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オモテナシの源流はどこか?

オモテナシという言葉が乱発されていた頃、それが固有のものでるのならば、いったい源流はどこなんだろうかと夢想してみたことがあります。

シーカヤックで対馬の海を漕いだり、東北の冬で「遠野物語」とか読み漁った記憶を辿ってみると、ついつい「おもてなし」の源流は、海でつながった縄文文化にあるのではないかと勘ぐり、そして、それはつい最近まで脈々と地方に根ざしていたことを、僕らはモットみなければと思います。コメとは異なる文化が重層的にあったというのをみつめて行きたいと思います。

日本語のルーツ、とりわけその音韻を分析すると、根源はオートロネシア、南太平洋や環太平洋の島嶼だとする説があります。
丸木舟を操り外洋を自由に航行する彼らは、縄文人の祖と考えられ、その足跡は寒冷化が始まる前まで、琉球から遠くは秋田や津軽の沿岸部まで確認されています
彼らに共通してある考えが、叡智をもった神々は海を渡ってくるというもの。これは、琉球や八重山の島々や、環太平洋の島々に今もなお祭りとして現存しているらしいです。
列島のおもてなしの源流は、この外洋から叡智を迎え入れるという姿勢、外界からの刺激に対して抱く、敬意や畏敬に起因しているのかもしれません。
ここからは推測ですが、寒冷化で狩猟採集のフィールドが狭められた時、まさに彼らは大陸から弥生人たちの流入を受け入れ、同化しようとした。海の向こうの中華文明が滅びる度に生じる流民を進んで受け容れ、クニを作り始めた。そう考えると、面白くなってきます。

江戸期に確立した200年の鎖国政策で、つい閉鎖的に類を見ない文化だとか、日本は単一民族であるとかの語弊が多々あるのですが、環太平洋の海洋文化やアイヌや八重山、琉球、中華朝鮮の文化の一端を担っていることも特筆すべきだなぁと思います。ただ、これは戦時中の南洋拡大に利用されたことも記憶しておかなければと思います。

おもてなしの源流は、環太平洋の南洋文化にあって、隣接する他の文化を内包することで、独自色を強め、中世以降発達した都市や経済活動によって洗練されたとにらんでいます。

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