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3 ウィンターボーン① 平和な日々

「面影を追い続ける男」 3 ウィンターボーン① -平和な日々-


 南に車を走らせていた。

 ずっと窓を閉めて外気を遮断していると、外の世界と自分の世界は全く別のものに思えてくる。時だけが重なる同時進行の二つの世界。窓は別の世界を映すスクリーンの役割をしている。

 確かにこの平和な風景から俺はいつのまにか見放されていた。窓を少しでも開ければ、昨日までと打って変った暖かい風が入ってくることは予測できた。あの日のように穏やかな風が。

 あの夏の午後、車でこの静かな村に着いた。

 小さな民家に四人の仲間たちとしばらく滞在する手はずになっていた。
 ウィンターボーン川に沿って、ひっそり佇み続ける古い小さな村。あまり外から人が来ないのか、たくさんの人や動物が代わる代わる俺たちを見学しにやって来た。サーカスがやって来たかのように。

 朝目覚めて中庭に行くと、必ず彼女の方が先にいた。あくびをしていたり、井戸から汲んだ水で顔を洗ったり、いつも早起きだったな。
 この頃はまだ知り合って間もなかったが、この朝の風景が少しずつ俺たちを近い存在にしていったような気がする。

 ある朝、彼女は井戸に背をもたれて座っていた。
「おはよう」
 俺が声をかけると、彼女の背中がびくんとした。
「もうそんな時間?」
 夜眠れなくて外に出てきたまま寝てしまったと、彼女は説明した。目はじっと民家に注がれたままの、人形のような目覚め。

「この家、グリムの『お菓子の家』みたいじゃない?」
「そうだな。壁なんかサクサク音がしそうだ」
「童話って本当は残酷なのよね。知ってる? あの話、二人が森でお菓子の家を見つけて壁を食べていると魔法使いが出てきて、まあまあ中に入れ、と招き入れるの。途中は忘れてしまったけど、とにかく最後は、兄弟がその魔法使いを火のついたかまどに後ろから押し込んじゃうのよ。それで、焼け死んじゃうの」

「なんか『青い鳥』と混ざって、よく思い出せないな」
「酷いわよ。勝手に人の家を壊したのはあの兄妹なのに、そこの主人を殺して逃げちゃうのよ。それでハッピーエンドなんて、そんなものこどもに読ませていいのかしらね」
「途中で、魔法使いは二人に酷いことをしなかったかな?」
「あら、どっちの味方なの?」

 いつもはクールな彼女が、相変わらずのハスキーヴォイスでこどもっぽいことを言っているのが妙におかしくて、俺はつい笑い出してしまった。彼女もつられて楽しそうに笑った。

 物語が似合う家並み。
 そこは名前と違って、夏の方がふさわしい村だった。


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⇒ 「面影を追い続ける男」 目次

いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。