【振り返り】私にとっての私
ここまでたくさんの記事を書いてきた。
約五カ月で、約四百。内容が被ってるものはほとんどないと思う。書きたいものはまだたくさんあるし、そもそも投稿するのを断念したものがその三倍くらいはある。
何度も読み返してる。自分の吐き出したものを、飲み込んではまた吐き出している。
きっと、私ほど不可解な人間はあまりいないと思う。いや、そうではない。
若い人間はみなそれぞれ自分を不可解だと思っているものだ。実際それは不安定だから不可解だし。でも、その不可解さをここまで表現し続けた人は、私は見たことがない。
私が驚くのは、私自身の成果でも体力でもなく、意欲だと思う。不可解であることの意欲? いや違う。自分の不可解さを、正直に表そうとする意思だ。
はっきりとした形にし続けようとするその気持ちだけは、私特有のものであるような気がしている。
色んなスタイルを試してみた。書く内容も、人格も、色々試してみた。どれが自分の体に合っているか、分からなかったから。
分かったのは、私は色々試そうとしている時が一番健康でいられたということだった。目標を定めず、ただ自分がその時書きたいと思ったものを真剣に、きりのいいところまで書ききる。それが一体何であるかとか、他と比べてどうであるかとか、そういうことを考えない方が、健康でいられることがよく分かった。
そして、妙なことに、そのように書いたもの方が、好意的に受け止めてもらえることが多かったような気もしている。(あるいは、そのような好意の方が私自身、受け止めやすいのかもしれない)
私は自分の心が成長しているのを実感している。それをこういう形で文章にできていることに、喜びを覚えている。
これは、青春の記念碑になる。私にとって、私がどのような旅路を歩んできたか、はっきりと分かるものになる。
自分の人生が空っぽなものでなかったことを証明するものになる。
私の文章には、確かに中身がある。豊かすぎるくらいだ。
それが全部美しいものではないけれど、そこには確かに強い感情が宿っている。喜びと悲しみが、文章のあちこちから溢れてくる。私が、感情豊かで、よく考える人間であるということは、誰も否定できない。
私がここに生きていたということは、紛れもない真実で、それがはっきりと形となって残っていくということが、嬉しくて仕方がない。
もう私は自分が優れている必要があるなどとは思わない。
私は私であるべきであり、それが一番よいのだ。
私は私がここにあるだけで十分なのだ。
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