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この記事は、一年後、わたしくらいしか読まないだろう。

 自分の言葉が、かたちになって残ると思うと筆が(指が)止まる。

 この文章を見て、一年後の私は何を思うのだろうか。

 拙い文章に、私的な部分をさらけ出した内容に、顔を赤くしてしまうのではないだろうか。

 得意顔をして知識をひけらかしたり、秘密にしていたことをうっかり公開して顔を青くしていないだろうか。

 そんなことを考えはじめると、今日もそっとnoteを閉じてしまう。

 伝えたいことはある。ただ自分の考えを聞いて欲しい、という欲望がある。誰かの役に立つかも、立ちたいと思うこともある。

 でも、ちょっと未来の自分に対して恥ずかしいと感じてしまって、立ち止まる。

 きっと一年後、もうちょっと先、わたしの文章なんて読むのは自分くらいだ。黒歴史を大いに繰り広げてきた私にとって、予想できる過去への羞恥を避けたいという思いは、なかなか切実なものだ。

 それであれば、一年後のわたしに向けて記録を残そう。

 今日どんなことがあって、どんなことを考えたのか。

 わたしの大切なものたちが、どんなことをして、どんなことを言っていたのか。

 誰かは分からないけど、誰かに何かを伝えたいと思うことは何だったのか。

 忘れたくないな。そんなふうに感じることを記そう。


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