見出し画像

私たちの婦人科疾患―卵巣のう腫編13 これから、手術だよ!

とうとう手術日がやってきた。
この病院は22:00消灯の6:00起床。


朝6:00になると否応なしに病室のライトはカッと照らされ、起床時間を告げるアナウンスが流れる。
もそもそと布団から這い出て、ぼーっとした頭でベッドの上に佇んでいると、看護師さんが朝の検温に訪れた。


38度は回らなかったものの、この日の熱も高かった。たしか37.7度あたり。

昨日からの謎の発熱(飲み過ぎ…?)に手術できなかったら……と想像してしまう。


もし手術できなかった場合、
→退院して別日を再予約……?(次は何ヶ月後…?)
→その場合の休職期間の計算方法は……?
→会社に診断書&休職届けを出し直し……?
→健康保険組合に限度額適用認定証の期間を延長申請……?

いかんいかん!
すべてがややこしくなるぞ、こりゃ!
なんとしても今日手術してもらわんと!!

「熱、下がらなかったですが、手術って……」
「先生に確認してみますねー、おそらくできると思いますが……」

看護師さんは検温を終えると私のベッドをあとにした。

程なくして母親が付き添いにやってきた。
約束時間は8:00だったが、7:30前には病室を訪ねてきた。
この日は一日ごはんは食べない。
まだ熱があることなどをウダウダ話しているうちに、看護師さんが再度こちらに来て、

「そろそろ手術の準備を始めましょう!」

おお、手術は無事できそうだ。
これで面倒なことにならなくて済む。

「この手術着に着替えてください。下着は上も下も着けないでくださいね」

鮮やかな群青色の術衣を渡される。

「着替えたら弾性ストッキングを履いてください」

事前に病院の売店で購入しておいた弾性ストッキングを履く。

「普段コンタクト着用なんですが、手術中は外した方がいいですよね?」
「そうですね〜」
「眼鏡はかけてていいですか?」
「眼鏡なら手術室で看護師が預かりますので大丈夫ですよ」

看護師さんによる手術ファッションチェックが終わったところで、手術着を着た状態で母親に写真を撮ってもらう。

準備を終えて10分ほどで看護師さんが呼びに来た。

「手術室に移動します」

術衣と弾性ストッキングという出で立ちで病室を抜けてエレベーターホールへ徒歩で向かう。

上は何も着けないだろうことは予想していたが、まさかノーパンとは……

手術室は他の医師や患者、見舞客に混じってエレベーターで移動した先にあるので、なかなかの羞恥プレイ。

手術ってもっと搬送用ベッドに乗せられてウルウルしながら移動するものかと思ってたのに……
現実は乳首が浮かないように胸元がはだけないようにひたすら気を遣って、憂う雰囲気は一切なかった。


エレベーターホールで母親と別れ、手術室へと向かう。
病棟の看護師さんは手術室の手前まで付き添ってくれる。
手術室からは手術室担当の看護師さんへバトンタッチされ、幼稚園で使うような手提げバッグとともに身柄を引き渡された。
あのペラペラの手提げバッグには何が入っているのだろうか?

横目で見つつ、手術室担当の看護師さんに案内されるまま後ろを着いていく。

案内された先には待合スペースがあった。
壁に黒板が掛かっていて、その黒板に向かってパイプ椅子がずらり並べられている。そしてうす暗い。


……裏方感が強い。
学生時代、視聴覚室とか特別○○室とかクラスでない場所で授業するときに座らせられたイメージを彷彿とさせる。
もしくは文化祭の準備か。
手術室の中ってもっと無機質なイメージかと思っていた。

パイプ椅子のひとつに座らせられると、名前と手術の部位・方法を再確認された。
「間違いないです! 」のタイミングで、横からスッと不織布でできたモジャモジャを差し出される。

「手術室に行く前にシャワーキャップ被ってくださいね」

ふと周りに目をやると、私と同じ手術着を着せられたオジサンもいれば、お姉さんもいた。
みんな一様に手術と言われて連れてこられたのに、わけも分からずパイプ椅子に座らせられているのだ。
――ノーパンで。シャワーキャップで。
ここは異世界かもしれない。

待合スペースでしばし待つと、麻酔医が来て、いよいよ手術が始まるという。

「ついてきてください」と歩き出す先生と看護師。
ここも徒歩移動かっていうか、先生歩くのはやっ!! 競歩か。

こっちは手術直前の病人で、おまけにノーブラノーパンなのを1ミリくらい慮ってくれても、バチは当たらんのではないか。

そう思いながらも置いて行かれないように必死に早歩きで着いていく。

手術室、結構遠いんだね。
ドラマとかではオペ室の自動ドアのすぐ向こうで手術してるように感じるけど。

そして、廊下? 通路? も凄まじい裏方感が漂う。
機械類が端に寄せてあったり、担架? が積み重なって置いてあったり。
体育倉庫かはたまた理科的な準備室か、もしくは美術的な準備室か、もしくは劇場の裏だな。

