シンジケート

演劇青年シンジケートの野望


 かつて「ベニサン・ピット」という名の小劇場が、町工場が並ぶ隅田川沿い、東京下町にありました。元は染色工場「紅三《ベニサン》」から採った名前。座席数はわずか176席。上階には広々とした稽古場を備えておりました。
 これは、その実在した劇場を舞台にした、まったく架空のものがたりです。

 あの日は、体調がすこぶる悪かった。連日仕事が立て込んで、ほぼ徹夜続きのまま這いつくばるように地下鉄に乗り、目当ての舞台を観に行ったんだ。

 その日の演目は、悲劇的な『あわれ彼女は娼婦』。近親相姦、不貞、心中と何でもござれの中世の泥沼劇。コアな観客が集まる、熱い熱い、相当に濃密な暑苦しい舞台が待っていた。
 よりによって気温も上がってきた。私は二階に通じる階段を見上げ、持っていたミネラルウォーターで喉を潤す。役者たちはこの上で待機している。今か今かとその時を待つこの高揚感がすきだ。

 舞台は室内のど真ん中にあり、四方をぐるりと取り囲むように階段状の客席が設えてある。その空間では、どの席からも役者の表情が丸見えだ。普段テレビでしか見られないような俳優たちを手が届く距離で見られる。大劇場なら不可能な、細部の表情までも。
 観客は錯覚する。まるで自分たちもそこにいる登場人物になったかのように。時に通行人Aになり、またある時は息を呑む友人に。でもあくまで存在を殺して、雰囲気を損なわないように、その場所に居る。

 本来、こちらもボルテージを最高に持っていかないと、ただ生気を吸い取られる。見る側としても静かなる闘志を燃やさないと、太刀打ちできない。
 だから……、徹夜明けなどで参加してはいけなかったのだ。私は次第に気分が悪くなってきて、吐き気を堪えるのに、だんだん冷や汗がにじみでてきた。なんとか幕間まで持たせて、耐えきれずに外に出た。

 はぁ、はぁ、外の階段のところに腰かけて、呼吸を整えようと試みる。熱中症かな。ふう、次の幕には間に合いそうにない。丸くなってうなだれていたら、「大丈夫ですか」と声を掛けられた。

 返事をしようと顔を上げると、そこには頭から血を流した男が立っていた。

 ひぃー。そっちだろ、瀕死なのはっ! 人の心配している場合か。そう思ったのも束の間、どこかで見た顔だと思い出した。
「あ、さっき、死んだ人」
 そうだ、第一幕で剣で斬られて死んだ俳優さんだ。もう物騒だよ、その真っ青にメイクした顔で話しかけられても。ますます気分が、おぇー。
 こちらの状態にはまったく気づいてないその人は、
「俺の迫真の演技で、ふらりときてしまったかな」
などと、血だらけの(血糊だけど)顔で、爽やかに笑った。そのギャップに、なぜかきゅんとしてしまったんだ。それが私たちの出会い。

 その演劇青年の名前は「青木信二《アオキシンジ》」という。

 程なく私たちは意気投合し、毎晩のように一緒に過ごすことになった。彼は小さな劇団に所属している俳優で、あちこちの舞台に出させてもらっている修行中の貧乏青年であった。
 私はすでに会社員三年目で、仕事の合間をぬって舞台を見に行くのが趣味だったから、二人で話すことといえば演劇のことばかり。
「クマ劇場の皆川さんの演出、流石だったよな」
「独白のシーンの光の当て方、意外だったね。布に幾つも意味を持たせてた」
なんて具合に話が弾む。とうとう酒場では話足りなくて、いつしか彼の部屋まで行くようになり、文字通り心身共に縺《もつ》れるようになっていった。

「俺の本名、なんかインパクトなくてさ、改名しようか考えてたんだ。今ってカタカナのサンタマリアとか、ディーンとか流行ってるだろ。だからさ、名前もじって、シンジケート・アオキとか、どうかなっ」
うまいこと言ったというどや顔。劇団代表に相談したら、お前百年早いって言われたんだって。残念だね、シンジケート君。

 彼はどうしたら役に成りきれるか、常に真剣に考えていた。
 二人が出会ったあの演目は、まだひと月、上演が続く。彼は一幕目で頭からバッサリと斬られ、死人となって10分程転がっていないとならない。その死がキーとなって物語が進んでいく、重要で、且つ、ほとんどセリフのない役どころ。
「観客のつぶやく声が聴こえたんだよ。『あれは、死んでないな』って。あったりめーだろ、ほんとは生きてんだよ。いくら演技しても、ほんとには死ねねーよって。でもさ、それって、俺に死を感じさせる何かが足りないんだって思ったんだ」

