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読書離れ(活字離れ)に対抗する作品を1作は書いておく
これまでにもブックレビューブログなどで「読書離れ(活字離れ)」に関する記事(特に「対策」について)は結構書いているのですが…
「小説」という形でも、読書離れへの「抵抗」を試みています。
具体的には「青過ぎる思春期の断片(青春断片)」というSSシリーズの中の1作『私だけの特別な一冊』なのですが…
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このシリーズは元々「オムニバス」のため、各作品のテーマはわりと自由に設定できます。
なので、そのうちの1作を「読書離れに対抗できるような作品にしよう」と思っていました。
この作品は「読書離れ」しかけていた少女が、読書(本)の「価値」を再発見する…というストーリーになっています。
この主人公の少女のように、読書の価値を再認識してくれる人が増えたらいいな…という、願望を込めた物語なのです。
「読書離れ」は物書きにとって致命的な問題
そもそも何故、読書離れに関して情報発信しているのかと言うと、その問題が物書きにとって「致命的」な問題だからです。
当たり前の話ですが、読書離れとは「読書する人間が減る」ということ。「小説を読む人が減る」ということです。
物書きにとっては「自分の小説を読んでもらえる確率が減る」ということです。
それはプロ・アマチュア問わずに降りかかる問題です。
それに何の手も打たず、ただ自分の作品作りにだけ没頭していて良いのでしょうか?
苦労して一生懸命作品を書いても、そこに「読んでくれる人」がいなければ、空しいだけではないでしょうか?
なので、自分は作品を作るのと同時に、フワッと読書離れ対策に取り組んでいるのです。
そもそも個人でどうこうできる問題ではないと思っていますし、「焼け石に水」なのかも知れませんが…
世の中、何がどう転がって上手く行くか分かりませんので、最初から諦めてしまうことはしたくないのです。
「自分」がやったことが効果を生まなくても、それを読んだ「誰か」が問題に気づいてくれて、もっと効果のある対策を打ってくれるかも知れません。
1人でも2人でも、意識を変えることができたなら、それが連鎖して、何かが変わるかも知れません。
それを夢見ることは、きっと宝くじに当たることを夢見るよりも、ずっとずっと堅実な「夢」なのではないでしょうか?
■読書離れ対策の1つは「読書の価値」に気づいてもらうこと
読書離れに対する「対策」の1つは、「読書に“価値”を見出してもらう(再認識してもらう)こと」だと思っています。
どんなに「本は宝」「もっと本を読もう」と訴えかけたところで、そこに価値を見出さない人は、本を手に取ってくれることすらないでしょう。
しかし「読書にはこんな効能がある」「本を読むとこんなメリットがある」ということが分かったなら、多少は興味を持ってもらえるのではないでしょうか?
どんなに「理想」を訴えたところで、動かない人は動きません。
しかし「実利」を分かってもらえれば、「利を求める人」は動きます。
…ただ「読書に価値がある」ということ自体は、(これまでにも散々、多くの人が言ってきたことですので)「読書が趣味でない人」も既に知っているはずです。
必要なのは、ただ「価値を分かってもらうこと」だけではなく、「本気で」「心の底から」その価値を理解してもらうことなのです。
他人事のように「価値があるんだろうなー」と思ってもらうだけではなく、自分事として「価値のあることだ」と信じてもらわなければならないのです。
その「価値に気づいてもらう」には、随筆的な「記事」よりも「小説」の方が有効なのではないかと思っています。
理屈を言うより、物語にその想いを込め、それを読者に「感じて」もらう方が、より心に刺さるのではないかと…。
自分の筆力で、どこまで書き込めているのかは分からないのですが…
読書離れに対する、せめてもの「抵抗」として、1作はそんな物語を書いておきたかったのです。
■読書離れ対策の1つは「読書の楽しみ方」に気づいてもらうこと
この物語のストーリーは、主人公の少女が「読書の楽しみ方を見失ってしまっていた」ところからスタートしています。
個人的に読書離れの原因の1つは「読書の楽しみ方が分からない」だと思っているのですが…
物語の中では、読書を楽しめなくなった理由を「自分の本当に好きな本を選べていなかったせい」だと書いています。
読書を楽しむ最大のコツは「自分に合った作品を選ぶこと」。
人の「好み」は十人十色で、他人が評価した作品だからと言って、自分もそれを楽しめるとは限りません。
しかし、そんな「基本中の基本」を見失い、自分に合わない本ばかりを選んでは「読書なんてつまらない」と嘆いている人は多いのではないでしょうか?
