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雨上がりの新宿


 月曜日、雨上がりの午後。
 都庁に逢っておきたい絵を見に行く、最終日前日。

 現在を歩きつつノスタルジアに浸れるのは、ここが昔私が働いていた西新宿だから。そして、学生の時からの恋の残骸も、相当数落ちている処。

 今日は久しぶりにカメラを提げてゆっくり歩いてみよう。文章と写真を連動させる実験をしてみたいんだ。
 写真はキリトルという。私の文章はそれに似てシーンを切り貼りしていることが多い。言葉に写真を付けられたら一番いいんだけど、逆しかできない。

 まずは、お昼から景気づけに一杯行こう。
 東口改札を出てすぐ左のBERGベルグは、気楽に珈琲とホットドッグが食べられる店。幾度となく通ったビールとワインが立ち飲みできる場所。
 今日も真昼間から、ワインとドイツセット。レバーとコンビーフのパテとパン、ザワークラフト。やっぱうまい。

 ひとりでふらりとやってくる大人の多い店。うん、隣も昼からビールだ。その洒落たおじさまが吸ってる煙草。あ、この煙の匂いなら大丈夫。 甘めの異国の香り。嫌じゃない煙はめずらしいので、銘柄が気になってちらりと見るけど、zippoが上に置いてあって残念なことに紺色のパッケージとМらしき文字しが見えず。
 さすがにこれ以上見つめると、怪訝な顔をされそうでやめておく。大事な休憩時間を邪魔できない。昔の私ならきっと無邪気に質問していたな。

 東口から連絡地下道を通って西側へ出る。雨が上がっていたのは自分の家の周りだけだったらしく、新宿駅に着いたらまだ降っていた。天気予報を見てこないまま、傘を潔く置いてきちゃったな。みんな長い傘をちゃんと持ってる。
 ま、それほどの降りじゃない。ロンドンだったら誰もささないレベル。

 ここのとこ、やたらと新宿に用事があったけど、ほとんど新宿三丁目か御苑の方だったので、西側に来るのは久しぶりだ。
 ここ西新宿はビルの街、オフィス街。三井ビルの製薬会社で働いていたこともあって、すごくなつかしい。なんとなく勝手にホームタウン。ビルが立ち並ぶ風景が、私に必要以上に立ち入ることなく落ち着く。

 いつも耳にはお気に入りの音楽。仕事帰りの自分、そして、恋人と歩いた軌跡があちらこちらに落ちている。立ち止まって目を閉じてみたり。
 私にとってノスタルジアの詰まった箱庭だ。繋いだ手は今どこに。

 最近愛用してるカメラ、NIKON1は苺っぽいルビー色。ワイン色かな。小さくて私の手に馴染む。デジタルになってから、これだという写真がまだ一枚も撮れていない。

 クラシックカメラのファインダーを睨みながら、フィルムの残りを意識しつつ、手巻きシャッターの音をさせてた頃。フィルムの場合、撮ってしまえば削除できない。後戻りはできない。どんなものでも焼き付けられ、記録されてしまう。
 だから緊張感があったし、期待もあった。だが、たとえデジタルに変わろうとも、一枚を大切にしたいことに代わりはない。
 再始動。今日はそう想って、撮っている。

 この子の難点は、シャッターボタンのすぐ横にビデオボタンがあること。何度まちがえて、動画を撮ってしまうんだろう。

 ひとつひとつのビルに、ごあいさつ。
 三井ビル、住友ビル、野村ビル。お世話になったビル御三家。
 都内とはいえ新宿は緑が多い。大きな木々が緑々して、赤いポストが綺麗にみえる。雨上がりに目に映る色は、実にあざやかだ。

 三井ビル近くの交差点の円形信号機。銀色に光る環状の輪っかに妄想がめぐる。
 この場所に立つと、あたかもプラレール電車の線路のように、ぐるぐると秘密の荷を載せた列車が走っている気がする。ゴーッという都会の喧騒に紛れて、日夜止まらない物語を繰り広げている。
 だが、雨の日にはふと列車たちは休む。代わりに透明な人たちが傘を差して散歩するに決まってるんだ。ほら、歩く音が聞こえるでしょ。

 いとしの三井ビルよ、ご無沙汰であった。
 広々と、淡々とした心地よいロビー。この景色を見ながら、よく電話をかけたね。さっき、あの頃の私がエレベーターから慌てて降りてきた気がした。よく待ち合わせたロイホが見える。外を眺めて静かに待っている君を硝子越しに見つける。

 ちいさなギャラリーにはいつも気になる写真がかかっていて、折りにふれ眺めに行ったっけ。 まだ自分では撮ってなかった頃。

 今日のギャラリーでは、香川美穂さんの「Polar Smile」
 ご本人がいて少しお話しする。この十年の間に、北極と南極で撮った動物たちのいきいきとした姿。和紙に印刷された写真の雪がざらっとした質感で、より静かに、そっと積もっているように思える。
 ペンギンさんたちは人懐こくて寄ってくるそうだ。ひなたちのふかふかグレーの着ぐるみ具合、立って寝てる姿が愛らしい。ホッキョクギツネも抱きしめたいかわいらしさ。