 それからずっと死人になった気持ちで、家でも稽古しているという。
 もうその頃は酒場に行く時間が勿体なくて、会社から直接コンビニで缶ビールとおつまみを買って、彼の家に行くことにしていた。話も勿論だけど、すぐにでも抱き合えるから。
 それにしてもこの演目、ざっくざく人が死ぬんだよね。悲劇のデパート、シェイクスピアもびっくりなくらい。あの巨匠の年号だけ今でも覚えているな。1564年~1616年(ひとごろし、いろいろ)。演劇における死とは一体何だ。

 残業で遅くなったある日、部屋をノックすると、出てきた彼は血だらけだった。うわー!ってびっくりする私にニヤリとして、彼はこう言った。
「血、なめてみて」
頬を伝う血糊をぺろりとなめると、苺ジャムの味がした。
「ジャムとはちみつまぜて、とろりとさせてみた」
やっぱりさ、血がある方が断然気分がのるんだ。そう言いながら、私を後ろから抱きしめて、ブラウスのボタンを外しはじめる。
 赤い液体が滴る腕が首筋から胸に絡まりついてゾクっとする。いつもより五倍増しで燃える気がした。
「死人のくせに、生意気だぞ」
そう言いながら、愛しくなって髪をくしゃくしゃにかき回す。これは逆なんじゃないの。死ではなく、生を確認する行為でしょ。

 大劇場なら、ここまでの臨場感はあるだろうか。ベニサンは違う。駆けつけられる距離で、手に取るように、息遣いまで感じられるような特別な舞台なんだ。だからこそ、瞳の奥まで観客に覗かれそうで、考えている心まで見透かされそうで、本当に怖い舞台だ。

 行きつけの安いバーのカウンターでビールを飲みながら、二人で考えていた。
「死ぬ間際って、何を考えるんだろう」
「何だろう、こんな死に方は理不尽だ、とかかな」
「一瞬で斬られたんだよね」
「もしかしたら、自分が死んだかどうか、わからないままだったかもね」
 いよいよ哲学的になってきたかと思っていたら……。

「わかってないわね!」
その声は、有賀圭太《ありがけいた》。こっそり私たちが「アリゲーター」と呼ぶ、シンジの劇団の先輩だ。
「だからいつまでも、あんたたちはドシロートなのよ」
えっと、私はただの観客ですが……。
「大体ね、死人なんて、舞台演劇では言わないのよ。『死体』よ。ただのモノ。モノが何か考えようだなんて、おこがましいにも程があるのよ」
「アリゲ、いえ、有賀先輩は、それができるんですか」
アリゲーター、では長いので、いつのまにかアリゲと略してたから、うっかりシンジが言いそうになる。
「うぐっ。まぁ、ともかくね、覚えておきなさい。死体は生きてた時の思いを観客に見せてはいけないのよ。死人の気持ちになってみるなんて、言語道断よ」

 それ以来、シンジは『無我の境地』とか『心を空っぽにする』とかいう本を買ってきて熱心に読んでいる。
「よくクマにあったら死んだふりしろって言うじゃん。あれ、生きてるってバレたら、絶対ヤバイよね」
「結局は、死に物狂いで逃げた方がいいらしいよ」
「だよな。くんくんされたら、くすぐったくて笑っちゃったりして、アウト」
「でも、それこそ生死がかかってたら、本気の死体になれるかもよ」
「お、おおー」
いや、それは、さすがにやめとこうね。

 ある晩、ノックをしても返事がない。まだ帰ってないのかな。合鍵を開けて入って電気をつけたら、ベッドの上に青ざめた死体が横たわっていた。
「シンジ!」必死に名前を呼ぶ。
 イヤだ、死を追及するあまりに、とうとう、本当に死んでしまったんだ。
 揺さぶっても、返事はなくてパニックになる。
 うわぁ、手が震えて、どうしていいかわからない。こういう時こそ落ち着け。なんとかスマホを取り出して、救急車って110番? 119番かなと焦っていたら、ガっと腕をつかまれた。
「はは。ほんとに死んだと思った?」
このバカヤロー! もうこっちが死ぬかと思ったよ。
「ちょっと嬉しいなー。俺の演技も捨てたもんじゃないってことだ」
 ちっ、ふざけた奴はこうしてやる。鞭をふるう真似をしてから、胸元を何度も軽く叩いた。ついでに耳に軽く噛みついたら、今日はケチャップの味がして、脱力感でいっぱいになった……。
 ね、残された者の気持ちも、たまには考えてよ。そんなに簡単に死の側に行かないで。

