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中村研一「マレー沖海戦」・鑑賞編~戦争画よ!教室でよみがえれ⑥

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ 

(4)では毎回、1枚の戦争画を取り上げてその絵を教材にした戦争の授業案を鑑賞編(前編)+授業編(後編)のワンセットで提案していきます。

(4)中村研一「マレー沖海戦」・鑑賞編ー戦争画を使った「戦争」の授業案

中村研一『マレー沖海戦』1942

 この絵の特徴は鳥の目になって俯瞰した視点から海上を見ている点にある。

 画面を見ると3つのアイテムが同時に目に飛び込んでくる。
 
 右上の飛行機。その下に位置する大型戦艦。そして右から左へ直進する巡洋艦(?)の3つである。でもよく見ると飛行機の眼下にかなり小型の船があることにも気づくだろう。これは駆逐艦だろうか。

 飛行機の翼には日の丸が描かれているのでこれが日本軍の飛行機であることはすぐにわかる。ということはその下に浮かぶ軍艦たちは敵軍のものであることもわかる。 

 2隻の船を見ると青い海の上に白い航跡が糸を引くように付いている。画面中央の奥からまっすぐ直線だった航跡は途中で右と左に別れて始めている。空からの攻撃を受けてそれをかわそうとしているからだ。

 この絵のタイトルは『マレー沖海戦』。マレー沖海戦は1941年12月10日にマレー半島沖で日本軍とイギリス軍の間で行われた戦闘である。アメリカ軍の真珠湾基地攻撃が12月8日なので、それから2日後のこの戦闘はもう一つの敵国・イギリスとの海上での大きな戦いだったということになる。

 このタイトルを見れば描かれている戦艦の名前は私もすぐにわかる。イギリスの戦艦プリンスオブウェールズまたはレパルスのどちらかだ。当時、イギリス海軍を代表する戦艦で「不沈艦」と呼ばれていた。つまり、どちらも絶対に沈むことはない、といわれた最新鋭の大戦艦だったのである。

 ではその上を飛ぶ日本の飛行機は?

 日本陸軍の96式陸上攻撃機または1式陸上攻撃機のどちらだ。これら日本の陸上攻撃機による水平爆撃、雷撃(魚雷攻撃)等の空からの攻撃で2隻は撃沈した。

 これらの戦闘を空からの俯瞰視点ですべて見せてくれているのである。

 この戦闘は予想外にも日本軍の圧勝で終わった。その原因は日本の航空戦闘能力の高さと「不沈鑑」という古くさい大艦巨砲主義から抜け出せなかったイギリスの失策にある。

 この戦闘は、当時のイギリス人の日本観を一掃してしまった。当時、乗船していたイギリス軍士官たちは「敵は日本人だぜ、心配することなんかない」「日本人は近眼だから射撃できない」など日本軍機の性能と日本人の能力を低く見ていた。当時のイギリス人たちは明らかに人種差別的な観念をもっていたのである。それがこの戦闘での完敗で完全にくつがえってしまったのだ。

 さらに重要なことは、この戦闘によってアジア人である日本が白人であるイギリスを倒したことで、アジアにおけるイギリスの植民地支配に大きな風穴を開けたということである。

 イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーはこう言っている。

「日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである」(1968年3月22日「毎日新聞」)

 明治期、日露戦争で日本が大国・ロシアを破り中国、朝鮮、ベトナム、フィリピン、ビルマ他のアジア諸国の人々に「アジアの目覚め」という意識の大転換をもたらした。約40年後にそれと同じことが再び起こった。

 つまり、空からの俯瞰視点というのは「世界史の目」だと言っていいだろう。

 たんに大国イギリスを倒すジャイアントキリングの戦闘シーンを1枚で見せているというだけではない。西洋列強からのアジア解放という世界史的な意義をこの1枚で見せてくれているのである。

 かつての支配者・西欧のイギリスが逃げまどう海の上・・・その上には日の丸を付けたアジア・日本の飛行機が飛び・・・さらにその上から「世界史」の視点で俯瞰しながらこの歴史的事件を見ているのである。作者の中村研一は、当時の日本人としてこうしたことを意識して描いているのは間違いない。 

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