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伊木力という温州みかんの産地がある。

伊木力という温州みかんの産地がある。
大村湾を抱えるように拡がる鼻や崎丘にはみかん畑が集在して、遠目でもそれがみかん畑であることがわかる。花咲く5月には、花橘の香を嗅げばと謳う以上にあたりにはハチミツのような香りがただよう。ディーゼルエンジンの列車で浦上から長与を通って、トンネルを抜けると、一面のみかん畑が広がり、ちょうどその時は窓を少し開けただけで、車内には花がにおう。

猫の額くらいしかない耕地で、麦とわずかばかりの米をつくっていた私の祖母方の祖先は、明治になって先駆的な地域の実業団によってみかんの効率的な栽培を知る。その先駆者たちは、当時大規模農園のフロンティアであったカリフォルニアまで出掛け、オレンジの栽培からヒントと苗木を得て品種改良と栽培と集荷のフローを確立した。半農半漁の穏やかな村が、一躍みかんの産地になったのは彼らの尽力によるものだ。

一方で、商業農業は豊かな森をすっかり無味乾燥の山に変えたのも事実だ。この辺りは今では信じられないくらいのブナやナラ、クスの大木が広がる森だったらしい。

伊木力という名の縄文から弥生と続く遺跡から、7mもの丸木舟が出土されたのは、つい最近のこと。朝鮮半島や他の日本の出土された外洋舟とひけをとらない、むしろそれ以上の舟は、寒村には似つかない程の豊かな交流を物語っている。それは、中国大陸原産の桃の種子が、舟とともに見出されたからだ。どうやら、豊富な木材を頼りに壱岐や対馬、敦賀、備後や朝鮮半島まで繋がる広域なネットワークをもっていたらしい。

史実上、これまで陸の孤島であった大村領の寒村は、造船や海上交流によって世界史に組込まれるかもしれない。まだまだ、わからない事ばかりだが、丸木舟の分布を辿ると海流にのって南太平洋まで連なる。南からやってきた原始の日本語に思いを馳せるのはまだまだ時期尚早かもしれない。

実家から送られてきた、みかんをつまみながら、私の血にあるかもしれない海洋民の遺伝子にゾクゾクとする。

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