 ある朝、シンジの「うわぁー、死神がぁー」という声で起こされた。一体どんな夢見てるんだよ。朝っぱらからこっちがビックリするよ。生きた心地がしないわ。

 こうして彼との日々はそんな連続になっていく。彼は演じている期間は、いつもこんな状態だと言う。稽古場と下宿の往復。アリゲは「切り替えなさい」っていうけど、日常も舞台も境目なくずっと死に浸っちゃってるよ。ご愁傷様です。

 駅から家まで死に物狂いで走ってみるとか、心臓破りの坂を駆け上がるとか、神社の石段をうさぎ飛び百回とか、やってみようとする。本人はいつも大真面目。
 なんか、だんだんずれていってないかな。命いくつあっても足りなくなるぞ。

 「俺の死にざま」ってタイトルのポエム作ってるし。そのノート見せてよ。恥ずかしがらなくてもいいじゃない。
 バキューンって拳銃で撃つ真似をすると、ウッて転がって死ぬ真似をする。さ、今のうちにポエムノート読んじゃおう。あれ、意外に達筆なんだなぁ。
 こら、だめだよ、死体は動いちゃ。足にしがみつくな。ゾンビじゃないんだから、もう。

 一緒に歩いてると、私の方ばかり見てる。すきすきオーラ全開。やだ、あぶないよー。
「ああ、シンジ、前!」
「死んじまえ?」
 シンジのシは、死のシー。歌ってどうする。
「もう、今日は疲れたしね。早く寝よう」
「……ツカレタ、死ね?」
「ね、……したい」って、シンジが抱きついてくる。
「え、死体?」
 やだ、なんだか全てが死の用語に聴こえちゃうよ。でも、私はそんな彼が愛しくて仕方がないの。毎日だって毎晩だって、死体とつきあってあげる。

 夜中に稽古場にどうしても行くと言う。付いて来るか、と聞かれて、うんって即答する。彼が演じているところを見てみたい。
 ミシミシ鳴る階段を上ると、ほの暗い稽古場。湿った匂いがこもっている。
 今ここにはシンジしかいないけど、ものすごい魂みたいなものが浮遊しているのが伝わって来る。登場人物が皆、一人一人の人生を生きて、ぶつかっている。その残骸が夜なのに漂っている空間。

 彼が主人公の独白を喋り出す。自分以外のセリフも全て覚えて、すでに沁み込んでいる。はじめて聞くシンジの演じる声。床に天井に突き刺さるように響いていく。

 さあ、間もなく一幕の終わり。死にゆく君。
 横たわった君の顔が窓明かりに照らされて、なんだか途方もなく美しい。十分待ってから私はそっと近づいて、口づけた。今夜は、ジャムでもケチャップでもない、シンジそのものの味。髪を撫でて、演技者を称えよう。

 いくら演劇界で死体はモノだと言われても、私にはそう思えない。贔屓目で見てしまうから仕方ないのかな。君を愛してしまっているからね。
 死を見つめながら、私が受け取りたいのは、生きた証。君の役は大切な役。君が死んだからこそ、物語が加速する。私にはそれでいい。

 ひと月が過ぎ、無事に演目を乗り切った途端、シンジは別人のように元気になった。その切り替わりの見事さといったら、あまりにすがすがしくて、私はまた惚れ直してしまった。

 私の方はといえば、このひと月で彼の演技につきあってずっと死の気分に浸っていたから、なんだか一気にやせ細って、鏡を見たら確実に生気が失われていた。
 そうスッパリ、キッカリ線を引いたみたいに戻れないよ。常人はね、引きずるんだよ。ずるずるずる。
 ああ、役者の彼氏は厄介だな。でも、きっと一生飽きないね。頼むから、次に引き受ける仕事は、極力ハッピーなのにしてね。

 かつて「ベニサン・ピット」という名の小劇場が、東京下町にありました。その舞台で上演された愛は、死は、いつまでも人々の記憶に残っています。ここから飛び立った役者たちは、何処かでまた情熱をぶつけているのでしょうか。

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*表紙絵は、如月芳美さんに描いて頂きました。

*writoneという音声サイトにて、らびおりめんとさんにお願いして
 素晴らしい朗読をして頂きました。
 ぜひ合わせてお楽しみください。



いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。