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悩まない子育ての秘訣教えます、たぶん

比較対象がネットの育児の愚痴や悩み、たまにある学校行事でのお母さん方の会話からなので、些か比較に乏しいなりに、自負して構わないと思うので言うが。
私は幼児期あたりから子どもたちを育てていて、人より悩んだことが無い方だ。

それは
「自分の腹から産まれた子でも他人」
という意識を敢えて強く持っていることに起因する。

子を育てるのは大変でストレスがたまるものではあるが、子が原因だが大変に思うのは自分の感情で、自分の気持ちで人を振り回すのは大変迷惑だからやらない、特に家族にされるのはたまったもんではないからなのが一つ。

それは子どもらにも同じことで、子が彼らの感情を持ってもあくまで彼らのもの。自分が関わって発生した喜怒哀楽でない限りにおいて、相談や愚痴をぶつけるのは大いに結構だが、感情の解決は自分でしろと思うし、実際に、アドバイスはできるけど結局はお前自身が納得するしかないんだよ、は良く使う言葉だ。

あと大事と思うのは、親が親である以上子にやらかしがあった時に責任を取らねばならないのは親としての仕事や任務なので、そこで子に
「お前がそんなことをしなければ私はこんなことをせずに、言わずに済んだのに」
と恨み節や怒りをぶつけるのは親のすることではないとしていることか。
連帯保証人と同じく、何かあってそれが監督責任に及ぶことだとしたらば、やらかしの被害は子と親の責任であり、親は被害(者)に謝罪し子を諫める必要はある。それでおしまい。
そっから先やらかしの件で子を責めたところで解決も心軽やかになるわけでもなく。
どうしてこんなことをするのだろう?
も聞いてみて納得できたなら受容すれば良いし、無理なら、分からないけどしょうがない、他人だし、と、ここでも「他人だから分からない」が登場する。

自分は「子は他人」というのを強く意識してることで子らと適切な距離を保って、保とうとしているのだと思う。
だから方法論や言葉は何でも良くて、

親と子の間に適切な距離と壁を作ると、共有しつつ生きるより確実に楽になる。

2人で並んで互いに目を配りながら歩いた方が、二人三脚のように足同士を括って肩を組んで歩くよりはよっぽど楽でしょう?
自分の体感としては、後者が親としてあるべき姿だと思って親子共々しんどくなってる人が多い気がして。

子に割り切りって悪いことじゃないですよ、じゃんじゃんしましょう。


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