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18 ロンドン③

「面影を追い続ける男」 18 最終章 ロンドン ー再出発③ー


 久しぶりの自分の部屋はあの時のままだった。 

 酒瓶がテーブルの上に並び、本の山が崩れ、楽譜が散乱していた。俺は時間をかけ、それらを一つ一つ整理することから始めた。
 同時に、ゆっくりと心の中の瓦礫を救い上げる作業を繰り返した。

 本の山の中から、昨年の十一月八日付のデイリー・ミラーを見つけた。トップ記事にマリアのことが出ていた。

『<天使の歌声>と称賛される若きジャズ・シンガー、マリア・キャンベルさん<二十八才)が、七日ホーンシー沖で死体となって発見されました。彼女は同乗の男性とドライブ中に誤って海に転落したものと思われます。

 まだ同乗者の男性の身元はわかっていませんが、不可解な点が多く、警察当局では事故・他殺、両方の線で調査を進めています。

 マリアさんは、ささやくような低い歌声でファンを魅了し、ジャズ界の期待の新鋭として注目されていました。また明日九日には、日本人ピアニスト、トキタ・ツカサさんとの結婚が控えていました。葬儀は……。』



 そう、マリアの部屋に残された短い書き置き。たった一言の<さよなら>の文字は、震えていた。
 これは、迷いなのか、悲しみなのか。それとも脅されて無理やり書かされたものなのか?

 俺は百通りの可能性を考えてみた。真実はたったひとつのはずなのに、何も見えず、何もわからなかった。
 彼女を信じているのか、信じたいのかもわからなかった。

 俺は亡霊を、彼女の抜け殻を探し求めて、ずっと俺たちが過ごした道を辿ってきた。だんだん、彼女はまだ生きてるのではないかと思えてきたんだ。ヨークのあの店に行き着くまでずっと。

「彼女はその男と楽しそうに話していたか」
「ええ、テーブルの上で腕を絡ませてね」

 いや、真実は今もまだわからない。遠くからそんな風に見えただけかもしれない。腕をつかまれていたとしたら?

 まだそんなことを。俺は馬鹿だな。裏切りに理由をつけようとしている。

「マリアが死んだのは事実なんだ。一緒にいた男が彼女が愛した男だろうと、見知らぬ男だろうと、とにかく彼女はもういない。いつまで現実から逃げているんだ?」

 エド、お前の言う通りだよ。でも、俺はこうすることでしか、生きていく理由を見つけられなかったんだ。





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⇒ 「面影を追い続ける男」 目次

いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。