 外に出た。広場のテーブルと椅子には人っ子ひとりいない。雨に濡れた銀色のテーブルは冷たそう。でも、水滴に濡れた花を見ると優しくなれそうだ。

 雨上がりのあざやかな色たちは、無邪気なこどものように遊ぼうと誘ってくる。さすがに今日は鳥たちを見かけない。ここでサンドイッチを食べたら、いつもねだりに来る子たち。
 

 そして、住友△ビルは、私の恋の定番だった。
 今でも、三角形の夢をみてトライアングルをぐるぐる巡りたくなる。正三角形なら、一辺を歩く距離も時間も同じはず。同じ歩幅で誰にも邪魔されずに行ければ。ここからの夜景がだいすきで、地下のパン屋さんの林檎パンがお気に入りだった。

 51階まで昇ってみる。わぁ、エレベーターってこんなに速かったかな。一瞬で何十メートルも体が移動する不思議な乗り物。平日のこんな半端な時間、外国からの旅行者しかいない。

 都庁をすぐ近くで見下ろしながら、新宿中央公園に想いを馳せる。昼間はあんなにのん気なのに、夜の中央公園はちょっと怖くて、早く通り抜けようよ、のんびり煙草なんか吸ってないで、と腕を引っ張ったよね。

 ビルの後ろに夕陽が落ちていく時、やけに太陽が赤くて大きくて、せつなくなった。ちょっと、ハードボイルドな刑事の気分になれるんだよ。脳内では完全にブルースが流れてるんだ。
 今日も此処で何かが起こった。そして解決した。新宿は明日も続くって。目を細めて、しばらく立ち止まって眺めるんだ。

 都庁の広い廊下にだいすきな作品が掲げられている。窓からはオリンピックのエンブレムが見える。時々職員の方たちが通るだけの、ひとり占め空間。何度も近くによったり、遠くから眺めたり、思う存分そこにいることができた。贅沢な時間。

 新宿のラッシュ時の人混みや、喧騒や、閉塞感のある地下道が苦手で、冬でもいつも地上に出て寒空の下を歩いた。ビル風に煽られながら。

 傘をあまり持たない私は、急な雨はいつもびしょ濡れで、まあ、それでもいいやって思ってた。そっと傘をさしてくれる時、腕にしがみつく。甘えたいあの人の存在。

 寒い日にてぶくろをしていない私の手を掴み、自分のポケットに入れてくれた、あたたかい手。こっちは見ずに前を向いたまま。
 いつもポケットに薄い文庫本が入ってたね。あれ、何読んでたんだろう。なんだか聞きそびれてしまった。
 予想では、誰かの詩集じゃないかと想ってたんだ。そうだな、ジャン・コクトーなら尚更いいな。萩原朔太郎もいい。

 帰りに野村ビルに寄る。ロビーで仲間たちと初めて写真展をやったね。会期は一週間。 足元を寒い風が吹く頃で、交代で震えながら受付をした。もう今は展示やってないんだ、ここ。

 グループ名「スキャロップ」本名ほたて。
 名前考えながら友達の家で飲んでた時、そこにあった缶詰の名。すごい安易ながら結構気に入ってた。今もみんなカメラは持ってる。あの時と同じくらい撮ってる奴もいるし、そろそろ復活する?

 地下の「ポウル・バセット」で、カフェオレと、リコッタパンケーキ。
 今日は、朝から誰かさんのつぶやきを聞いて、京都の「スマート珈琲」を思い出して、ずっとホットケーキ気分だったから嬉しい。

 甘い香りで否応なく思い出せる記憶。今はなくなってしまった待ち合わせ場所。いつも甘いドーナツの香りが、少し暴力的なくらい匂ってた。時間にルーズだった学生の私が、唯一早めに行って足をブラブラさせて待ってたベンチ。
 君は元気でやっていますか。銀行員は大変だろうね。

 このあと、だいすきなブックファーストに行って、鉱物店によりみちして、地下鉄に乗って一気に家まで帰ろう。おみやげ買って。
 ただのキリトリ、今日のつたない試写真をツィッターに掲げてみる。もっと撮りためたくなってきた。言葉と写真が共に語り合えるくらいになるまで。


*今日のつたない試写真、twitterに掲げてみました。
 2016年の6月のこと。
 ここが「- - - 8× キリトリ - - -」の出発地点。



「雨と僕の言の葉」 第17話 雨上がりの新宿
 我ながら、勝手すぎて読みにくい破片の文たち。
 読んで下さった奇特な方に感謝します。
 
 


> 第18話 水無月と真夏の紫陽花

< 第16話 雨音の記憶

💧 「記憶の本棚」マガジン


いつか自分の本を作ってみたい。という夢があります。 形にしてどこかに置いてみたくなりました。 檸檬じゃなく、齧りかけの角砂糖みたいに。