「こうすればもう無駄にする人生もないだろう?」

「こうすればもう無駄にする人生もないだろう?」

 最愛の息子だった。それだけ本当だった。私がここで書くことの全てが嘘だったとしても、それだけは本当だった。

 死のうと思ったけれど、死ぬ前に私にはやるべきことが残っている。私がしてしまったことを、全て告白するのだ。全ての罪と後悔を、ここに記しておかなければならない。
 そうすればあの子が私を許してくれる、とは思わない。そうすれば、あの世であの子に会えるようになるとも思わない。思えない。私は地獄に落ちるべきだし、あの子は天国に行くべきだから。
 でも、これは書かなくてはいけないのだ。それが、きっと意味になるから……



 その言葉がいつから私の頭にこびりつくようになったのかは分からない。両親、親戚、学校の先生、友達、誰かが言ったことを明確には思い出せないけれど、誰もが時々口にしていたような気がする。
「人生は短いよ。だから、無駄にしちゃいけない」
 それは、私にとって真理だった。人は百年生きられない。たまたま百歳以上生きたとしても、それを超えた時にはもう、ほとんど何もできなくなっている。歯が全部抜けて、誰かの助けがなくてはもう立つことすらできなくなったひいひいおばあちゃんの姿を見て「もうこれは死んだも同然だな」と、幼い頃思ったのを覚えている。

 ずっと焦りの中で生きてきた。
 周囲の友達の誰よりも勉強を頑張ったから、周囲の友達の誰よりもいい大学に入った。
 恋愛だって、たくさん経験した。機械があれば、それを全部自分のものにして、どんな些細なことからでも、多くのことを学び取ろうとしてきた。私は頑張っていたし、輝いていた。
 今でも、それは事実だと思う。だけど……それが正しいことだったかは、もう分からない。分からなくなってしまった。そもそも、正しさのことなんて、それまで私は何も考えていなかったのだ。その方が「いい」からって、そう思ってた。そうじゃないのは「悪い」から。「間違っている」から。「惨め」だから。そう思って生きてきた。だから、あの子が死んだとき、私は私の人生を決めてきた全ての判断が、実は「正しさ」に基づいていないことに、そのときやっと気づいたのだ。後悔先に立たずというけれど、私はそれまで、後悔というものができるほど、正しい人間ではなかったのだ。
 どんなことがあっても、自分を正当化してきた。後悔は、弱い人間のすることだと思ってきた。どんな過去も、それが自分を作っているのだから、それだけが本物であり、それを肯定しないと、今の自分も肯定できなくなるなんて、そんなどこかの安い本に書いてあるようなことを、本気で信じて生きてきた。ただ、自分の行動の責任から逃げてきただけなのに。
 もう思い出せないけれど、きっと私はたくさんの人を傷つけてきたと思う。それに気づけるほど、私は私の行動のことを考えたことがなかった。後悔しない、という理想の生き方のために、多くの人の気持ちを踏みにじってきた、のだと思う。
 最愛のひとり息子が死んで、私には何も残っていなくて、自分を肯定する意味すら、見失ってしまった。だって、私が自分を肯定できるようになったとしても、それで息子が蘇るわけでもないし、私が息子を苦しめて死に追いやったという事実が覆るわけでもない。それこそ、私が彼を殺したも同然なのに、私が彼を殺さなければ今の自分はいなかったなんて言い始めたら、私はそんな人間に対して「そんなやつは死んだ方がいい」としか言いようがない! 自分の一番大切な人を犠牲にしてまで生きて、自分を肯定できるような人間は、そもそも存在すべきじゃないのだ……

「お母さんは、料理うまいよね」
 私は自分の料理をうまいと思ったことはなかったから、そういわれても納得できなくて、むすっとしていた。
「俺、外食あんまり好きじゃないからさ」
「私は外食の方が好き。自分でご飯作るの大変だし」
 息子はしょんぼりして、もくもくとご飯を食べていた。今私はそれを思い出して、後悔している。なぜ素直に「ありがとう」と言えなかったのか。なぜ素直に、喜ぶことができなかったのか。
 それがどれだけ幸せなことであったか、ひとりでご飯を作り、いつも帰りの遅い夫の分を冷蔵庫に放り込み、残りを一人で食べて、そう思うのだ。

