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4 ランズ・エンド 海の迷路


「面影を追い続ける男」 4 ランズ・エンド -海の迷路ー


 片側二車線のA道路は、どこまでも几帳面にまっすぐ伸びていた。

 大きな空には薄いグレーの雲が広がり、そのせいか、道を一層すっきり見せている。まるで雨の日の滑走路のようだ。

 他車を抜かしながら、自分の存在を確かめてみる。窓ガラスに映るジャガー240の姿。
 丸みを帯びた無駄のないシルエット。かなり古い型の中古車だが、この国の老紳士を思わせるこの車を、彼はずっと相棒としていた。

 左にちらりと砂浜が見えると、横道に車を止め、岬に向かって歩き始めた。海の側は強い風が吹き荒れ、人影は見当たらなかった。

 風が黒いコートを押し広げ、さっきから一歩も進んでいないように感じる。ベルトコンベアに逆行して、必死で歩いている滑稽な男のようだ。これで黒い傘でも持っていれば、完璧にコメディだな。



 それでも景色は変化する。
 ふと立ち止まると、たった今取り付け完了されたように不自然な、白いレストランがそこにあった。遊園地の中の装置のように周りから浮いている。
 忽然と現れた非現実。さっきまで本当に存在していただろうか。

 中に入ると、壁もテーブルも真っ白だった。椅子に触ってペンキが塗りたてでないことを確認してから座る。
 左から右へ顔を十度ずつ動かしてみる。ランプ、ピアノ、花瓶、ウェイターまで、上から下まで徹底して白かった。

 窓際には、ご丁寧に白く上塗りされたタイプライターまで置いてある。店の中央に円形のカウンターがあり、色と言えば、ふと漂う風の色だけかもしれない。

「ここは出来たばかりなのか?」
 本当は、なぜこんな店を? と聞きたかったのだが。
「ええ。昨日開店したんです。静かで落ち着くでしょう?」

 精神学上で、白はそういう色なのかもしれない。
 そこではじめて、窓から店の看板を見る。『ホワイト・ハウス』か、確かに。
 屋根の上に星条旗がひらひらしていた。ただの洒落なのか。

 白い建物は無機質。ドアが自動的に閉まって、閉じ込められてしまうようで嫌な感じだ。無理矢理、精神を落ち着かせようとフラットを装った色が、かえってキツイ。

 俺は白に染まるのは嫌だ。ホワイトビールも白のカクテルも頼まない。ここには色を添えよう。
 カクテル「グラスホッパー」を頼む。ミントグリーンのカクテル。
 色が自分に射して来ると、やっと指先まで熱くなってくる。

 非現実の中のリアル。



 岬の方角は、イギリスの最西端「ランズ・エンド」だった。
 地の果て。この先には海しかない。

 ここは漁業で生計を立てる、海の側の厳しい環境の村だ。常に吹き付ける風が強く吹く。荒涼とした波が砕ける海。

 眼下に、朽ちていく難破船が佇んでいた。手がつけられない状態だろう。だが、乗組員たちは救助されたと言う話だ。もう昔話。

 海は青よりも紺に近いブルーだった。深くて冷たい吸い込まれそうな色だ。
 標識ではニューヨークまで3147マイルと書かれていたけれど、俺にはこの先に明るいアメリカを描いてみることは出来なかった。

 白い波が好き勝手に動くと、海の迷路が浮かび上がる。
 沖に小さな舟が浮かんでいる。行くことも帰ることも敵わないまま、同じ場所で大きく揺れる。幻のように。
 そう。きっとまた俺だけに見えている情景。

「この国を離れる勇気があれば……」
 ウィンターボーンの主人に伝えられた彼女の言葉がフラッシュバックした。或いは、彼女はこの海を渡って向こう岸にいるのかもしれない。

 可能性を考えながらも、いや、そんなはずはないという確信はある。彼女は船も飛行機も嫌いだった。
 ただそれは、本当の彼女をわかっていると勝手に思い込んでいた、かつての自分の自信だ。
 彼女が変わった訳でもなく、俺は最初から全く理解などしていなかったのではないかと、全てに疑いの目を向けていく。

 崖の上から眺める風景に、波の音だけがいつまでも響き渡る。



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⇒ 「面影を追い続ける男」 目次


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。