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戦争画とは何か?~戦争画よ!教室からよみがえれ①

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。

目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ

(1)戦争画とは何か? 

 「戦争画」という言葉を聞いてどんな絵を想像するだろう? 戦争=戦闘場面がテーマになった絵であろうことは容易に想像できる。
 例えば、次の絵を見て欲しい。

スクリーンショット 2021-10-04 174037

 きっと一度はどこかで見たことがあるのではないだろうか。
 これはドラクロワの『民衆を導く自由の女神』という絵だ。中央の女性がフランス国旗をもって先頭に立っている。左右には短銃やライフルをもった男たちが続いている。足下には女性を見上げる青い服の男性。そして、傷つき倒れた人たちが何人も横たわっている。明らかに戦闘シーンであることがわかる。

 この絵のテーマはフランスの7月革命である。1789年のフランス革命で王政が打破された後、約25年後に再び王政が復古。この復古したブルボン王朝を打倒したのが7月革命だ。パリの民衆が市街戦で国王軍を破り、ルーブル宮殿に三色旗を立てた市民革命である。

 日本にも戦争を描いた有名な絵がある。

長篠合戦図

 これも誰しもが一度は教科書で見た絵だ。信長、秀吉、家康が描かれた『長篠合戦図屏風』。画面左には織田・徳川連合軍の鉄砲隊、右手から武田軍が突進している。ここにも倒れて血を流している武士が描かれているのを見つけることができる。

 ネット上の『日本大百科全書』によれば戦争画とは「戦争を主題にした各種の絵画」と説明されている(じつはこの定義が一番シンプルでわかりやすい)。さらに「大別して」として3種類に分類している。 

①戦闘場面を描いたもの
②戦争に参加した英雄や軍人を描いたもの
③戦争による被害を描いたもの

 この分類で言えば7月革命の絵も長篠合戦図も①であり②になる。③に当たるものとしては例えば下のピカソの『ゲルニカ』が有名だ。

ゲルニカ

 しかし、次の絵も「戦争画だ」と言ったらあなたはどう思うだろうか。

横山大観・乾坤輝く

 「そんなばかな。これは富士山の絵だよ!?」
 そう、あの有名な横山大観『乾坤輝く』という絵だ。じつはこれも戦争画に分類されるとする人がいる。

 ネットのHP『美術手帳』の「ARTWIKI」によれば戦争画とは「戦争を題材とする絵画群」として「戦闘場面、兵士、戦艦などを大画面に写実的に描いたものが中心だが、戦争を直接の主題にしない作品群も含められることがある」と説明している。その例として「日本画のうちには国威を示唆する旭日、富士山などを描いた象徴的な意味による戦争画が存在する」と書かれている。横山大観の絵はここに該当するというわけだ。

 さて、じつは次の絵も戦争画なのだ。

北脇昇「空港」1937年

 これは戦時中に描かれた北脇昇の不思議な絵。タイトルは『空港』。なぜこれが戦争画なのか、と頭の中が混乱するだろう。

 こうなると戦争画のカテゴリーは際限なく広がる。ちなみに先に紹介したドラクロアの『民衆を導く自由の女神』も『長篠合戦図屏風』も歴史画というカテゴリーにも含まれるらしい。

 というわけで、なかには「戦争画の定義などない」と気持ちよく言い切る人もいる。しかしながらこの言葉はごく一般的に使われていて、この言葉をタイトルにした文献や記事がたくさんあるのも事実だ。

 そこで、もう一つの戦争画の説明を読んで欲しい。Webマガジン『artscape(アートスケープ)』の「アートワード」の説明である。

「国家の主導のもと、第二次世界大戦を鼓舞するために、戦争を題材として写実的に描かれた絵画の総称。「作戦記録画」、「戦争記録画」ともいうが、いずれにせよプロパガンダ芸術の一種として考えられる」

 この説明にはいくつかの限定が加わっている。一つはその対象を「第二次世界大戦」としていること。もう一つは「国家の主導」による「作戦記録画」「戦争記録画」という限定だ(なお、現在に至るまでの「戦争画」の問題はここが重要なポイントになっている)。

 さらに「写実的」としている点も見逃せない。

 ただし、この説明にはやや問題がある。
 
 戦争を「鼓舞するため」というのは正確ではない。後に見ていくが、昭和の画家たちが描いた戦争画を見ればこの表現が適切でないことは一目瞭然だ。

 さらに、いくらなんでも「プロパガンダ芸術」というのはひどい。「プロパガンダ」というのは特定の主義・思想の政治的宣伝のことである。この時代に戦争画を描いた人たちのアートに対する真摯な取り組みをこのような言葉でレッテル張りするのは一人のアートファンとしてとても許せない。戦争を描いた作品には「国家の主導」でないものも多数ある。北脇昇のような「写実的」ではないものもあることはすでに見てきた通りだ。

 私は美術とかアートとかについてはまるでシロウトだが、その私が調べても「戦争画」という用語が美術の世界でかなりいい加減に使われてきたということがよくわかる。そこでこの連載で取り上げる「戦争画」の定義を次のようにしたい。

「大東亜戦争を題材として描かれた絵画の総称。「作戦記録画」「戦争記録画」といわれるものもある」(「大東亜戦争」は当時の日本が使っていた戦争の呼称。なおここでは兵法研究家・家村和幸氏の定義に従って日中戦争から太平洋戦争そして旧日本軍が関わったインドネシア独立戦争までを含める)

 縮めて言えば「大東亜戦争・戦争画」―これでかなりシンプルになった。以下、この定義による絵画を中心に取り上げて見ていくことにする。

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