 テレビを見なくなった。私は元々、息子が「その番組嫌い」と言っても、無視してそれを見続けていた。なぜそれが嫌いなのか理解できなかったし、見たくないなら他の部屋に行けばいい、とそう思っていた。
 息子が死んでから、テレビに出てくる人たちの軽薄さに耐えられなくなった。彼らは、結局人気取りのために自分を売ってる。家族の話が出てくるたびに、私はもう耐えられなくなってスイッチを切る。
 なぜテレビニュースは、定期的に小さな子供が死んだとか、子供が親を殺したとか、そういう内容を報じるのだろうか。どうして、被害者の遺族にインタビューなんてするんだろうか。私が傷つかない内容だけ報道してくれればいいのに、世の中はそんな風には回っていない。
 「お前のやったことは、お前の責任だ。それで苦しむのも、お前の責任だ」
 テレビはいつも、言葉にしなくても、私にそう伝えてくる。彼らが何かくだらない言い間違いをして「配慮が足りませんでした」と謝るたびに「違うだろう。お前らがしていない配慮は『それ』ではないだろう」と言いたくなってしまう。でもその声が届くことなんてありえない。
 あぁ、今更私は、息子が感じていた苦痛を体験している。彼の方が、私よりずっと大人だったんだと、今更気づいて、後悔している。

「もうちょっと、休んでいたいんだ」
 優秀で、何をやってもうまくいくのに、なぜそんなにいつも苦しそうな表情をしているのか分からなかった。なぜ大学の合格発表のとき、自分の番号を見つけた時、ため息をついたのか理解できなくて、苛立った。私は落ち込む彼の表情を見て「落ちたのか」と思って、腹が立って、でも叱っても仕方ないし「まぁ来年があるから」なんて馬鹿なことを言ってしまったのだ。
 「いや、受かってたよ」と冷静に教えてくれた時、私は「は?」って、大きな声で聞き返してしまった。他の受験生がびくっとこちらを振り返ったのが分かって、しまった、と思ったのを覚えている。
 大学の夏休みが終わった後、朝、どれだけ起こしても起きなくて「甘えるな!」と叫んだのを覚えている。そういうところがある子だった。中学の時も、高校の時も、無断欠席しようとすることがあって、そのたびに私が叩き起こしていた。女性ならともかく、男性なのに、熱がなくて病気でもないのに学校を休むのは、罪だと思っていた。そんなことを許したら、まともな大人にはならないと思い込んでいた。でも今思えば、まともな大人になれていなかったのは、私の方だった。私が、ただ、そういう気質を持って生まれた息子を許すことができなくて「優秀でカンペキな自分に相応しい優秀でカンペキな息子」を、押し付けていただけだった。
 彼が大学生にもなって泣き出して、行きたくない、もう頑張りたくないと呟いたとき、私は彼を叩いた。叩けば、言うことを聞くと思ったのだ。彼は決して体の弱い子ではなくて、高校時代は陸上でインターハイに出ていたくらい運動が得意な子だったから、その気にならば私を殴って黙らせることくらい、訳はなかったはずなのに、彼は殴るどころか、私に何かひどいことを言うことすら一度もなかった。それくらいに、優しい子だった。優しすぎる子だった。そんな子を、そんな子のそんな気質に付け込んで、私はいつもいつも押し付け続けていた。
 「ごめんなさい」と謝る息子に対して「謝るならさっさと学校に行け! 追い出すぞ!」と私は無慈悲にも叫んだ。
 結局息子は布団から出てこなかった。力では敵わないから、無理やり布団を引きはがそうとしたが、無理だった。それからは、地獄のような日々だった。でも本当に地獄だったのは、私じゃなくて、彼だったんだと思う。今までずっと頑張ってきて、もう耐えられなくなって引きこもるようになったのに、誰も自分に味方してくれず、父親は無関心で、母親はいつもイライラしている。そんな状況でも彼は、少しでも学校に行こうと頑張っていたのに、私はその頑張りを無視して「なんでこの子はこんなに情けないのだろう」とか、友達に愚痴ってたし、彼自身にもそれをそれとなく告げてプレッシャーをかけてしまっていた。
 結局進級できなくて、大学はもう無理だと彼が言ったとき、私は「じゃあこの先どうやって生きていくの? 大学にすら行けない人間が、どうやってこの厳しい社会で生きていくの? あんたになんかできることあんの? ちょっと勉強ができても、根性がないんじゃ何にもならない」とか、ただ厳しいことを言っとけば何とかなると思って……私だって、忙しかった。子供を産むために楽しかった仕事を辞めて、保育園に入れてからはまた別の仕事を始めたけどなかなか評価されなくて、最近やっとまた大きな仕事を任せられるようになってたから、自分のことで精一杯だったのもある。自分のことで精一杯なのに、家事はやらなくちゃいけないし、そういう自分のことも、分かって欲しかった。せめて、問題のない優秀な息子でいて欲しかったって、その時は本気で思ってた。しんどいのはみんな同じで、みんな耐えてるんだって、それを息子に分かって欲しかったけど、分かってなかったのは私の方だった。耐えられない苦しみっていうものを、私は息子が死ぬまで知らなかったから、そんなものがあるんだって知らなかったから、私は、そんなひどいことを言ってしまったし、一度も手を差し伸べてあげることができなかった。


