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超個人的な「はじまりの話」

 人間なんか、居なくなってしまえばいいのに!
 これは、私がまだ「将来は動物園の飼育係になる!」と目をキラキラさせていた頃の考えである。けれど、真理ではないかと、ずっと思って来た。突き詰めて言えば、私自身も居なくなってしまえばいいに値するのではないか、と。そんな思いを抱えて生きて来たような気がする。
 
 小学校高学年の頃、私は新聞を切り抜きスクラップするのを日課としていた。
「動物が好きなら、動物の記事を切り取ってみたらどうだ?」
 そんな風に勤勉家の父にそそのかされて始めたことだろう。しかし、“動物に触れられる”というワクワク感に誘われ、記事を切り抜いてはスクラップブックに貼っていた。
 今でも覚えているのは、お寺の住職が飼っていたトラが逃げ出して射殺されたという記事。聖職の身でありながら、顕示欲のために野生動物を小さな檻で飼い、逃げたからと命を奪う。その身勝手さが強烈に記憶に残った。そして、いつの頃からか、物事からいくつもの矛盾を感じるようになっていった。例えば、このトラの記事で言えば、自分は動物が好きで動物園の飼育係になりたいと思っているけれど、野生動物を自然から切り離して飼育することに加担するのは、あの住職と同じじゃない? と。
 
 人間なんか滅んでしまえ論は、地球を取り巻く問題を知る度に、私の中でどんどん膨らんでいった。地球温暖化の原因は近代社会の発展にある。人が森を壊すから動物が住めなくなり、人が川を汚すから海が汚れ、海洋生物が滅んでいく。人がゴミを出すから、大気が汚染されるから、地球が滅んでいく。奪うことでしか生きられないのであれば、人間なんて居なくなってしまえばいい。そしてまた、自分なんかいなくてもいいというループに陥ってしまうのだ。
 
 しかし、神様という存在がこの世にいるとしたら、この世に不要なものは創らなかったとも思うのだ。道端の雑草はなぜ刈り取っても、切り取っても翌年必ず生えてくるのか。猛威を振るうウィルスは、なぜなくならないのか。地球に悪さばかりする人間は、何のために存在し続けているのか。何か役割があるはずじゃないのか。
 
 その疑問が少しずつほどかれていったのが、農業との出会いだった。勤め先のデイサービスでお婆さんたちへの回想療法を兼ねて始めたことだったが、安心&安全なものを食べてもらいたいと調べる内に、無農薬・無化学肥料で野菜を育てる自然栽培に行きついた。
 
 2022年9月に市民農園を借り、自然栽培に取り組み始めた。草マルチとして刈り取った雑草を畝の上に敷く。刈り取った雑草は微生物たちに分解され、植物が取り込みやすい形の栄養素になり、植物はそれを吸収する代わりに、光合成で作り出した糖分を微生物たちに与える。微生物たちは植物の糖分をエネルギーに、また雑草を分解して栄養素を作り出す。敷き草は昆虫の住みかになり、鳥がやって来る。その糞や死骸もまた栄養素になる。そこにマメ科の植物を植えると、マメ科は空気中の窒素を地中に固定することができるため、地中の栄養素を増やすだけでなく、地球温暖化の原因である亜酸化窒素(二酸化炭素の300倍の温室効果を持つ)の解消にもつながる。草マルチが分解されて地表が露わになれば、新たな雑草に畑が飲み込まれてしまう。放置ではダメなのだ。人が関わり続けなければ…。
 
 動物園の飼育係になりたかった私は今、野菜や草、土、微生物たちを相手にしている。彼らが心地よく、伸び伸びと生きていくためには、何が必要かを見て・感じて・手を貸していく。過剰に踏み込めばバランスが壊れてしまうし、構わなければ原野に戻ってしまう。土中でせっせと働く微生物のように、私は地表からせっせと生き物の働きやすい協生環境を創ろうとしているわけだ。楽しくてしょうがない。
 この循環に関われてやっと、私は生きていてもいいんだなと思えるようになった。
 
 協生と循環の大切さは、畑に限ったことではない。自然栽培野菜のゆったりとしたリズムは、障がい者らに合う気がする。耕作放棄地を借り受け、障がい者の方らと共に農園にする。作った野菜を学校給食に納入する。規格外野菜は、隣接する農家レストランや子ども食堂で提供する。町中の空き地で自然栽培ができれば、地球温暖化も防げる。定年後の男性を集めて巡回&手入れすれば、防犯対策にも生きがいづくりにもなるだろう。全てをつなげて協生させ、循環させれば、さまざまな社会問題が解決できるはずだ。
 
 これは人間にしかできない仕事である。人間は破壊を繰り返してきたが、それを食い止めるのもまた人間なのである。人としての役割があるのだ。
 
 私たちの体内には、増えすぎると毒になるけれど、なくてはならない菌が多数存在すると聞く。地球にとって人類は、そんな菌の一種なのかも知れない。地球に巣食う常在菌の一種として、いい循環を生む力になれるなら。それが私に求められる役割なら、ぜひ引き受けたいと思うのだ。

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