親が親ばなれをしたら 子ばなれできた話
子育て中の方々、日々お疲れ様です。
子どもと親の関係性について
私の個人的な意見を今日は少し、
書いてみようと思います。
まず、わたしの体験から。
子どものころのわたしは、
頑張りやさん
だったと思います。
でもそれは、親に褒めてもらいたくて。
認めてもらいたくて。
すごいね!よく出来たね。
頑張ったね。
こんな言葉を欲しがって
ずっと欲しがっていたのです。
そんなわたしの期待はいつも
裏切られていた。
「ね、書道で上がったよ。」
「・・・・・」
最終的に中1で4段まで昇級した。
かなづちだったわたしが
水泳教室に入ってクロールを
泳げるようになった。
背泳ぎで25メートル。
平泳ぎは時間かかったけど
出来るようになった。
バタフライも攻略。
100メートルメドレーの
クラスになったとき。体が大人になって
休まないといけなくなった。
どうしても超えられない100メートル
この壁は、攻略を諦めた。
ただ・・・
水泳教室に通ったことは、
そのあと思わぬ功績をもたらす。
学校対抗の水泳大会の代表に
選ばれたのだ。
小学校内の25メートル自由形の記録、
速かったらしい。
当日は晴天。
慣れないプールと緊張でいい成績を
残すことはなかった。
陸上の大会にも出ることが出来た。
走るのは得意ではなかった。
未知の才能?
走り幅跳びが天才的に上手かった。
この記録は覚えている。
自己最高記録:4m10cm
担任の教師から放課後の
特訓に参加するように勧められた。
足の運びを鉄棒にぶら下がって
練習したり、歩数を考えて助走したり
毎日、頑張った。
大会当日。
プレッシャーと地面が土でなかったこと
そんな言い訳で記録は
3m80cmと上位に入れなかった。
今、考えるとわたし自身が
自分の子どもだったら絶対に
「すごいね!」
って言うに値する体験だったと思う。
でもどうしても思い出せない。
両親の褒めた言葉が。
励ましのことばが。
わたしは、大人になり二人のかわいい
子どもに恵まれた。
小さな子どもたちに わたしが
欲しがっていた言葉は
掛けられて
いただろうか。
娘のいろいろ・・・があって
わたしは自分の考え方と子どもとの
向き合い方を改めて見直した。
もう、認めてもらうのをあきらめよう。
そう思ったのは自分の娘が育てた子を
「育て方を間違ったんじゃないか?」
そう父親に言われたとき。
あ・・・そっか。
おかしかったのは、この人たちの
育て方だった。
だから。
まず、口癖を変えてみた。
思えばこんなことを多く言っていた。
「なんで?」
「どうして?」
「さいあくw」
この言葉を自分の中でNGワードとして
設定し、代わりにとにかく何か、
嫌なことが起きたら
(最悪な状況でなくて)
「よかったね」
そう意識して言うようにした。
そうしていると、不思議と子どもたちも
「〜〜でなくて よかったね」
と、いうことが多くなった。
忘れん坊のわたしは、
やることを書き出すことにした。
そして 認めてもらえなかった両親と
できる限り距離を置くことにした。
二人は電話魔だったが
(一人暮らしをしていたころは
別々に週に1回ずつ!)
どうしてもの時以外は掛けないでと
言った。そして ほぼ掛かってきても
取ることをやめた。
そして 人生の折り返しで
自由な大人になった。
お金がなくても
毎日、晩酌しても
自分ファースト。
何でもいいから仕事をするのではなくて
やりたいこと、勉強したいことに挑戦!
そんなひとりの女性としての
生き様を子どものそばでやることで
本人が望む自分を見つけて
目標を立てて進んでいくことが出来ると
信じている。
わたしの両親は心配ばかり。
わたしもそうやって子どもは育てると
思っていた。
でも・・・
(しんぱい)=(信頼していない)
そう、気づけたのだ。
「あなたたちの 信じることを
まっすぐに見て将来のしあわせを
自分で見つける」
子どもを親が信頼しなくて
だれが信じるの?
きっと大丈夫。
失敗は成功のもと
失敗したことを気づけたら
つぎは違う方法をやってみる。
「どうしてじゃなくて
どうやったらいいか?」
それを自分で見つけられなかったら
相談したらいい。
進めないときは
立ち止まったっていい。
ひとは、誰でも自分を信じてさえいれば
どんな夢も叶えることができる
そう、わたしでさえも。きっと。
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