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水と人間との戦い・戦後日本人のスゴさを見た『黒部の太陽』ー昔、映画が好きだった。そして今も好きなのだ 60s映画レビュー(8)

『黒部の太陽』と言えば三船敏郎と石原裕次郎の二大スーパースターが共演した大作として有名です。

 この映画が封切られた1968年。私は7歳で小学校1年生です。しかし、なぜか当時の私はこの映画の存在を知っていました。なぜなら、少年週刊誌に連載されていた漫画にこの黒部の太陽のことがギャグとして書かれていたからです(もちろん、内容等は知る由もありませんが)。つまり、それほどこの映画はいろいろな意味で注目されていたのだと思います。

今回、公開から50年たって見てみました。山を掘削してトンネルを造るのですが、大量の水が坑内に爆発するように噴出するシーンはかなり危険もあったのではないかと思うほどの迫力です。

この映画の見所である大量の漏水による水との戦いは肉体的・精神的に人間を極限状態にまで追い詰めます。最近の津波や土石流、河川の決壊による災害の大きさと重なります。

さて、この映画で私が最も印象に残ったのは工事が難航する中、関西電力の社長が熊谷組の専務に工事の継続を頼む場面です。

社長役の滝沢修は土下座して言います。「私は二人の息子を戦争で亡くしています。自分の人生で一番大事なものをすでに失っているんです。ですから、もう何も失って怖いものはないんです。」

なんと重い言葉でしょうか。

戦後の我が国の復興を支えたのは、戦火に散った若い英霊たちなのだ、と実感する場面でした。

この映画で、戦後・復興期の日本人のスゴさを見せられました。

私の祖父・祖母もその壮年期が、そして父・母世代はその青年期が戦後・復興期と重なっています。


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