シンプルすぎて忘れがちな大切なこと。~座右の銘と詩と本と~

「人生で一番大切なことは、一番大切なことを、一番大切にすること」

以前読んだ、フリーランス産婦人科医の平林さんの本。

そこで紹介されていた座右の銘が、見出しにもある言葉。

「人生で一番大切なことは、一番大切なことを、一番大切にすること」

最初目にした時、当たり前なことを書かれ過ぎてスルーしてしまいそうになった。

そして、言葉遊びのようなこの言葉を何度も何度も読み返した。

「私は、一番大切なことを一番大切にできているだろうか?」

その問いに対して「YES」と言い切れない。

そんな自分が歯がゆかったし、悔しかった。

そんな時に思い出した一つの詩と本。

「Tomorrow Never Comes」


If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly,
and pray the Lord your soul to keep.

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

(サンクチュアリ出版 HPより)

この冒頭部分で思い出される方もいるかもしれない。

原詩でのタイトルは「Tomorrow Never Comes」。

邦訳は「最後だとわかっていたなら」。

アメリカの詩人、ノーマ・コーネット・マレックという女性が、

10歳の息子を亡くした時の想いを書いた1989年に発表された詩。


この詩が有名になったのは、かの9.11の同時多発テロ事件の追悼集会。

そこで朗読され、全世界に知られることになった。

日本語訳は佐川睦さん。

全文はこちらから↓

本はこちらから↓


前述した平林さんの座右の銘を読んだ時に、

この詩のこの部分が思い出されて私は涙が止まらなかった。

(本当は全文を掲載したいがそうもいかないので…)


たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
(中略)
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

ついつい忘れてしまいそうで、でも本当はとっても大事なこと。

私たちの多くが「明日」がくると思っていて、

私たちの多くが「未来」に想いを馳せていて。

でも、その明日が来ないということがあるということ。

では、一番大切にしたいものをどうやって一番大切にする?

そもそも「一番大切なこと」って?

『モリー先生との火曜日』

ミッチ・アルボム著・別宮貞徳訳『モリー先生との火曜日』(NHK出版)。

映画化もされている、90年代後半の全米ベストセラーとなったノンフィクション。

難病ALSに侵され、余命いくばくもない大学時代の恩師モリー先生と、

スポーツライターのミッチとの最後の二人きりの授業。

富と名声を得たはずなのに「何か」物足りないミッチと、

死にゆく時間の中で人生の豊かさと幸せを思う存分感じているモリー先生。

最期の授業内容はお葬式だと告げられ、

毎週火曜日に行われるテキストのない最終講義。

そこで語られる「愛」「死」「家族」「お金」とは。

…そして「人生の意味」「生きる」ということ。


今から30年ほど前のベストセラーではありますが、

「見えない豊かさ」について、深く温かく丁寧に語られているこの本。

中身をもっともっと書きたいのだけれど…

実際に手に取ってもらう方がよっぽど伝わるだろうから。


「根」を張る教育とは…

私は教育学を研究している立場だということもあるし

(まだまだ初心者ですが)、

自分自身が教員だったこともあるから、

ついつい「教育」に引きつけて考えてしまう。

子どもたちにとって一番の「教育」って何だろうか、

そして私は、「教育」を通して何を伝えたいのか。

それ以前に、

私は自分の人生のプライオリティが何で、

どういう在り方で生きていきたいのか。


大人たち(教員も含めて)が、子どもたちに伝える一番大切なこと。

名作に触れるとか、

計算ができるようになるとか、

地球の歴史を学ぶとか、

社会の仕組みを知るとか。

そういう「教科の学び」ももちろん大事。

ルールを守ることの大切さも、

周りと協力し合うことも、

自分で考えて行動することも、

きっと生きていくには大事なことだろう。

風邪を引いた時の対処の仕方、

野菜の切り方、ボタンの縫い方だって大切。


だけれど…私は改めて思うのは、

それらの「根っこにある部分」。

その「根っこにある部分」を伝えていくことの大切さ。

それは同時に、大人たちが「根っこにある部分」をちゃんと、

心に留めているかどうか、という課題でもあるだろう。


「自分」という「根」を張る教育。

その教育をどうやって体現していのかってことは、

私はまだ具体的な「答え」が出ていないけれど、

もしかしたら「答え」が出なくたって良いのかもしれない。

一番大切なものを一番大切にする気持ちがあれば。

そんなことをモリー先生の姿から学んだのだ。



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