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たぶんそれは👽にとって人生最大のカルチャーショック。

ウチの娘、M子の話を。
もう30歳になった娘が子どもの頃、よく、お兄ちゃんがいるの?と聞かれていたのだが、一人っ子だ。
4歳ぐらいの時、店員さんに「小学校3年生ぐらいかな~?」と言われ、
んな、あほな、と思ったけど、それぐらい生まれたときから体が大きかった。出産は、頭蓋骨が引っかかるかもしれないからと、帝王切開だった。
成長すると、そんなに大きな頭にはならなかったのだけど。

実際、お兄ちゃんはいた。正確には早い時期に流産し、その後すぐにM子ができて、ありがたいことに男の子のように骨太だからか、大きな病気もなく今日まで育ってくれた。👽は結婚したとき40歳だったから、子どもが二十歳になったら自分は60歳で~定年まじかで~お給料も減るし~ということで、子どもは一人でいいと言っていた。だから最初の子が生まれていたら、M子は生まれていないことになる。

一人っ子で、訳の分からん👽のもとで育ったにもかかわらず、グレもせず、むしろ「血が繋がっているからか、お父さんの言動がわからんでもない…」と理解を示し、「自分が家に寄り付かなくなったらこの家族は崩壊する」と泣かされても帰省し(やれやれ、と👽の相手をしてやる大人なM子)、カサンドラで頭がおかしくなりそうな私をいつも助けてくれた。

これはきっと、生まれてこられなかった最初の子が、いつもM子を助けてくれているのだと、私は思っている。

1992年生まれ。鉄腕アトムと同じ誕生日~2010年***********
M子はとても慎重だが、思い切りもいい。3歳ぐらいの時、砂場の端に立ち尽くし、遊んでいるお兄ちゃん、お姉ちゃんたちをじーっと見ていたことがあった。子育てが初めてだった私は、なかなか遊びの輪に入ろうとしない娘がちょっと心配になったのだけど、我慢して見ていたら、突然にこにこしながらその輪に入って遊び始めたのだ。砂場の端に立って、みんな何してるのかな?入っていっても大丈夫かな?と思いを巡らしていたのかもしれない。

慎重だが大胆なM子を見ていると、いつもこの砂場のことを思い出す。
それ以来、「子どもが自分で考えているときは、親は口をはさんではいけない」と肝に銘じた。

親がいなくなっても自分でしっかり生きていけるように。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任がとれる子になってほしい。
いつもそんなことを考えながら子育てしてきた。

2010大学生~2012年************************
大学受験やその後の進路に関しても、私と👽の考えが全く正反対なのは、後々はっきりわかったのだが、まさかここまで正反対だとは思わなかったので、当時はそんなに詳しく話し合いもしていなかった。
今思えば👽は蚊帳の外だった気もするが、自然の流れに任せてM子の希望を👽に伝え、特に反対もしなかったので、M子は県外の大学に進学し、
家を出た。 一人っ子なのに!by👽

👽からすれば、私と娘の考えこそが非常識だったのだが、大学を卒業すれば地元に帰ってきて、👽が考えるような「普通の暮らし」をするだろうと思っていたそうだ。だから、しぶしぶだが家を出ることを許したらしい。


2012~2019年
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大学3年生が終わろうとする春。
娘は、卒業後の進路について、👽に打ち明けた。
大学で外国語を学んでいたM子は、周りと同じように就職活動をしていたが、今一つ思うような仕事に出会えないでいた。そんななか、主専攻ではなかったが履修していた韓国語に興味を持ち、「将来、韓国語を使う仕事をしたい。そのために、語学留学したい。費用をすべて出してもらうのは申し訳ないので、卒業後はまず働いてお金をためたい。」と👽に話した。

お金を貯めるといっても全額賄えるわけではないので、援助は必要だ。
👽も、「婚期が遅れる」ということが頭をかすめたらしく、全額出してやるからすぐ語学留学しろと言ってきた。
しかし娘はそれを辞退?し、大学卒業後2年間、仕事を掛け持ちして働き、それなりのお金を貯め、2年間語学留学した。

娘が何かやりたいとき、私はいつも「自分で👽を説得しろ」と言ってきた。社会に出れば必ず必要になるプレゼン力の強化である。
何をなぜやりたいのか。そのためにどんな準備をし、どのようなプロセスを踏むのか。うまくいかないとき、どのように対処するつもりか。など、自分で相手に説明し、相手を納得させられなければ、その計画はたぶんうまくいかない。
ゴリ押しではなく、人生の先輩である相手の話はアドバイスとしてきちんと受け入れ、そのうえで納得してもらう。それができないようであれば、「やりたい」という思いもその程度のものだったのだ、と。


2019~2020年
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2019年の春、M子は2年間の留学を終えて帰国。
自分が希望する分野で韓国語を使う仕事に就いた。就職が決まるかどうか、ハラハラはしたが、そのあたりもM子は強運の持ち主。生まれてこられなかったお兄ちゃんが守ってくれていると思う。

初めての地で、住む所や仕事先など、すべての段取りや手続きを一人でやった。小さい頃から手紙や私との交換日記を書いたり、〇〇ゼミの郵便での提出を自分でやったりというのが好きだったのが、とても役に立っている。そして、コロナ禍で行動制限が始まる前1年間は仕事の忙しさを経験し(このタイミングもラッキーだった)、その後も継続して同じ職場に勤務し、大変だけど充実した毎日を送っている。


2020年M子28歳~
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帰国後1年経った春、👽を次なる試練が襲う。
M子が 韓国の人と結婚する。と言い出したのだ。

たぶん👽にとって人生最大のカルチャーショック。

よく👽の心臓が止まらなかったなと思う。
よく、娘が勘当にならなかったなと思う。
👽である。宇宙人である。
子どもの仕事は正社員か公務員がベストで、結婚適齢期になったら結婚するのが当たり前だと思っている男である。

私は、その1年前にお相手に会っていた。もちろん👽には言っていない。
私は日本語教師の端くれでもあるので外国人でも気にしないし、何よりお相手が好感のもてる韓国男子だった。

2020年の春、M子が 韓国の人と結婚する。と👽に告げたとき、すでにM子のプレゼンはスタートしていた。まず、👽の心境を考え、M子一人で帰省してプレゼン。その翌週、とんぼ返りでお相手とともに再び帰省して挨拶をするという段取り。

どうなる?どうする?
M子が話し出したとき、私はリビングの少し離れた所に座って👽の後姿を見ながら聞いていたのだが(M子から事前に知らされていたタイミング)、いきなりキレないか、私の心臓の方が止まりそうだった。

ところが、話は意外な展開に。
あの子が助けてくれたのか、強運の持ち主 M子。
当時を思い出して心臓が痛くなってきたので、続きは次回に。 (つづく)









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