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酔ゐ人の戯言

 中原中也の詩に、「宿酔」がある。
 宿酔《しゅくすい》、いわゆる二日酔いである。

 私は自他共に認める酒呑みであるが、飲んでも飲まれないことに、ある程度自信があった。 若い頃は。
 酔っぱらう奴など、修行が足りん。くらいの勢いで。

 なのに、現在では記憶を失くすことが時折ある。だが、必ず家にきちんと帰っているのだから、まだ大丈夫なのだろう。
 そして、いつしか二日酔いも覚えてしまった。寄る年波には抗えないのかもしれない。無念である。

 先日、写真仲間の友人からこの前の借りのお礼と言って、おいしい茶菓子が贈られてきた。飲み代を貸したそうだ。自分が財布を出したかどうかの記憶すらない。

 ちらっと、一緒に飲んだもう一人の友人と駅まで腕を組んで歩いたことが、なんとなく感覚で思い出されたが、たぶんお互い相手を介抱しているつもりだったんだろう。
 しかし、それも曖昧だ。案外、友人の方の妄想かもしれない。

 さて、私の目下の敵は、休肝日である。
 せめても週一をめざし、いつをその日に設定するか考えるだけで、すっかり憂鬱になる。
 一日の終わりに(時折昼だが) 晩酌がないなんて、父から引き継いだ酒呑みの血が廃るではないか。むしろ、廃る方がみんなに好都合のはずだけど。

 晩ご飯の献立から考えると、水曜か。
 木金はおでんだから絶対日本酒。 塩辛もかかせない。
 ズッキーニを入れたラタトゥイユには、断然赤ワインが似合う。 白より赤。 おいしいものには酒を。

 間もなく、山椒の季節がやって来る。
 毎年、一粒ずつ枝から取り、湯がいてから一晩水につけ、醤油とみりんで煮て山椒の佃煮を作る。面倒でもこれはかかせない。日本酒と相伴したり、鰻にのせたりする。

 おいしいものを作るから=飲みたくなるのか。だったら、手抜きをすれば解決するのだろうか。いや、何にでも合う麦酒《ビール》の存在を侮ってはいけない。

 こうして、健康のために休肝日を作ろうとする余り、反ってストレスを貯めて悶々とするくらいなら、いっそあきらめればよい。

 しかし、また、そこが厄介だ。
 ずっと休む間もなく飲み続けていると、最後の休肝日はいつであっただろうと、もの凄い罪悪感と郷愁でいっぱいになり、ああ休肝日よ、と詩の一つでも読みたくなってくる。
 いつか、今日、いや、明日でもいいか。先延ばしが得意な性分である。

 ああ、これでは敵なのに、まるで逢えない恋人のようではないか。
 恋焦がれる休肝日。 何故だ、まったく。

 先の腕を組んで歩いた友人は、まったく休肝日を作らないくせに健康そのものだ。なんて狡いんだ。体をだましだまし飲んでいる同志だと思っていたのに。う、裏切り者っ。

 なんでも小学校の恩師がものすごい酒豪だったのに長寿だったとかで、それを目指して日夜飲み歩いているらしい。休肝日、なに、それ。 奴には恋焦がれる相手はいない。

 鎌倉の海に撮影に行った帰り、俺ちょっと隣の温泉入ってくるわ。と言って、しばらく戻って来なかった。 溺れたかと思って心配したが、さすがに男湯に確認しに行くわけにも行かず、待ってたら、しれっといい湯だったと帰って来た。

 羨ましい自由人振り。 そいつと友人として飲むのは実に楽しいが、彼の家族には心から同情する。そして、自分の家族に感謝する。

 酔う、という言葉に弱い。

 雰囲気に酔う。言葉に酔う。誰かに酔う。
 酔いも甘いも噛み分けて。字がちがってる。しかもずっと、酸いも甘いも踏み分けて。だと想ってた。踏み分けての方がカッコよくない?

 酔うと書く時、そこにはふっと風の波が巻き起こり、身を委ねたくなる空間ができ上がる。有り体に言えば、誰かをすきになりやすい。

 中原中也のくだんの詩の中で、白くびたストーヴが、いつも気にかかる。

朝、鈍い日が照つてて 風がある。
千の天使が バスケットボールする。

私は目をつむる、かなしい酔ひだ。
もう不用になつたストーヴが 白つぽく銹びてゐる。

中原中也「宿酔」

 その 打ち捨てられて不要になったストーヴは、あたたかい春が来たから悲しいのか。日の光に晒されて醜態をさらして哀しいのか。誰からも見放されて朽ちていくのを受け入れて佇むのか。

 昔の詩人の心持ちに想いを馳せて飲む。そんな人生がいい。なんにせよ、二日酔いを知ってしまった私には、朝っぱらから千もの天使にバスケットされたら、気が遠くなるけどね。

 ちなみに、三日前に休肝日をとったので、今日は清々しい気分だ。




「行き先のないノスタルジア」 第7話 酔ゐ人の戯言
 頑張って昨日休肝日にしたので、今からワインを飲みながら
 夜の宴と致します。相変わらず。



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「記憶の本棚」マガジン


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。