身も蓋もない政治についての個人的考え

はじめに

 天果さんの記事を読んで、たまには政治について真面目に語ってみようかなぁと思ったんですが、書いていくうちに結構突っ込んだ話になっちゃったので、どうしようかなぁと迷ったのですが、ご厚意に甘えて、そのまま投稿することにしちゃいました。いつもありがとうございます!(あと、読み直しているうちに、補足しなくては誤解を招きかねない箇所が多数見つかり、書き足しているうちに倍以上の長さになってしまいました……)

 誤解なきよう最初に示しておきますが、私自身の政治的見解は「賛」でも「否」でもなく「一定の理解はできるが判断はできない」です。エポケーちゃん! おおよしよしかわいいねぇ……


・政治っていうのは基本的に「分配」

 という考え方についてなんですが、私はそうは思っていません。

 政治の本質は、秩序の維持にあります。税金のほとんどは、新しく何かを作ったりすることではなく、現在保たれている文明のレベルを維持するのに使われています。警察組織や裁判所、国会、学校を含めた、あらゆる公的組織の維持費用は税金によって賄われており、政治はそれらを時代に合わせて細かく調整しながら運営していくものだと、私は思っています。
 目立つ政策のほとんどは、この際はっきり言いましょう、民主主義的な、選挙のためのものであり、実際的な意味における国家運営、つまり政治の仕事のほとんどは、完全に専門的な職業人の手の内にあり、だからこそ、日本社会の秩序は、世界で最も安定しているのです。
(もちろん、そんなことは誰もが分かり切っていることでしょう。ただ、前提の確認として、というだけです)

 税を集めるのは、人々にそれを還元するためではなく、既存秩序を維持するためです。人々に利するのは、それが国家の安定に直接的につながるからであり、国を豊かにしようとするのも、国が豊かである方が、安定するからです。豊かさは、他国からの信頼にも繋がります。それは一個人のためではなく、国家というシステム自体のためのものであり、そうでなくては問題が生じるのです。
 橋を作ったり、貧しい人たちの生活を保護したりするのも、その一環です。人々が便利な生活を欲しているからそうするのではなく、人々の生活が便利になることによって国家全体が潤うから、そうするのです。国家そのものの損得勘定の結果として、そうするのです。
 貧しい人たちを支えるのも、慈善の理念にのみ基づいてそうするのではなく、貧しさは犯罪と戦争の種であるので、その防止策として、生活を保護するのです。
 国家的な立場から発せられる言葉は全て「それを伝えることに何らかのメリットがあるから」です。つまりそれを、そのままの意味で受け取ることは、善良な一般市民の立場としてはそうあるべきですし、そうでないならば、疑ってかかるべきでしょう。
 再分配は、方便です。実際の目的は「金はやるから、あんまり極端な行動に出たりするなよ。極端な思想に染まるなよ」です。

 国家内における「無駄」とされるものの動きやコストは、削減できるものと、そうでないものがあります。
 今回の給付金に関しては、議論の余地がありますが、無駄とはっきり言うことはできないと思います。

 お金を配るのは、国民の生活を楽にするため、だけではありませんので、税金を減らしたり、かかる費用を減らすことによってその代わりとするのはありえない選択です。というのも、お金というものは、使われないと減るからです。
 当然のことですが、お金を集めて、それを配るという一連の動きの中に、そこに雇われる人が産まれ、そこに給与が発生し、そのようにして得られた金がまた消費され別の人間に渡され……というような一連のサイクルによって経済が機能するので、動く金の総量を減らすことによって個々人の生活を楽にしようとすると、結果的に、仕事の数が減って、職の奪い合いが激化し、雇用者と被雇用者のパワーバランスが崩れ、個々人が全体的に不自由な生活を余儀なくされ、そうすると、必然的に治安が悪化し、秩序の維持にも問題が生じてくる、という、前例がいくらでもある文明国特有のフルコンボが発生するわけです。これを一言で言えば、不況、です。そして不況は、戦争の案内人です。戦争は、手っ取り早く不況をひっくり返せる「上策」なので。
(現在、日本経済は「不景気」にあるとされますが、それはかつて日本の経済が「好景気」であったときとの比較によってそう考えられるだけであり、冷静に考えてみると、それほどひどい不景気にあるわけではありません。不景気は、第二次世界大戦前の世界恐慌を基準に考えなくてはいけません、それと比べれば、戦後の不景気なんて、ほとんど不景気のうちに入らないんです。むしろこの現状は、正常の範囲内であると思います。危機感を持つべきは、このままゆっくり沈んでいくことではなく、経済及び既存秩序の崩壊です)

