二面性、多面性。

ドラマ『高嶺の花』を観ていて
気になるのは、どなたがこのお花を活けていたのかということ。

調べたら、草月流の大谷美香さんという方。
→ 「Atlier SOKA」 http://www.atelier-soka.com/index.html

驚いたのは、ドラマの生け花全ての監修をされたこと。
ご覧になった方はわかると思うのだけど
毎回、クラシックな日本の花から、前衛アートのような尖ったものまで
たくさんの個性のある作品が出て来たから
= いろんな流派の競演。なのかと思っていたのに
おひとりの中から、こんなに他流のものを表現されていたんだな。

一人の中に潜む二面性。いや、多面性。

最後の回に、ももが活けた大きな花。
まるでオディオン・ルドンの絵画のような優しい花。きれいだった。

<画像は公式Twitterより。https://twitter.com/takanehana_ntv>

実はこれと似た感覚を、前にもドラマで感じたことがあった。
奇しくもやはり、石原さとみさんが出演されていた『失恋ショコラティエ』

ここでも、まったく違う個性のチョコレートが出てくる。
女の子を溶かしそうにスイートな「ショコラ・ヴィ」の可愛いショコラ。
背筋を伸ばしてスッと立ちそうな「リクドー」の美しいショコラ。

このまったく別のチョコを、同じ人が作ってると聞いて
わぁーって驚いたのを覚えてる。凄いね。
監修されたのは、三浦直樹氏。
https://magazine.hitosara.com/article/1124/

宝石箱のようにキラキラして、一口齧ってみたいボンボンショコラ。
そっと手につまんで大切な一粒を大切にするのもいい。
そして、もっとカジュアルにかぶりつきたいというチョコバー。

一人の中に棲む、たくさんのカタチ。驚きの連続。
いいな、たくさんの顔を持っているのって、すてき。



私の書く言葉は一時期、甘くて優しいと言われた。
時々違う作風のものを書くと
六月さんらしくない、と言われる。

それは、何処か非難されてるニュアンスの時と
肯定されている時とがあって、なんだかくすぐったくなる。
私、らしいとは、何だろう。

こんな我儘で自分勝手な書き手なのに、幻想を抱いてくれてるのかなぁ。
それは、嬉しいような。申し訳ないような。

小説を書いている私なんて、ほんの一部だ。
でも、確実に私の内面に触れて読んでくれたあなたが
私を想像してこんな人間だと作り上げてくれた偶像も、確かに私で。

それを遵守したり、裏切ったり、できるのだとしたら
それはやっぱり、面白い世界だと思えてしまう。
書く、ということの醍醐味であり、創作の楽しみ。
もっともっと、先に進んで行けたならいいな。

最後に、だいすきなサントラを。
『失恋ショコラティエ』 Phonecall 


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。