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余計なプライド

 私が幾つだったら、いいのだろう。
 私が幾つだったら、読まれなくなるのだろう。

 年齢は偽りたくはないけど、公表する気もなく。
 身体は嘘をつけないけれど、心はいつまでも嘘つきです。

 恋を書こうとすると、若い時はうまく立ち行かなかった。
 感情が生々しくて、どうしても熱く捉えてしまって、見つめられなかった。

 恋などうにしないと思っている今は、その情景は全て郷愁の箱から取り出せば済む。
 やっと遠くなって、心の感じたままに表現できる出発点に立てたのかもしれない。フランス人なら一生現役なんだろうな。

 まあ、私が女の情念を書きたいと言ったら、思い切り、かの友人に似合わないと笑われたが。放っておいてくれ。

 私は人を蔑むことはしない。
 人に私を蔑むことを良しとしない。
 誰もが行く道を、想像しないで発言する人の相手はしない。

 たとえ、この先、私の入れ物が只朽ち果ててゆくだけだとしても、私の精神は誰のものでもない。渡さない。
 特定の人がいたとしても、心は自由。

 そんな私は、とても臆病者で。
 ずっと、年を取ることが怖かった。まだ十代の頃から。
 三十になって、まだ理想の人になっていなかったら、その時は命を絶とうと想って生きてきた。

 傲慢。本当は限りあるまで生きていたい癖に。
 だから、二十代は年上の人ばかり追いかけていた。男も女も。先に行く人が素敵であれば、生きていく理由になるから。

 本当に三十が来た時、男たちと修羅場で、折角の生きるか死ぬかを自問自答する間もなく、うっかり過ぎてしまった。なんて莫迦なんだ。
 結局は自分に甘い。曖昧な通過点を、この先何度も繰り返していくのだろう。

 年齢にこだわる人が嫌いだと思っていた。でも、私こそがこだわってきたのだ。行く道ばかりに夢中で、来た道を振り返れなかった。
 自分より年下の人の人生にあまり興味がなかった。書くことで、はじめて愛しさを抱えて見つめられた。

 相手をすきになる。相手はどう想うかなど、知ったことではない。勝手な私はそう思う。
 ただ、合うか、合わないか、逢うか、逢わないかだ。
 文章に魂を込めた人となら、たとえ中学生でも心を通わせられるだろう。折角生きてきたのだ。その精神を交信させよう。

 私は、まだ先のはずの、命が尽きる日をふと想う。
 どんな状況であろうとも、その日まで、歌っていたい、踊っていたい、書いていたい。

 そして、幾つになっても、すきな人とは心は通じ合えると信じている。生きている間、ずっと、そうありたいなと。
 私の文章が、私の心が、私の入れ物がすきだと言ってくれる、大切な人に愛をこめて。

 向田邦子氏のエッセイ『夜中の薔薇』に「手袋をさがす」という一篇がある。

 お気に入りの手袋を探すが、いつまでたっても見つからない。
 気に入らないものを買うくらいなら、寒さに耐えるほうがましだ。見つからないうちに冬が過ぎる。
 それを会社の上司に言うと、それは手袋だけの問題じゃないかもしれないねと言われて、はっとする。そんな内容だ。

 こだわりは、強い意志で自分を信じることに似ている。プライドを抱えて、真っ直ぐ前を向いて堂々と生きる。
 彼女の書く作品がすきだ。全編を通して、凛とした姿勢が清清しい。

 なのに、人生の機微も、弱い者の気持ちも垣間見える。すてきな人だったのだろうな。彼女に触れた周りの人の著作も気になって読んでしまう。愛し、愛された人。

 私は、面倒な人間だ。
 無駄な、余計な、仕方のないプライドを持っている。頑固で意固地な自分の性格。きっと治らないんだろうな。そんな病理。

 或る人のおかげで、それでも随分素直になったと思う。
 本心を出すのが怖い私は、ゆるいヴェールを身に纏って、今でも心に思う事をすぐさま表に出すわけではない。けれど、ただカッコつけて、本音を言えなかった自分ではなくなった。

 引き出してくれたから、見守って待ってくれたから、心を傷めて私を想ってくれたから。
 その人の前では、プライドよりも大切なものが見つかるんだ。



「忘れられない恋」 第35話 余計なプライド
 遠く離れてしまったけれど、元気そうなのが嬉しい。


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💧 「記憶の本棚」マガジン

いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。