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仕事だけのつながりだった時間

その後何年間くらいだろう、私は梅田、姉さんは難波という構図で一緒にリーダー業務をやったりなどもしながら時を過ごしました。はっきりいって仕事では関わるけれども本当に「付かず離れず」で笑。一緒に飲みに行ったことも一度大人数で行った忘年会的なものだったくらいに思います。

印象深かったこととしては一度難波オフィスにお邪魔させてもらって、確か歌舞伎座の横か何かにあるお弁当屋さんの唐揚げが美味しいねん!と熱弁され、お昼に買ってみて完食したら、「あのボリューム完食するか!」と驚かれたことがあったように思います笑。私の食べっぷりも気に入ってもらっていました。あの唐揚げ美味しかったなあ。

その後私は大阪でマネージャーになり、当時一緒に働いていたメンバーからは「なんでかわばたが、、、」という声も上がっていたことも知っていたため、メンバーと距離を置くようにもしたし、相手側からもそのようにされたようにも記憶しています。ですが姉さんは相変わらずで、、、相変わらず訳のわからないヘルプデスクのような電話は対応していました笑「仕事で何かわからないことがあれば、かわばたに聞けばだいたいわかる!」姉さんからのそんな信頼は本当に厚かったみたいです。

この頃の私はもう大殺界か厄年なのかというくらい色々ありました。仕事もうまくいかない、両親共に病気になったり、自分の身体の不調やらも重なって精神的にも辛かったことを覚えています。

その中での私の唯一と言ってもいいくらいの楽しみは当時お付き合いしていた方とラグビー観戦することでした。そしたらなんと姉さんもラグビーを観に行っていることが判明して、こんなところに仲間が!!と二人で歓喜しました。当時はラグビー女子なんてレアもまたレアでしたから。「また一緒に観にいこうね」なんて言っていましたが、本当にそこまで仲良くなかったこともあって、実現し得ない軽い口約束程度のものと二人ともが思っていたと思います。

そんな状況の中で、私は先に退職することになり、最終日に姉さんから電話をもらい、「これからどうすんのー?」なんて聞かれたのが一緒に働いた時間のなかでの最後の交流になりました。

そういえば、私がマネージャーになってから、一度だけ求職者の方向けのイベントを姉さんと一緒に企画運営をしたことがありました。私の姉さんと同僚だった時間の中で、結局まともに一緒に仕事をしたのはこれだけでした。

そしてこの後、私は独立するわけですが、独立をしてからも姉さんとはほぼ交流のない4年ほどの空白の時が流れます。つまり出会ってからの前半は、お互いに信頼関係はありましたが、それは仕事でのつながりだけで、取り立ててたくさん笑ってたくさん泣いて、たくさんの思い出を一緒に作って、という時間ではありませんでした。


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