 そういうわけで、定期的にバラマキをやることは、直感的、常識的に考えると無駄でしかないように見えるのですが、経済学的な観点から見ると、意外と馬鹿にできない無難な策と言えるんです。その場しのぎではあるんですが、しかしやらないよりかはマシなんです。

 他にもいろいろな理屈があります。純粋に、コロナの影響によって若年層(及びその親世代)の精神状態が不安定になっているようなので、それへの対応として、金というもっともわかりやすいものを配ることにより、不安や不満を抑え込む、という狙いもあると思います。
 こういう年齢制限のある給付金を今後とも増やしていく方針を示すことによって「子供を産むと得」という観念を若い世代に刷り込ませようとする、副次的な目的もあるかもしれません。(ま、それはほとんど効果がないと思いますが。どうあがいても少子化は止まりません)
(あと、バラマキをやっても、景気が回復しないのは、当たり前です。というか、日本全体の人口が減少傾向にある以上は、消費力も増えないので、そもそも経済が今以上に大きく上向きになるわけがないんですよ。人口が減っていて、物の数も増えていないのに、好景気になるっていうのは、バブル的な、一時的な幻想によって引き起こされる現象以外ではありえませんし、他国の消費力を頼る搾取型経済も、これ以上大きくするわけにはいかないので、日本の経済規模が縮小していくことはもはや宿命なんです。となると、いかに穏便に済ませるか、というのが重要になるわけです。言い換えれば、何事もなくある程度の豊かさはキープしつつ、貧しさに慣れていくことが、今後の日本の政治の課題なんです。少子化が止められない以上は。それが、現実的な話です)

 もうひとつ。
 人の感情というのは面白いもので、毎年二万円出費が減るというのが今後永続的に続くことになったときよりも、今すぐに十万円もらった方が、喜びますし、落ち着くんです。人間はすぐに、その時々の生活に慣れるので、一時的な収入が何度か与えられる方が「助けられてる感」があるんです。実際には助けられているが、あまりありがたいと思えないことよりも、たとえ数字上は大した助けになっていなくても助けられている感が実際にある方を、人は優先するんです。まぁ、民主主義政治である以上、それは仕方のないことなのでしょう。それとは別に、警察組織や裁判、役所のシステム等、見えないところで私たちを利してくれる秩序の維持システムがうまく動いているので、決して税金の使い道は見せかけだけではないのですが、どうしても政治に民衆の意識が向いている時期は、そういう派手な政策で、恩を売っておこうとするのは、仕方のないことですし、見逃すべきだと思います。
(政治が安定するためには、その重要性を理解している集団が実権を握り続けていなければなりません。そのための「アピール」に最低限のお金を使うのは、合理的なことです)
(分かりやすい政策以外にも、政治家の仕事は無数にあって忙しいのですが、そういう分かりやすいアピールをやっていないと、お馬鹿な人たちは「何もやってない」って勝手に思い込むんです。ひどいと思います)
(他に代案がある場合は、それと比較検討する余地はあると思いますが、当然、それは、今私が話したような素人でも分かるレベルの話ではなく、高度で専門的な内容になると思います。当然、政治家や有識者たちは議論をした結果そのように決めたのでしょうし、それについては……口出ししたり、説明を要求するならば、それにふさわしいだけの基礎知識が必要になると思います)
(学問的な知識だけでなく、政治的、経済的世界における『利害関係』についての俗な知識も必要でしょう。経験も必要かもしれません。おそらくこれが一番厄介な問題で、部外者が何を言ったところで、どうしようもないことです。金持ちの世界は金持ちの世界特有のしがらみがあり、政治はどうしてもそういうところに配慮しなくては成り立ちませんから)

