noteにつらつらと書いていきたいなと思います。
長女にとっては、自分が生まれ育った最初の国になるわけですしね。

以上長文ですが、私の取り戻した「好き」シリーズ、第一話は「第二の故郷と呼ばせて下さいインド!」を五感から巡る、でした^_^

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