私は本も読書もあまり好きじゃない

 私の文章を時々読んでくれる人は、それを聞いて「えっそうなん?」と驚くかもしれない。(いやそんなことないか。私が逆説的なことを言いたがるタイプの人間であることは、きっととっくの昔にバレてる)

 そもそも私は読むことよりも書くことの方がはるかに好きだし、読んで楽しむ時も、人の文章よりも自分の文章を読んで、直しながら楽しむ方がいい。
 本を読むのはあくまで……「お腹減ったなぁ」みたいなノリで「本読みたいなぁ」と思った時だけ。そして、読み始めて、苦しさを感じ始めたら、すぐに読むのをやめてしまう。放り投げて、別のことをし始める。私は本当に、他の人と本に対する向き合い方が違うと思う。ある意味ではとても不真面目だし、ある意味では誰よりも真面目なのかもしれない。
 私は基本的に本を読むときは、作者の内面にまで深く降りて行こうとする。作者が気づかれることを想定していないような、その作者の性格や想いまで読み取ろうと試みる。だからこそ、調子のいいときしか読みたくないし、質の悪いものにはできるだけ触れたくない。

 と、言いつつも。このような読み方をし始めたのは比較的最近で、それまではつまらなかったり集中できなかったりしても最後まで読み切ることが多かった。(というか今でも気づいたらそういう読み方をしている時もある)

 うーん。傍から見たら私は確かに本好きなのだと思うけれど、私自身は全然本といものに対する愛情を持っていない。私が愛情を持っているのは、私の好きな作者の作品だけだし、そのほとんどは名作として昔からずっと読み継がれてきたものだ。最近の作品に目を通すことはあるが、たいていはがっかりしたり吐き気がしたりしてしまいだ。私は、本屋に売っているような本はあまり読まない。読まないというか、読めない。読んでるとゴミ箱にポイしたくなる。

 私は、私の気に入った本しか本棚に置かないことにしているし、二度と読むつもりのない本は、全部捨てるか古本屋に売ることにしている。本棚に置くのは、繰り返し読むためであり、そのつもりがないなら置いておく意味がない。私はこれを極めてまっとうかつ合理的な考えだと思っているが、今まで同意してくれた人はひとりもいない。

 本棚は、その人の精神の形を示すものかもしれないと私は思っている。もちろん人の精神を形作るのは本だけでなく、本人の個人的な経験によるところの方が大きいとは思うけれど、それでもなお、本に対する向き合い方は、その人の本質を示すと思う。

 色んなジャンルの本が大量に置いてある人の性格は、きっと多趣味で節操がなく、征服欲も強いのではないかと思う。
 小さな本棚に、気に入った本だけを並べている人は、きっと自分の趣味を確立していて、安易に人に流されない性格なのではないかと思う。

 そんなのはただの勘なのだけれど、ただ自分自身を振り返るきっかけになると思う。本棚に置いてある本は、それまで自分が読んできた本、つまり自分の精神が歩いてきた道を示すだけでなく、これから自分が読み直す本でもあり、つまり、自分の精神がこの先歩いていく道をも示す。
 言い方を変えれば、本棚にある本は、自分がどのような人間として進んでいきたいかということをあらわすのではないかと思う。

 当然、質が悪いと自分が分かっている本を本棚に置いておくということは、自分がこの先、質が悪いと分かっている道を進んでいくこと許容することを意味する。
 まだ自分には理解できない本を本棚に置いておくということは、自分がこの先、それを理解できるようになりたいという気持ちを持っていることを意味する。


 なんだかこんなに語ってしまったら、私が本当は本好きなのではないかと誤解されてしまいそうだ。
 私は、本が好きじゃない。好きな本はあるが、読書自体が好きなわけじゃない。

 毎日本を読むからといって、本が好きというわけじゃない。そうだね。誰もが毎日呼吸をして生きているけれど、呼吸が好きかと言われても、みなは首を傾げるはずだ。
 スポーツ選手のほとんどは毎日ウォーミングアップとしてジョギングをするだろうけど、彼らの全てがジョギングが好きなわけではないと思う。そういうことなのだ。

 読書は正直、それほど面白いものじゃない。楽しい瞬間はあるけれど、いつも楽しいというわけじゃない。そうだね。私自身の個人的感覚としては、読書というのは走ることに似ている。
 それも自分ひとりで走るのではなく、誰かの背中のあとをぴったりつけて走る、ということに似ている。それは、結構疲れるし、あまり楽しいことでもない。でもペースや走り方が、自分にとって好ましいものであれば、すぐに気持ちよくなれるし、走り終えた先に見える景色が、今まで見たこともないほどに美しいこともある。

 読書には、読書にしかない喜びがあると思う。それは否定できない。
 走ることには、走ることでしか得られない喜びがあるように。

 なんかこんなこと言ってると、私が毎日何十キロも走ってるランナーみたいに聞こえるかもしれないけど、全然そんなことないからね。
 一応毎日走ってるけど、多分平均すると一キロも走ってないし、すぐバテて息上がる貧弱ガール。
 走るのは楽しいけど、あんまり長時間すると筋肉痛で動けなくなるし……

 なんだろ。多分好きっていうのにも段階があって、私の中では読書やランニングは、五が普通で一が嫌いの十段階だとしたら、六か七くらいなんだよね。好きって言っていいのか微妙なラインなんだよ。毎日するけど、やめろって言われたら、しぶしぶやめられるレベル。

 ちなみにnoteに投稿するのはそれよりちょっと好きな七か八くらい。
 妄想や考察は、文句なし、十! やっぱり頭の中でいろいろ考えるのは楽しくて、調子にもよるけど、やっぱり美しい場面が自分の中に浮かび上がってきたときの喜びは、何にも代えがたいよなぁ、と思う。
 本を読んだりランニングするのって、そういう瞬間を産み出すのにきっと役立つから、そのために、あんまり楽しくなくても続けているのかも。

  にゃほーん。

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