読書についての雑記

 やっぱりテレビを見るのは疲れてしまう。
 騒がしくて、大げさで、陰気臭いのに無理やり明るく振る舞っているように見えてしまう。
 その場だけの欲望と興味に最大の価値を見出して、ただただ中身もなく過ぎ去っていく。

 時代そのものがジャンクフードみたいだ。おいしいのは食べている瞬間だけだし、私の繊細な胃はそのあともたれてしまう。

 静かに少し昔の本を読んでいる時の方が気楽だし、穏やかでいられる。自分のためになっているかどうかという話なら、大差ないかもしれないけれど。
 私は読書有用論に賛成はしない。国語の成績はよくなるかもしれないし、コミュニケーション能力や論理的な分析能力が高くなる可能性はあるが、私はそういうものにほとんど価値を置いていない。
 私は本が好きだから、読書が無用であった方がいいと思う。無用であるものほど、好む理由がないものほど、その愛情や好意はより深く純粋で、何があっても覆らないものなのだと思っているから。
 言い方を変えれば、無条件の愛情。


 あと補足なんだけど、私は「読書」自体はそんな好きじゃない。好きな本が何冊かあって、その好きな本を読むのが好きというだけ。
 だからつまらない本やくだらない本を読むのは、本をあまり読まない他の人よりもさらに嫌いだし苦手だと思う。
 本屋でよく並んでる中身のないミステリー小説とかちんけな自己啓発本とか、もう数ページ読んだだけで気持ち悪くなる。
 私は下手するとただ読書するのが嫌いな人よりも、特定の本を読むことへの嫌悪感、抵抗感を強く抱いてしまう人間かもしれない。

 それでもいいと思ってる。

 だから私は「この世には読まなくていい本、いや、読まない方がいい本も存在している」と思っている。
 むしろ大半の本はそうであると考えている。人生の邪魔になるだけだし、時間と労力の無駄だ。

 そんな本を読んでいると、心が汚れる。鈍感になる。
 だからこそ、読む本はちゃんと選びたい。

 書棚にある『銀の匙』を手に取って一人掛けのソファに座って本を開いたら、文章が妙に幼かった。中勘助の文章じゃないと思って、閉じてタイトルを見ると『夏の庭』とあった。
 取り損ねたか、見間違えたか。確かめようと本棚に戻ろうと思ったが、いや、これも何かの縁だと思って、そのまま読み始めた。

 この本を読むのは……多分一年ぶりくらいだろうか? 小学生の時に一度、高校生になってから一度。多分三回目になると思う。

……

 正直に言うと、最近本を読んでいると、頻繁に別の考えや記憶が想起されてしまうので、数分おきに読むのをやめて別の作業をし始める。そうして頭がすっきりしてからまた読みなおす。

 最初から順番に読むのは一回目だけ。二回目以降は、好きなところから読み始めて、好きなところで読むのをやめる。
 大体読む本は常に多くても二冊か三冊。その二冊か三冊を目立つ場所においておき、色々なものごとの合間に開いて数分だけ読み、疲れや飽きを感じたらそっと閉じて別の目立つ場所に置きなおす。そうして言葉を何度も味わって、自分のものにする。

 ともあれ私は一度読んだだけではすぐ忘れてしまう人間だし、気に入った話は時間を置いて何度も読み直す。
 適当にページを開いては、ただ読む。何も考えずにというわけではなく、その場面がどの場面とどの場面の間であるかとか、物語全体にどのような影響を与えているかとか、ちゃんとそういうことを考えつつ読んでいる。
 それが楽しいのだ。楽しくて、新しい発見が何度もある。

 そういう読み方をしていると、その本の内容を頭の中でしっかり思い出すことができるようになるから、暇なときに追体験して楽しんだり、別の解釈ができるんじゃないかと考えてみたりすることができるようになる。その場になくても、頭の中にその本があるかのように扱える。

 本を読んでいないときに、本のことを思い出してじっと考える。じっと味わう。私はそういう「読書」とは違う本との付き合い方を大切にしている。


 私はよく「この先、まだ一度も読んだことのない本を読むことはほとんどないだろう」と感じるし、実際そのつもりで本棚の本を開くのだが、ふと気が向いて市立図書館に行くと、読み切れないほどの本を借りてしまう。そして借りたからには全部読みたいと思うので、途中で気分が悪くなってしまったもの以外は、ちゃんと読み切ることが多い。

 そして自分が気に入った本はアマゾンのウィッシュリストに追加して、いつか買おうと思う。
 いつか本棚にしまって、気が向いたときに適当なページを開いて読み始めようと思う。

 そうしていつの間にか右側の本棚には約八十冊。お気に入りの本だけが並んでいる隙間だらけの小さな本棚。
 私はこれが好きだし、誇りにも思っている。



(読んだ本の仕分けをするのは大事だと思ってます。私は『お気に入り(約八十冊)』『普通かまだよさが分からない(五十冊)』の二つに分けています。『クソ』は目に入るだけで不愉快になるのですぐに捨てるようにしています。むしろ嫌いな本を家の中においておける人の気持ちがよく分からない)

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