病院紹介写真は片付けてからフォトジェニックな方向から撮ってるんだな。あるある。

ようやく私の手術室に到着するとベッドに横になるように言われる。
仰向けで寝ると、頭をもうちょっと上にとか微調整が入った。整体か。
メガネを外されいよいよ視界はぼんやりと。

「右手指失礼しますね」
指にパルス的なものを付けられ、
「心電図付けますね」
胸部にペトペト器具を取り付けられ
「マスク付けますね」
顔にマスクを取り付けられ
「点滴入れますねー」
左手に点滴を刺され。
「脚を固定しますー」
バンドで脚を留められる。


超VIP待遇。
どこぞの王族並に4、5人がいっぺんに私のケアをし始めるではないか。

それはそれとして、点滴怖い。
刺し直しとか絶対やめて……!

ビクビクしながら麻酔医の先生を見つめる。
最初は左腕を探していた先生だったが、探す手がだんだん手首の方に降りてくる。
や、やっぱそうなるよね。
うん、いいよ。もうしょうがないよ。それはしょうがない。

血管がわかりにくい私の腕が悪い。
一発で決めてくれればそれでいいよ!!
先生はどうやら左手の甲に狙いを定めたようだ。
最悪ヒットするまで何回かトライ・アンド・エラーされることも覚悟したが先生は一発で決めてくださった! 神!!
無事点滴が決まったところで、「麻酔流しますよー」と先生。
冷たい(と感じる)液体が一気に(と感じる)左手に注ぎ込まれた。

「痛い! 痛いです、先生!」

マスク越しにフガフガする私。
親指側の手首にツンとした痛みが走る。

「さすってあげてー」と看護師さんに指示する先生。
手首、手首痛いです! 痛いです! 痛いです!

ここで記憶が途切れ、次に目が覚めたのはエレベーターの中だった。

入院前、婦人科の病気を経験した人のブログや知恵袋を読み漁っていたが、よくこんなことが書かれていた。

ーー全身麻酔から覚めて、寒気がする、吐き気がする、熱が出る。
覚悟していたのだが、幸い自分にはその症状は出なかった。

手術が終わり病室へと移動するベッドの上で目を覚まし、同乗していた先生に「ありがとうございます」と挨拶できた。

その感謝の意が、ちゃんと声になって届いていたかは、冷静に思い返してみるといささか怪しいけれども。

病室に戻ると母が椅子に腰掛けて帰還を待っていた。
うつらうつらしつつもiPhoneのロックを外し母に写真を撮ってもらうようせがむ。
手術が確定してから、自分のことを反面教師にしてほしいがため記録に残そうと決めていた。
あらゆる角度からひと通り撮影してもらった。
そこに写っていたのは虚ろな目をした二重アゴだった。
後からカメラロールをチェックしたところ、撮影時間は12:14だった。

目的を果たした私は麻酔からなのか手術明けだからなのか、だんだんと朦朧としてきた。
母親は手術中に先生から手術の経過について説明を受けたらしい。

「子宮内膜症も併発してたらしいよ」
……ひぇ。
「癒着も起こしてたらしくて、それ用のシートを使いながら手術したんだって」
……ひひぇ。
「今回は左だったけど、右もやばいってよ」
……な、な、な、なんですと〜⁈
(後述しますが、後日の診察で術後の経過は良好と言われます)

母親にビビらされた後はこれといって話すこともすることもなく。
というよりも、身体はまったくと言っていいほど動かないし、喉もカスッカスで声が出ないのだ。
喉は手術中に管を通したかららしい。
おまけに頭も朦朧として働かないものだから、ただじっとりと横になるほかはない。
母親も朝からの疲れが出たようで私のベッドに突っ伏している。

「帰ったら?」
「大丈夫。もう今日はやることもできることもないから」

絶賛抗がん剤治療中の母親を、これ以上引き留めることもないだろう。
引き上げてもらうことにした。

母親をベッドから見送っ夜中まで記憶がない。
おそらくストンと眠りに落ちたんだと思う。
辛かったのは夜中だ。
まず、暑い、寝苦しい。「普通に病室が暑い」というやつだ。
そして身体が動かせないので寝返りも打てない。
看護師さんに夜中、掛け布団の位置を調整してもらい、寝姿勢補助のための枕を背中に入れてもらった。
姿勢が変わってちょっと楽になる。
のも束の間、今度は背中に枕が入った状態から抜け出せない。
銃撃戦で負傷したアクション映画の主人公さながら肘の力でズリズリ這いずりながら己のベストポジションを探る。
深夜の攻防戦だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?