 こういうことを説明する人が少ない理由は、単に難しいからですし、同時に、関心を持って個人的によく調べ、想像力を働かせれば、おのずと結論することができるからだと思います。
 テレビに映る「政治劇」は、基本的に「分かりやすいものしか分からない人向け」だと私は思っています。言うまでもないですが、大衆向けの「政治」は全部「劇」なんです。
 経済政策は常に、複雑で難しいものです。大衆向けの番組とかでは、ちょっと、できないと思います。政治の裏側というか、実際都合上の、放送できない「必要悪」的な部分も絡んでくるんで、無理なんですよね……
 そういうものを正面から受け止められるほど、まだこの時代の大衆精神は育っていない、と私は思います。同時に、そういうのを上手に、穏便に説明できるほど優れた政治家側、有識者側の精神も、おそらくは育っていないことでしょう。
(今から約百年前の第一次世界大戦時の世界経済の状況や、そこからどのような流れによって世界恐慌が引き起こされ、第二次世界大戦に繋がったのか、どれだけの日本人が関心を持って学んでいるでしょうか。それをまず政治について発言するうえでの前提条件として持っていないならば、それはやはり……時代の高さにふさわしくないのではないか、と思うのです)
(一般的な日本人はなぜか日本国内における経済の歴史が、世界全体の各国の経済の歴史よりも、今後の日本に強く影響すると思っているようです。経済というのはひとつの法則なので、その時々に応じてその通りの動きをするものですから、国内の経済史から学べるのと同じだけの情報量を、他国の経済史からも学べるはずなんです。今の日本と似た状況にある国がどのような政策をとって、どのような成功と失敗に至ったのか、専門家たちは皆注目していますが、一般レベルではほっとんど関心がない。一番表面的な部分だけ見て分かった気になっている人ばかりで、そうでない人の方が稀です)

 私はこういう「身も蓋もない意見」を持ってしまう人間なのですが、しかし政治や歴史を色々な角度から見ていくと、そのほとんどが「身も蓋もないもの」でできているように思えてしまうんです。
 私はいつも、個人の身にあまるような仕事をしている人たちを見て、こう思うんです。「ほんとよく頑張ってるよ」と。「同情しかできないな」と。
 ただ何もせず言うだけの立場から、あーだこーだいろいろ言うのは楽しいので、まさに政治は、外から見る分には面白いと思いますが、実際にその世界でやっていくとなると、もう地獄としか言いようがないと思います。
 綱渡りみたいなもんなんです。政治って。常に。
 それなのに大衆は国や政治家に空を飛ぶことを要求します。空を飛べない理由を説明したって、選挙に勝てるようにならないし、そもそも大衆は納得しません。本当のことを言っても、大衆は納得しないんですよ。聞き心地のいい嘘を言う人間の方に流れてしまうし、その結果国が不安定になるくらいなら、一緒になって穏便な嘘をついていくしかない。
 となると、ある程度難しいことを理解できる頭を持っているならば、自ら意欲をもってそれを調べ、静かに判断することしかできませんし、政治家に説明を要求するのは無意味だと結論するしかないと思うんです。結局彼らはどんな状況も、質問も、他の人が見ている限り、政治的なアピールのチャンスにするしかないのですから。それは彼らの誠実さに基づく問題ではなく、政治家というのは、そういうものでなくてはならないんです。なんと悲しいことでしょうか。

 私は素直に、実際に動いている政治家を応援したいです。どのような立場であっても、彼らはよく頑張ってる。政治は『言えない』『見えない』そういう仕事があまりに多すぎる。楽してるわけないし、身動きも取れない中で、なんとか理念を持って動こうとしている。歴史上、政治は常にそういうものでした。それでうまくいかなかったとしても、私が言えることは「お疲れ様」だけだと思ってます。
 滅びゆくものは、滅びゆくものですし。十九世紀以降のヨーロッパの衰退が必然であったように、日本の衰退も必然です。憂えるよりも、受け入れて、その中で何ができるか考えないといけない、と個人的には思っています。

