父とのお出かけと危険な車【ほぼ実話】

 今日は土曜日で、父の仕事は休み。
 どこか二人で出かけようということで、少し離れたところにある寂れた映画館に行く途中の出来事だった。

 私と父はその時、中国共産党員はおそらく自分たちが共産主義者であるというアイデンティティをほとんど持っていないだろうし、冗談で「俺たちって共産党員だけど共産主義者ではないよな」と、言うことも笑って許されるような雰囲気なんじゃないか、という話をした。「今の日本の資本主義社会で生きている会社員のほとんどが資本主義者じゃないのと似ているかもな」という父の意見に、私は喜んだ。

 そんな時だった。自動車専用道路のトンネルに入ったタイミングで、隣の車線、私たちの少し前を走っていた白い車が、急に私たちの車の前に速度を落としながら車線移動してきた。父はブレーキを踏み、ハンドルをほんの少しだけ切った。ぎりぎりだった。速度は八十キロ近く出ていた。その車は、ウインカーも出していなかった。後続の車も離れていて、不可解だった。
「え、今のヤバくない!?」
 私はびっくりしてそう叫んだ。父は興奮気味に
「なんだあいつ! 死ぬぞ!」
 と叫んだ。実際、ぶつかっていたら死んでもおかしくないような状況だった。二車線の狭くて緩いカーブのトンネル。車間は離れていたとはいえ、後続車もいる。制限速度ぎりぎりの八十キロ。
 
 父の高い運転技術がなければ、間違いなく接触していた。そして、接触していれば必ず大事故になっていた。シートベルトは二人とも締めていたが、それでも死ぬことはある。
 不思議と、私は恐怖を感じなかった。「あんな馬鹿な車のせいで死ぬのは嫌だなぁ!」と私は笑いながら言った。
 父の方は冷たく怒りながら「今の車は何であんなことをしたのか」ということをぶつぶつ言いながら分析していた。どれだけ考えても、納得いく理由は見つからない様子だった。

 煽っている様子ではなかった。後続車がプレッシャーをかけてきていたわけでもない。
「二十秒くらい前から、あの車の様子はおかしかった。線上に寄せて、車線変更しようとしている動きを見せていたから、俺は速度を少し落としたんだ。そのあと、道の真ん中に戻って速度を緩めたから、同じ車間のまま普通に走ってた。でもあいつ、急に速度を落としながら車線変更してきやがった。ぶつかりにきてるとしか思えない。もし急ハンドル切ってたらこの車はスリップして横転してただろうし、ブレーキが遅れてたら確実に接触してた。準備してたからギリギリ間に合ったが……でも五十センチも離れてなかったぞ、今の。意味が分からん」
 父は冷静になってから、私に分かる言葉でそう言った。
「私も見てたけど、なんかフラフラしてたよね。眠たかったのかな……それか、飲酒運転? ウインカーも出してなかったしね。もしかしたら無免許だったのかも」
「長い間運転してきたし色んな変な車にも遭遇して来たが、あんなのは初めてだ……」
 父は本当に動揺していた。それもそうだ。もしぶつかっていたら、死んでいたかもしれないのだから。

 ともあれ、そんなことがありながらも映画館について、予定していた映画を見た。ライトハウスというサスペンスホラー。出来はよかったけれど、内容は悪趣味だと思った。船乗りのノリは面白くて、どこかで見たなと思ったが、映画の最後のスタッフロールのところで「H・メルヴェルから着想を得た」と書いてあったので、合点が言った。私は白鯨を読んだことがある。
 ともあれ、見るのはガンダムにしとけばよかったと思いながら、家路についた。父とは、メルヴェルの話で盛り上がったので、映画自体はあまり楽しめなかったが、まぁ悪くはない休日だったなと思った。

 帰りの車の中で父は、映画ではなくやはりあの白い車の話をし続けた。
 私はふと思って、自分の気持ちを口にした。
「私、もしあの車にぶつけられて自分が死ぬことを想像しても、あまり怖いと思わないんだよね。まぁ、気分は悪いだろうなって思うんだけど」
「俺は、怖いな。今まで一度も酷い事故に遭ったことはないが、遭いかけたことは何度もある。いつもギリギリで回避してるんだ。今回もそうだった」
「私、運転免許持ってるけど、多分この先ほとんど車を運転しないと思う。私、あぁいうときにお父さんみたいにちゃんと躱せる自信ないや。あんなことになる前から、あの白い車はヤバそうだって気づかなかったし」
「いつも、変な勘が働くんだ。それに助けられてる」
 実際、一瞬だけ会話が止まったタイミングでもあった。
「乗らなくていいなら、乗らない方がいいんだろうな、車なんて」
「お父さんくらい運転が上手ならいいんだろうけどね。私、多分そういうセンスはない」
「俺だってきっと運がいいだけだ」

「そういえば、昔交通事故で首の骨を折って何とか生還した友達がいたんだが、そいつと前に話したとき『今の俺の命は貰いもんだから、この先は何だってできるし自分のやりたいことをして生きる』って言ってたな。すげぇハイになってて、本当に何でもやりそうな雰囲気だった。別にやつのことを変なやつだとは思わなかったし、人間って一度生死の境をさまようと、そういう風になるのかもしれないな」
「うん。ハイになるっていうのはよく分からないけど、怖いものがなくなるっては間違ってないかも。というか、人が気にしてることや、怖がってることのほとんどって本当にくだらないなって、気づくんだと思う。死ぬことも怖くなくなるっていうか」
 そのあとは、父は自分が経験した世の中の理不尽や、おかしな習慣の話をしてくれた。
「狂ってるとしか思えないやつは、いくらでもいる。映画の中でやる、演技でしかやらないような目とか表情を、実際に浮かべるやつがいるんだ。そういうやつを見るまでは、フィクションでしかないと思っていたが……」
「私はそういうのは、知らないまま生きていたいな。怖い人や、頭のおかしい人とは、極力関わらないで生きていたい」
「俺も、君にはそうやって生きていてほしい」
「それが親心なのかもね」

 今日のことを、ちゃんと記録しておこうと思った。

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