周りに合わせがちな現代人が、自分の好みを貫くことは、そうそう簡単なことではないのかも知れません。
しかし、他人の好みに合わせて、自分にとって「本当に好きになれたはずのもの」を見失ってしまうのは、あまりにも大きな「人生の損失」です。
星の数ほどある作品の中から、自分に合った作品を見つけ出すことは至難の業です。
しかし、それでもそれを見つけられたなら、その読書体験はその人にとって、最高の至福の時間であり、人生の糧になるはずなのです。
■読書離れ対策の1つは「読まず嫌い」を防ぐこと
この物語の1つのポイントが「それまで何とも思っていなかった本が、読んでみたら『自分にとって最高の1冊』だった」ということなのですが…
これ、現実でも「あるある」なことですよね?
表紙や「あらすじ」や事前情報で、勝手に「こんな内容だろう」と決めつけ、手に取らずにいた1冊が、実は「好みのド真ん中ストライクだった」なんてことは…。
「あるある」なのに、なぜか多くの人がその罠にはまって「なんで、この本、もっと早く読まなかったんだ!」と後悔するのです。
この「あるある」の罠にはまらない方法は、ただ1つ。
読む前に、勝手に自分で内容を決めつけないことです。
あるいは「読む前の第一印象」と「読んだ後の印象」の「ギャップ」を、ちゃんと自分で見つめ直し、「選書眼」をアップデートしていくことです。
自分はジャンル無節操に、少しでも気になれば手に取ってみる方なのですが…
(実際、ブックレビューブログの本の一覧がひどくカオスなことになっています。)
そんな感じで「読まず嫌い」せず、どんな本にでもチャレンジしていると、ある時、思わぬ「掘り出し物」に出会えるのです。
■本当に「読書離れ」は進んでいるのか…?
「読書離れ」が進んでいると言われる現代ですが…
実はネット上の調査データで見ると、学生の「読書率」や「本が好きな人間の割合」は、それほど悪くないのです。
小中学校では「朝の読書」という活動を実施している学校も多く(2022年の実施率の全国平均が小学校で82%、中学校も82%。ちなみに高校になると44%に落ちます)、読書に親しんでもらおうという姿勢が、学校教育からも感じられます。
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しかしその一方、現代の子どもたちは読解力が低下し「『ごんぎつね』が理解できない子どもがいる」など、何かと話題になっています。
自分も、専門学校の先生とのやりとり(※)で「これまでに小説をほとんど読んでこなかった学生もいる」という話を聞いています。
(※サイトに載せているファンタジー小説「夢の降る島」は、専門学校の授業課題に毎年使っていただいています。)
その辺りの不思議な「ギャップ」については、今後もリサーチを継続していくつもりですが…
何となく感じているのは「単純に本から離れているというより、読む本が偏っているのではないか?」ということです。
うちの兄弟なども「シュレディンガーの猫」など難しい本は平気で読むくせに、「物語」はマンガですら「字が多くて読めない」と言います。
そうやって各人の読むジャンルが「極端に偏っている」結果、読まれないジャンルの本が増え、一見「読書離れが進んでいる」ような結果になっているのではないかと…。
(まだあくまで仮説に過ぎませんが…。)
…とするなら、小説を読む人間が減っているのは、その分その「読者」が他コンテンツに奪われているということなのかも知れません。
(その辺りは過去記事でも少し触れていますが…。)
小説の中では、あくまで主人公が「女子中学生」のため、女子中学生視点での「読書離れ」しか描けませんでしたが…
今後はもっと広い視野で、さらに様々な視点から、読書離れ問題について記事なり小説なり書けたら良いな…と思っています。
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