入れ替わる性別・もうひとつの歴史

 今の人類は、一年ごとに性別が入れ替わるようになっている。
 僕はあまり歴史について詳しくないからちゃんとしたことは言えないけれど、数万年前に何万人規模で、人間への遺伝子操作の実験の結果、そのような人類が生まれ、しかもそれが優性遺伝であったため、徐々にその割合が増え、いつの間にかそうでない人間がいなくなってしまった。
 今は全ての人間が、ある時は女性であり、ある時は男性だ。こうなってから性犯罪は激減し、国家間の問題も話し合いで解決できることが増えた……と、教科書に書いてある。詳細なデータも載っていて、グラフを見れば確かに一目瞭然なのだが……そう言われても、いまいち男と女が完全に分かれていた世界なんてうまく想像できないし……かろうじて言えることは、きっとすごく息苦しかっただろうなってことと、他者のことを理解することが今よりずっと難しくて、争いが絶えなかっただろうなっていうことかな。

 僕の体は今女性なのだが、正直僕はその時々の性別をあまり意識させたくない人間だから、男性の時も女性の時も中性的な格好をしているし、声も、男性の時は高く、女性の時は低くするように心がけている。服も体型がよく分からないだぼっとしたものばかり着ているし、男性の時に好きだと思ったものは、女性になってからいまいち魅力を感じなくなっても、それを好きになろうと努力しているし、逆もまた然り、だ。

 人によっては男性のときと女性の時でがらっと雰囲気も性格も変わって、喋り方も一人称も変わる人も多いけど、大半の人は僕と同じように、性別が変わってもその根本、つまりアイデンティティが保持しやすいような外見、人との接し方を心掛けている。ただ……男性の時は男性らしく、女性の時は女性らしくしている人は、すごくモテるし、そうなろうと努力している人は身近にもたくさんいる。
 でも僕はそういう演技性の自分みたいなのがどうにも性に合わなくて、自分の肉体に合わせて自分の心や生き方を作っていくような、そういう態度は好ましくなかった。
 それに、男性はかつて乱暴な性質を持っており、性欲も強いから、という理由で、悪い意味で自由奔放になっている人も多くて、そういう下品な人を見るのは心底不快だったし、逆に女性はかつて皆から大切にされていて、わがままをどれだけ言っても許されるということがあったから、そういう風な厚かましい態度を正当化している人を見るのも、嫌いだった。
 どのような理由があっても、他者を蔑ろにするようなことはこの時代に相応しくないし、しかもそれを性とか昔の文化のせいにするのは、本当に気持ち悪いと思っている。


 この時代の恋愛はなかなか難しくて、男性と女性が入れ替わる周期が人それぞれ違う都合上、いつも完全に男性と女性のペアになる人もいれば、一年のほとんどは同性として過ごし、ときどきそのずれで異性同士になる、というペアもある。
 一応薬で周期をずらすことができるから、その辺はそのペアの気質というか、過ごしやすい周期までずらしてから、そこで安定化させることが多いみたい。
 大半の人は、同性である期間と異性である期間を半分半分か、あるいは異性である期間をそうでない期間よりも若干長くする、くらいにすることが多い。やっぱり同性であるうちは、親友的な関係になっていることが多い。男女の関係になっている時は、どうにもそういう雰囲気になることが多くて、ずっと男女の関係だとさすがに疲れるし、お互いの性と関係のない趣味とか性質とか、そういうものに目がいかなくなってしまう。でも同性の期間が長すぎると、別の人に目移りしてしまったり、なんだか肉体的な意味で物足りなくなったりしてしまうし、相手のことを同性の親友だと思いすぎると、いざ異性になったときに、色々なことがうまく機能しなくなったりしてしまうらしい。

 僕はまだ恋人を作ったことはないので、そういう問題については人から聞いただけなんだけど……まぁ今はあまり具体的なことを想像したくない。

 昔からずっとそうらしいけど、自分の恋人がいかにすごい人かということで自慢してくる友達や、恋人がいない人生はつまらないと断言する知り合い、そういうのが多すぎて恋愛というもの自体に嫌気がさしている。
 告白されたこともあるし、人を好きになったこともあるけれど、何もつがいになる必要はないし、その時々で同じ時間を過ごせれば十分ではないか、と思うのだ。
 子供を作るのだって、妊娠してしまえばしばらくは女性のままでいなくてはならないし、色々な準備が必要だ。子供に無用なつらい思いをさせずに育てるなら、ちゃんとよく考えてからその相手を決めなくちゃいけないし、周囲にもそのことを伝えておいた方がいい。
 いつの時代も子育ては大仕事だし、多くの人間に協力してもらいながら行っていくべきものだ。

 ついつい熱くなってしまって自分の人生観を語ってしまったが、これは僕の悪い癖で、よく友達に「真面目過ぎる」とか「急に早口になってびっくり」とか言われてしまう。
 ほとんどの友達は恋について語るときそうなるのだが、僕の場合は子育てや教育について語るときにそうなってしまう。男性の体の時でもそうだから、きっとそういう気質を持って生まれてきたのだろう。僕は子供が好きなのだ。

 実際子供のころの経験や記憶というのは、後の人生に大きく影響する。僕は両親に愛されて育ってきたからこそ、僕もまた子供を誰よりも愛して育てたいのだ。


 多分、何万年の月日が経っても変わらないことはあるのだろう。最近、博物館で人類がまだ生まれた時に男女のどちらかに振り分けられ、その縛りの中で生きていたころの文章を目にした。その中のひとつに、僕は自分自身の心を見た。この人は、僕自身のようだと思った。生まれた時代は違えど、悩んでいる内容は違えど、僕らの心はよく似ている。ならば、ずっと先の未来にも、体の構造が変わっても、心の形だけは変わらないまま伝わっていくことがあるのではないか、と思うのだ。

 僕らはそういう、見えない絆で繋がっている。僕はこれを、もうひとつの歴史と呼んでいる。

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