 彼が引きこもりになってから二年が経って、息子のことも諦め始めていたころ、いつになったら復活するんだろうとか思いながら「人生なんてあっという間なんだから、無駄にしている暇なんてないよ」なんて軽い気持ちで言ってみた。それくらいの言葉は、常日頃言っていたし、何の抵抗もなく、口から出てきた。息子は「そうだね」って、いつも通りの暗い表情で答えた。
 次の日の朝、食卓の机の上に一枚の紙が置いてあった。綺麗な字で「こうすればもう無駄にする人生もないだろう?」と書いてあった。ひどい冗談だ、と私は思って、息子の寝室に入ると、息子は首を吊って死んでいた。私はめまいがして、倒れ込んだ。救急車を呼ばないと、と思った。それからのことはあまり覚えてない。ひどく取り乱していた、らしい。その時に何を言ったのかは、教えてくれなかった。きっと私は、ひどいことを口走っていたのだろう。少しだけ覚えてる。「恩知らず」とか「また逃げた」とか、そんなことを叫んだのをおぼろげに覚えてる。私は最後の最後までダメな親だった。と思う。

 そのあと心理士さんがやってきて、丁寧に私の話を聞いてくれた。
 何も言わず、ただ私の言うことを繰り返すだけだった。夫が言うには、それは傾聴というやり方らしい。なんだかそれが、ひとつの方法であると分かった瞬間、すごく不快な気持ちになった。そういう、誰がやっても一定の効果が出るような方法で、私の苦しみが処理されようとしてたという事実に、私はひどく不快になった。そしてその不快になったことを心理士さんに正直に言うと、そのとき初めて心理士さんはその人自身の言葉を口にした。「ごめんなさい」って。
 悪いのは私だ。何度同じことを繰り返すのだろう? 自分が苦しいからと言って、それを誰かに押し付けて。

 私は自分が生きていてはいけない人間なんだと思うようになった。でも死ぬのは怖いんだ。死ぬのが怖いから、だから死なずに、こうやって、書いて逃げてる。

 こうやって書いているのだって、実は書くのもオススメだって、心理士さんが言ったからだ。書けば、自分の中で整理できて、少しは落ち着くっていうから、そうしてみているだけだ。

 最初にあんなことを書いたのだって、すごく勇気のいることだから、そうやって勢いづけただけだった。


 「生きることが一番苦しいなら、やっぱり生きることが一番の贖罪になると思います」
 仏教徒の友達が言ってくれたその言葉が、今までで一番私の心を慰めてくれた。

 生きることは苦痛だ。ただただ苦痛だ。

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