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人種差別を超えたバンクーバー朝日軍~日本が世界に誇るJアスリート・道徳教科書に載せてほしいスポーツエピソード(7)

1 はじめに 戦前の日系カナダ人
2 教材 人種差別を超えたバンクーバー朝日軍
3 おわりに カナダ野球殿堂入りへ 

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1 はじめに 戦前の日系カナダ人

 現在、約10万人の日系人がカナダに在住していますが、最初に日本人移民がカナダに渡ったのは1877年だと言われています。

 当初は勤勉な日本人は高く評価されて歓迎されていましたが、低賃金でカナダ人の職業域に入り込み、労働条件を引き下げるようになると日本人への差別や排斥が始まりました。

 1907年9月。「ホワイトカナダ(白人だけのカナダ)」を呼びかける集会が開かれ、興奮したカナダ人5000人が暴徒と化して日本人の住むパウエル街を襲うというバンクーバー暴動が起こりました。この事件後にはカナダ・日本両政府の間に日本人移民数を制限するレミュー協定が結ばれて移民は激減しました。こうして日系人とカナダ人の間の溝は深くなっていったのです。

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2 教材 人種差別を超えたバンクーバー朝日軍

 1900年代のカナダに次のような名前の野球選手がいました。

 ミッキー北川初次郎、テディ古本忠義、ヨー堀居由太郎、トム的場仁市・・・。この人たちは日本人でしょうか?それともカナダ人でしょうか?

 答えは日本人として生活している人もいたし、カナダ人として生活している人もいたということになります。しかし、日本から移民としてカナダへ渡った日本人を父と母にもち、カナダで生れたという点では同じです。こうした人たちを日系人と言い、日系2世(父母は1世)と呼ぶこともあります。

 働き口を求めてカナダという異国の地へ渡った1世の日本人たちは懸命に働き、カナダでの生活を安定させていきました。安い賃金でまじめに働く日本人は最初はカナダ人に歓迎されましたが、カナダ人たちは自分たちの仕事を奪われるようになるとだんだんと日本人に差別的な行動をとるようになっていきました。

 こんな中、カナダで生れ育ったのが2世たちです。2世たちは自分たちのルーツが日本にあり、日本人であることを自覚していました。しかし、カナダで生れ、生活している以上はカナダ人たちと一緒に生きていかなければなりません。

 そのような難しい関係にあった日本とカナダですが、ひとつの大きな共通点がありました。それが野球=ベースボールです。現在と同じく、当時は日本でもカナダでも野球は人気スポーツだったのです。ですから、1907年にはカナダに日系人の野球チームが生れ、その3年後にはバンクーバーニッポン、ビクトリアニッポン、さらにはブレーブ、ミカド、ヤマト、フソウなど次々と野球チームが誕生しました。当時のカナダにはプロ野球はなかったので、これらはすべて他に職業を持ちながら試合をする社会人野球のチームです。

 これらの日系人チームの中でとりわけ人気があったのが1914年に結成されたバンクーバー朝日軍です。ミッキー北川、テディ古本、ヨー堀居、トム的場たちはこの朝日軍のメンバーでした。バンクーバー市内のパウエル街を本拠地にした平均年齢20歳そこそこの若いチームでした。この朝日軍の結成はカナダ人に勝つことで日本人の素晴らしさを教える、そして勝つことで日本人を差別するカナダ人からリスペクトを受けることを目的にしていました。

 朝日軍は結成後間もなくはカナダ人チーム相手に負けが続きましたが、徐々に実力を付けていきました。朝日軍が大事にしていたのはブレインベースボール(頭脳的な野球)とフェアプレーです。この二つが朝日軍を実力のある人気チームへと押し上げたのです。

 カナダ人たちは体が大きく、パワーもあります。豪快なホームランで点を取るパワーヒッターがそろっています。体格で劣る日系人の朝日軍は力だけでは勝負になりません。そこで、自分たちの特徴である俊敏さを生かした野球を徹底しました。長打ではなくバントや盗塁、ヒットエンドランなどで着実に進塁し、確実に1点をもぎ取り、投手力と鉄壁の守備で守り抜く野球です。1926年にはこのブレインベースボールで朝日軍はリーグ優勝をとげました。それも前期・後期ともに制した完全優勝でした。

 この朝日軍のブレインベースボールはパワー重視のカナダ人ファンの心をもとらえました。力だけの単純なゲームに物足りなさを感じていたカナダ人たちは朝日軍の頭脳的な野球、緻密な野球に大きな魅力を感じたのです。

 朝日軍がもうひとつ心がけたのはフェアプレーです。当時は日本人に対する人種差別がありました。しかし、カナダで生活する日系人たちは母国である日本と同じぐらいカナダを愛していました。ですからカナダ人とのトラブルは避けたいと思っていたのです。そこで朝日軍はフェアプレーを貫き通しました。  

 カナダ人ファンは、この朝日軍のジェントルマン(紳士的)な態度こそが正しいスポーツの姿だと気づくと人種の壁を超えて応援してくれるようになりました。審判がカナダ人チームに対して明らかに有利とわかるようなジャッジをすると、カナダ人ファンがその不公平な審判に猛然と抗議するほどでした。

 当時の朝日軍の選手はこう言っています。 

「朝日軍が一番人気があったのは紳士的な野球をしていたからです。カナダ人の応援も多かったです。デッドボールがあっても絶対にケンカはしませんでした」

「カナダでも朝日軍は人気でした。いいチームでしたからカナダ人はスポーツマンシップという点でリスペクト(尊敬)してくれました。」

「当時は日本人に対する差別もありましたが、カナダ人でも朝日軍がプレーするときは喜んで応援してくれました」

 当時のカナダには日本人への人種差別がうずまいていました。しかし、野球という両国に共通したスポーツを通して朝日軍の日系人選手たちが見せたブレインベースボールとフェアプレーがカナダ人の心を動かしたと言えるでしょう。

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※「特別の教科 道徳」の「公正、公平、社会正義」または「よりよく生きる喜び」に関連。

※発問例「自分たちへの差別がある中で朝日軍がブレインベースボールとフェアプレーを大事にしたのはなぜだろうか」「日系2世の選手たちはどんな気持ちでプレーをしていたのだろうか」

3 おわりに カナダ野球殿堂入りへ

 1941年に戦争が始まるとカナダ政府は日系人を捕虜収容所や疎開地へ強制的に収容しました。そして朝日軍もその歴史を閉じることになったのです。

 しかし戦後、チームが結成されてから89年後の2003年6月28日。バンクーバー朝日軍は表彰を受けてカナダ野球殿堂入りを果たしました。通常はメジャーリーガーを取り扱う野球殿堂博物館に日系人のアマチュアチームが入るのは快挙だと言われています。

 チームの一員だったケイ上西氏は次のように語っています(後藤紀夫『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』p218)。

「それはもう、大変な名誉ですから」と上西は語った。現在八十一歳、生き残っている朝日のメンバー十人のうちの一人である。「朝日のユニフォームを頂いたのは十七歳の時でしたが、一晩中眠れませんでした」と言う。「全く同じことが起きたんです。また眠れませんでした。興奮しすぎたんです。カナダ野球殿堂入りだなんて。なんと言って良いやら。僕らはアマチュアですからねぇ、それが殿堂入りだなんて。本当に有難いことです」。

 なお、バンクーバー朝日軍は妻夫木聡主演で映画化されています。

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<参考文献等>

*後藤紀夫『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』(岩波書店 2010年)
*テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日 日系人野球チームの奇跡』(2014年)

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