 ついでですが、選挙において私たちができる重要なことは、落とすべき人間を落とすことだと思います。それで十分だと思ってます。

 追記です。
 日本の税金は諸外国と比べて明らかに高いですが、それに見合うだけの落ち着いた環境が整えられているのは事実です。ですがそれが、生まれた時からずっとそこに変わらずあると、それが誰かの努力によって成り立っていることを忘れてしまいがちです。文明によって生み出された高度なものが、海や山と変わらない、私たちの努力がなくても維持できる自然発生的なものだと認識してしまいがちです。
 私たちの税金のほとんどは、そのような高度な機能の維持に使われているのであって、選挙というものは……繰り返しになりますが、ある程度、大目に見なくてはならないものだと私は思ってます。どんな時も政治に完璧は求めてはいけなくて、重要なのは「焦って変なことをしないこと」です。遅すぎる、変わらなすぎることも問題ではありますが、変に動かして私たちの生活の基盤がめちゃくちゃになるよりはマシです。インフラが崩壊するよりはマシです。
 税金はまず間違いなく「仕方なく払うもの」であって、それに個人が納得できているかどうかは、そもそも無問題であると私は思います。どれだけそれを理不尽に感じても、私たちはその理不尽の中で生活しているのがスタンダードなのですから、その中にほんの少しでも善意や合理的な判断があるのならば、そこに誰かの多大なる努力が含まれているのは確かでしょう。自然というものは途方もなく理不尽であり、われわれ人間は歴史上、その中に意志と理性という武器を持って切り込んで、一定の勝利をあげました。それは当たり前のことなどではないので、人間や自然の理不尽に対して理不尽だと不満を持ってわめくこと自体がひとつの「人間の自然状態における、理不尽そのもの」だと思います。だって、そんなことをしたって、悪化こそすれ、良くなることはないんですから。
 政治の本質は、秩序の維持にあります。そして税金は、私たちに利するためではなく、そのシステムが維持されるためにあり、民主主義政治である以上は、税金のある一定割合を分かりやすく使って、大多数のご機嫌取りをしなくちゃいけません。特に、財政に問題がある場合は、増税しなくてはならないのですが(そうしないといつか維持できなくなるので)しかし、目先しか見えない人たちからすると、一方的に金を巻き上げられるように感じてしまうのでしょう。だからこそ「再分配」だとか、そういう方便が必要になるんです。増税は半永久的ですが、そういう政策は一時的なものなので、長い目で見れば……という話です。一時的な無駄遣いによって、恒久的な維持機能にかかわる問題が誤魔化せるなら、万々歳でしょう。結局は、維持するために増税するしかないのですが、一方的に「必要だから」と言われても、納得できないんですよ。具体的な数字を出されたって、実感がないんですよ。実感を必要としてしまうんですよ、人は。だから、分かりやすい無駄遣いが必要になる。
 大多数は常に、政治的な、複雑で残酷な現実が見えていないので、見ようとしないので、政治家は、そこまで考慮して動かなくてはならないのです。
 社会が高度になればなるほど、それを維持するのにかかるお金は増えます。水と電気だけなら問題はなくとも、それ以外にも道路を増やしたり、交通手段を増やしたり、すればするほど、それにまつわるメンテナンスや、劣化に対応して更新するのにかかる金が増えますし、そのたびに、いま集められる分の税金では足りなくなって、いくらか切り捨てなくてはならなくなります。増税したから社会が高度になるのではなく、社会が勝手に高度になっていくので、それについていくには増税するしかない、というのが正しいのです。
 賄賂、汚職、献金などの不正を正しても、それによって浮く金なんて、スズメの涙である上に、一時的なものなので、そんなことに時間を使ってる暇はないんですよ、実は。


 ある意味では、万人に住む家があり、食べるものに困らず、インフラが整備されている、というだけで、もうすでに再分配は十分すぎるほど終わっていて、あとのお金は全部、いかにその状態を維持するか、ということにかかっているとも言えます。(もちろん、それをより高度にすることも、維持に含まれます。時代についていかなくてはいけませんから)
 犯罪は、そういう高度な機能を不安定にします。なので、貧しさには、最低限度を設けるべきです。特に、若いうちに犯罪に手を染めると、二回目以降への心理的抵抗が少なくなるので、そういう層への配慮は必要不可欠でしょう。
 いざとなったら国が助けてくれる。だから、犯罪は避けよう。真面目に生きよう。余裕のない若い層にそう思わせておくのは重要なことだと思います。金を受け取る、というのは、理屈以上の、感覚的な「恩」の感情を呼び起こします。それが重要なんです。理不尽ですが、その理不尽をうまく利用しないといけない。
 貧しい人への支援や、愚かな人の感情への配慮を「無駄」と断じると、民主主義社会においては、とてもとても危険なことが起こります。民主主義、人権主義的な社会において、人間の感情のまつわるところは全ての「無駄」が「放っておくとまずいこと」に変わるんです。

 結論として、給付金、最善手であるとは思いませんが、悪手ではないと思います。いい意味でも悪い意味でも「無難」という印象です。

 ともあれ、私は政治に対しては一定の距離を置いて付き合うことにしています。私は実際にその場に近づいて動けるほど体も心も強い人間ではないですし、大衆に交じって騒ぐにはあまりにも……というわけなので、個人的に考えられる分は考えていきたいなぁと、思ってます。

 
 特定の人への感謝の言葉をこの場に書くのは少し違和感があるのですが……
 天果さん、自分の政治に対する見方を整理するいい機会になりました。ありがとうございました。

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